投稿

8月 29, 2010の投稿を表示しています

偶然の配材

たった8年間で、ザ・ビートルズが生み出した傑作の数々。ポップミュージックの奇跡だ。ジェフ・エメリックの書いた「ザ・ビートルズ・サウンド」を読んで今思う。この奇跡は、まさに「人智を超えた」ところから生まれたのだと。すべてはまさに「天の配材」だった。

ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人がメンバーとして出会ったということも「天の配材」なのだけれども、彼らがEMIと契約した時に、その担当プロデューサーがジョージ・マーティンであり、録音エンジニアがノーマン・スミス。そしてジェフ・エメリックが見習いとして控えていたというのも、大変な「天の配材」だったと言えよう。

特に、ジョージ・マーティンの担当していたレーベルは、別にトップ・アイドルを発掘するレーベルでは無かったというところが面白い。彼の担当レーベルは「パーロフォン」といって、ピーター・セラーズなどのコメディレコードを手がけるものだったのだ。つまり、EMIでは、ザ・ビートルズは、特に売れることも期待されておらず、とりあえず手を挙げたジョージ・マーティンにまわされたってことだ。

しかしこの配材こそが、その後の怒濤の進撃の、まさにスタート地点となる。ザ・ビートルズが持っていたエネルギー溢れる音楽に、ジョージ・マーティンの豊かな音楽的知見や、ウィット溢れるアイデアが加わることで、世界最高のヒット曲が生まれ続けたことは、周知の事実だ。

ジョージ・マーティンは1955年、彼が29歳の時にパーロフォン・レーベルの責任者となった。ここでの6年の経験を経た円熟期の36歳となって、彼はリヴァプールからやってきた4人に出会う。誰が計画したことでも無く、当時は誰も気づかなかったことなのだが、4人とジョージ・マーティンの出会いは、まさに完璧なタイミングと場所で行われたのだ。ジョージ・マーティンは、確かにコメディに続いて、ポップミュージックを手がけたいとは思っていたのだが、まさかそこに「ザ・ビートルズ」が転がり込むとは...

ジョージ・マーティンは、ふり返ってこう語る。「もしあの時に私が、このグループには可能性が無いと却下していたらどうなったか。おそらく彼らは、まったく世に出ることの無いままに終わったことだろう」と。神様はこのようにして、私たちのまったく気づかないところで、静かに「奇跡的な配置」を用意してくれている。そしてその配置は、突然に嵐のよ…

大好きなこと

イメージ
ジェフ・エメリックは、少年時代に特別な英才教育を受けたわけではなかった。しかしその彼が、世紀のバンド、ザ・ビートルズの録音において、天才的な「耳」の能力を発揮するようになったのは何故なのか。そしてまた、彼がその現場に立ち会うこととなった、その運命が彼におとずれた理由とは?

彼自身が著書「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」で語るエピソードは、現代の高校生や大学生にとっても、示唆に富んだ「就活指南」となるだろう。

ジェフ・エメリックの少年時代とは、誰にでもあるような「ありふれた」少年時代だ。しかし、彼の少年時代に起こったエピソードの断片を、お互いにつなぎ合わせて並べてみると、そこには「運命の導き」としか思えないような、一本の「奇跡の人生ライン」が描き出される。

おばあさんの家の地下室で見つけた箱の中に「あのレコード」がはいっていたこと。誕生日に貰ったプレゼントが蓄音機だったこと。BBCが行ったラジオによるステレオ実験放送。寛大な音楽教師に出会ったこと。高校の就職カウンセラーが、誠実なバーロウ先生だったこと。こうしたことは、別に当時のイギリスの少年にとって「特別なこと」ではないだろう。当時のどの少年にも起こりえた「ありふれた出来事」ではないだろうか。

しかし、未来の名エンジニア、ジェフ・エメリックは、こうした「ありふれた出来事」に出会うたびに、自分自身の運命とも言える「人生の進路」を、着実に見いだしていく。「自分が大好きなこと」をひとつひとつ確かめていくということが、「自分の人生を発見すること」である。こうしたプロセスこそが、まさに自分の天職を見いだす道なのだ。

高校の卒業が間近となったジェフは、就職カウンセラーの、バーロウ先生の勧めのままに、4つのレコード会社に手紙を書いた。しかし当然ながら、いずれも不採用。しかしジェフは決してあきらめなかった。なぜならば、彼には「レコード・スタジオ」で働くことが、自分の運命であることを確信していたからなのだ。

そしてある時、ついに扉は開いた。
バーロウ先生のもとへ、EMIからの「ある知らせ」が届いた。

誠実でいつも彼のことを考えてくれていた、バーロウ先生。レコード・エンジニアという不安定な仕事につくことに反対しながらも、応援しつづけてくれた先生。この先生が、ジェフにとって本当の「守護天使」となった瞬間。この瞬間が訪れたのは、ジェ…

ジェフの就職活動

イメージ
レコーディング・エンジニアになりたいが、どうしても就職口が無い。あらゆるレコードスタジオに就職志望の手紙を書いたが、一社を除いてすべてのスタジオから不採用の返事が来た。残る一社からは、返事すら来なかった。

これは、ザ・ビートルズの数々のレコーディングに立ち会った名エンジニア、ジェフ・エメリックの就活経験である。まるで、現代の学生の就職活動について聞くような話だ。ある意味で、現代と同じような就職難だった。ジェフの試練は、現代における学生の就職活動の苦境に重なるものがある。

ジェフが高校を卒業する1960年代。レコード産業が膨張しすぎた現在とは逆の状況で、レコード会社そのものが数えるほどしかなかった。レコーディング・エンジニアという職種は、稀少職種だったのだ。ジェフの就職活動は、困難を余儀なくされて当然だったのだ。

前回も紹介した「ザ・ビートルズ・サウンド 」には、著者であるジェフ・エメリックが、「ザ・ビートルズの録音エンジニア」という「天職」にありつくまでのエピソードが、詳しく紹介されている。この「涙の就活ストーリー」は、現在の高校生や大学生にとっても、非常に参考になるのと思う。ジェフ・エメリックは、いかにしてEMIのエンジニアの座を掴んだのか。

ジェフ・エメリックが、彼の就職活動における「守護天使」と呼び、感謝の念を捧げているのは、高校の就職指導教官だった、バーロウ先生だ。就活の守護神が就職指導教官であるというのは、当たり前のようだが、これが当たり前の話ではないところが面白い。はじめバーロウ先生は、レコーディング・エンジニアなどという、風変わりで就職口も少ない仕事など、あきらめるように説得し続けていた。ジェフをなだめすかして、「もう少しまともな」仕事を進める。当時の就職指導の教員として当然のことだろう。

しかし、ジェフの心には、レコーディング・エンジニアになることが自分の運命であると信じる、信念にも近い「確信」があったのだ。このことが、いつかバーロウ先生の心を動かし、ついに自分の「運命の道」を切り開くことになるのだ。

それでは、ジェフはどのようにしてその「確信」を得ることが出来たのか。そのは、ジェフが幼少期に体験した、一連の「事件」に関連しているのだ。

Photo by wikimedia : The Beatles as they arrive in New Y…