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10月 4, 2009の投稿を表示しています

進化は予想外に起きる

携帯電話、テレビ放送網、自動車、発電技術、上下水道、こうした現代的技術にかこまれて、僕たちは暮らしている。そして、これらの技術の無い社会など創造することも出来ないくらい、こうした環境に依存して生きている。しかし、こうした技術が、つい最近生まれたばかりのものにすぎず、いずれすぐに、何かもっと優れたものに置きかわられていくことを、忘れている。
人間社会が享受する科学技術の進化と、自然界における生命の進化とは、非常に似た道筋をとおる。どちらも「いきあたりばったり」である。決して予定通りには進まない。進化は予定外に起きるのである。動物が持っている「眼」は、生物の進化のハイライトといえようが、その「眼」が出来上がった過程もかなり「でたらめ」である。その事実は、動物の「眼」を構成している部品が、どのように作られてきたかを見ることで分かる。
例えば、人間の眼が使っている「水晶体」は、最初バクテリアが、自分の体を温度変化から守るために生み出したものだ。 / ネコの眼が暗闇で輝いて見えるのは、ネコの網膜の裏側に、光を集めるための反射膜があるからだ。この反射膜は、はじめ魚類が使っていた浮き袋として生まれた。 / 昆虫の眼にある赤と黄色の色素は、蝶の羽も飾っているものだ。 / 網膜の桿体細胞をつないでいる繊維は、ミドリムシの尻尾と同じ構成である。眼には少なくとも5億3800万年の歴史がある。しかし、その構成要素はそれよりもはるかに古い。 ( サイモン・イングスの著「見る」 p.127)
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デーヴと影武者

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アイヴァン・ライトマンの映画「デーヴ」を観ているうちに気づいた。黒澤明監督の影武者にそっくりだ。といっても、この映画の製作チームのみなさんは大好きなので、別にむっとした訳ではありません。むしろ、その共通性に非常に興味を持ったので、すこし立ち入って考えてみる。
「そっくりさん同士が入れ替わり、それぞれの真逆の人生を体験する」というストーリーが「そっくり」だ。こういうストーリーを何というのか。とりあえず「王子と乞食」にも似ているので「王子と乞食」型とでも名付けておこう。(おそらくすでに誰かが名付けているのだろうが、まあ、かわまず)最近では、父親と娘が入れ替わってしまうとか、男の子と女の子が入れ替わってしまうという、メンタルでSFチックな入れ替わりものもあるが、これはちょっと複雑すぎなので除外。この「王子と乞食」型は、以下の単純なルールに従うものとしよう。
1:実際に生きているそっくりさんが二人いる 2:その二人はお互いに全く反対の人生を送っている 3:その人生が入れ替わってしまいもとに戻れなくなる
このルールに照らし合わせると「デーヴ」と「影武者」とはやはり、どちらも「王子と乞食」型であり、かなり似通った兄弟分の映画だということが分かる。先に進む。
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敵を欺くには身内から

引き続き「デーヴ」と「影武者」を比べてみたい。
<キャスティング> 「デーブ」で主人公を演ずるのは、ケヴィン・クライン。「影武者」は仲代達矢。どちらも「ひとり二役」という難行を演ずるとしたらうってつけの名役者だ。ちなみに、ケヴィン・クラインは、「ワイルド・ワイルド・ウェスト」というおバカなSF映画でも、大統領との二役をやっていた(替え玉ではなく純粋にひとり二役)。仲代さんもどこかで、二役やってないかなあ。そういえば、NHKの大河ドラマ「風林火山」では、武田信虎役もやり、名優仲代さんは、冷血漢の役から情熱溢れる正義感まで、なんでも出来るスターだもの。二役どころか、どんな役でもこなすマルチプレーヤーだ。
<見抜くのはやはり奥様たち> 「デーヴ」の奥様つまりファースト・レディであるエレン・ミッチェル(シガニー・ウィーヴァー)は、はじめ意外にあっさりと欺されてしまう。デーヴが大統領の不倫事件について、素直に謝ったのでうっかりという設定。だがその後、デーヴのほんのちょっとした動作で、異変に気づいてしまう。「影武者」でも、替え玉の機転とユーモアに笑わされているうちに、欺されてしまった奥方たち(倍賞美津子、桃井かおり)だったが、愛馬から落馬という思わぬ事態で、偽物であることをするどく見抜く。やはり、夫の異変に気づくのは奥様でしょう、という点も、ふたつの映画には共通している。
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