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6月 27, 2010の投稿を表示しています

生きる

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黒澤明監督作品、初期の名作「生きる」
この映画、いきなり主人公の「レントゲン写真」から始まるんです。そして「これはこの映画の主人公の胃である」という重いナレーション。インパクトあるオープニングですね。そしてまもなく、観客は、この主人公の胃袋が癌にむしばまれている、ということを知らされる。

人生が残り数ヶ月しかない、と知った人間。彼は、その残された時間をどのように過ごすのか? 映画やテレビドラマの中には、この問いかけをもとに作られたものがいっぱいありますね。誰でも関心ありますもの。心配だもの。ドラマの主題になりやすいんですよね。

「死ぬということはどういうことなのか?」この疑問は、あらゆる人がいつかは頭に思い浮かべる、あまりにも根源的な問題で、いつかそれは「人間は自分の人生をどう生きるべきなのか?」という問いかけに通じていく。でも、普段はみーんな、忘れていること。忘れておきたいんです。

この映画の主人公、渡辺勘治(志村喬)は、描いたような小役人。仕事への熱意もなければ、特段の望みもなく、ただただ平穏無事の人生を送る無為徒食の輩。市役所の市民課の課長でありながら、市民の「し」の字も関心が無い。やってくる陳情も、すべて他の部署へのたらい回し。続くナレーションにあるように「もともと死んでいるような」人生なのだ。

その彼が、映画の冒頭でいきなり「死を宣告」されてしまう。始めて人生の崖っぷちから深淵を見た絶望。息子夫婦からのむごい仕打ち。いつか彼は酒にひたり、パチンコに、時間と金を費やす。市役所の部下の女の子を誘い出し、市役所を無断欠勤しては、歓楽街で遊びまくる。しかし、結局のところ、肝心の心は全く晴れない。人生からの逸脱と、快楽への耽溺は、少しも彼を救ってはくれない。

そして彼に「その時」がやってくる。生きる意味を見つけて、人生を燃焼させる時が彼にもやってくる。ちいさなちっぽけな公園を、まさに全身全霊を傾けて完成させる。陳情にやってきた貧乏人のおばさんたちの願いを、実現してあげる。そして死んでいく。完成した公園のブランコにもたれ、独り死んでいく。

あくまでも観客を驚かせ続けるのがこの映画。観客にとって皮肉なことには、この映画の主人公が「生きた」証拠を体現してみせるのは、すべて「彼が死んだ後」のことだ。すべての真実が、彼の葬儀の参列者によって話されるだけだ。

「生きた人生」…

アニー・ホール

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ウッディ・アレンの最高作品だと言われている「アニー・ホール」。男女の人間関係を、とても複雑で繊細なものとして描いたこの映画には、笑えてうなずけるエピソードが満載。男も馬鹿だし女性の心もわがままなもんだね。でも男の馬鹿さ加減は際だっているな。

男女関係というものは、けして情熱的でストレートなものなんかじゃなく、紆余曲折があって複雑でわけのわからないものだ。それまでのラブストーリー映画は作り物ですよ。(映画はみな作り物だけど)この映画を見て「まあ人生こんなもんだ」と笑って安心した方も多いのではないだろうか。

主人公アルヴィ・シンガーは、とにかく極度の心配性。些細なことにこだわってそれで自滅する。「これじゃだめだだめだ」「これはまずい」と理屈をこねながら、自分のまわりの人間関係も壊していく。まさに教養が邪魔して人生がうまくいかない。このアルヴィの子ども時代のエピソードがまた、いかしてます。

あまりに無気力な子どもなので、連れてこられたカウンセリング室。まさに俗物そのもののオヤジ先生と、猛烈な母親にはさまれて、小学生アルヴィがつぶやく。

「宇宙は膨張しているんだ。だからいつか人類は滅びちゃう。僕たちに生きる意味はないんだ」

ハッブルが宇宙は常に膨張しているということを発見して、アインシュタインがそれを証明してしまいました。それを聞いたら、純真な小学生は心配するよなあ。この世界は、フーセンのように膨らんでいつかは「ぱちん」とはじけ飛んでしまう。「坊や、それはまだ何千億年もさきのことなんだぜ。まあ俺たちは、せいぜい人生を楽しもうじゃないか」と、オヤジ臭ぷんぷんのカウンセラー先生に言われても、アルヴィの心は晴れない。そりゃ晴れないよなあ。あんたみたいになりたくないし。

西洋の科学は宇宙を解明してきた。でも、ひとりの少年の心を納得させて、人生を楽に生きるための教えとなる理論は、まだ生み出せていないようだ。

ところで、この映画のタイトル。もちろんダイアン・キートン演じる売れない歌手の名前なんだけど、どうしてこの名前なのか。ダイアン・キートンの実名が「ダイアン・ホール」で、彼女のニックネームが「アニー」だからとか。IMDBのユーザー・レビューのどこかに書いてあったんだけど、本当ですかね。

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泰平は傾く

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平らなものは必ず傾き、
去ったはずの閉塞の時代は必ず復ってくる。

「易教」一日一言(到知出版)から、6月26日「地天泰」の卦の解説です。

泰平の時(平和ですべてがうまくいっている時)はとかく安易に考え、安泰が永遠に続くという錯覚に陥りやすい。しかし、そうした安定を傾かせてしまうのは、「うまくいっている」という油断であり、ゆるんでしまったこころである。会社の経営においても国家においても、平和で安定した時期における手抜きや油断が、のちの危機的状況をまねく。

この世のなにものも、ひとときたりとも止まってはいない。いつかはすべては滅びるのだし、安定は崩壊に、平和は危機へと変わるものだ。そのことを意識することで、生き生きとした毎日を生きることができる。そして、いつかはかならず、再び危機やってくるという意識を持ちつづけてこそ、安定を続けることができる。平和だから、安定しているからといって、決して危機管理を怠ることのないように。

松下幸之助氏の教えはこういうことかと思う。そしてこの教えは、中国の古典「孫子」に流れる中心原理と同じでもある。

Photo: NASA Goddard Laboratory for Atmospheres

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いずれは無くなる

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「企業に限らず、いっさいのものには寿命がある。今と同一の形態で永遠性を保つことはまずできない。そう考えておいたほうがいいのではないか」。

松下幸之助の言葉を集録した「社長になる人に知っておいてほしいこと」(PHP総合研究所・編)に、この、はっとするような表現を見つけました。松下電器の創始者である松下幸之助ご本人が、「そう考えておいた方がいいのではないか」と語っているのは、つまり松下電器とはいえ、「いずれは無くなるもの」としておいたほうがよいということだ。

いまのパナソニック社員が聞いたら、えらくがっかりしそうなものだ。でも実は、この言葉が表している考え方こそが、会社を長く維持するために重要なことなのではないか。

「いずれは滅びる」というこの考え方は、松下幸之助が、ある禅僧との対談の中で得心したもの。いずれすべてのものは無くなるというのは、仏教における「諸行無常」という考え方で、もっともあたりまえのこと。企業どころか、空に浮かぶ太陽も、宇宙も、仏教そのものも、いつかは消えてしまうのです。

だからといって、私たちの日々の暮らしが意味を持たなくなったり、仕事へのやる気をなくす必要はないですよ。むしろまるで、逆の教えなのです。

その教えとはこういうことです。すべてのものは昨日から今日へと変化している。日々すべてのものが新しくなっていく。だからこそ、毎日生き生きと生きてゆきなさい。そして、どんなに安定しているときも、固定的な価値観にとらわれてはいけないということ。企業で言えば、同じ戦略をいつまでも続けるといったことをしていてはいけない。恐れずに変化を求めよ。

日本の高度成長時代を支えた松下電器産業(現パナソニック)は、現在でも事実上、世界で最大級の事業体なのだそうです。1935年に創業とのことなので、あと四半世紀で100年企業となりますね。パナソニックは2010年3月期に2期連続の最終赤字となったということが、6月25日の株主総会で明らかになりました。

日本の家電メーカーすべてが厳しい家電不況に悩む中、当然のことかもしれない。しかしこういう状況でも、パナソニックには、特別な存在として元気でいてもらいたいものだ。松下幸之助氏の言葉を読んで、そう思う。

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