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2月 20, 2011の投稿を表示しています

天下らない

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「天下り」って、いけないこと?

窮地の日本経済。日本国債の格付けが「ネガティブ」に下がっちゃったし。経済政策は待った無しなのに、国会の予算審議は無限ループ。管政権の崩壊間近といわれる状況で、政治家のみなさんは一体全体、国会で何を「審議」しているのかしら。普段は見ない国会中継。ちょっとだけ聞いてみた。

平将明氏が、衆院調査局の「最近の天下り・渡りの実態に関する予備的調査」に基づいて質問していた。それによると、09年9月19日から10年10月1日までに独立行政法人や公益法人などに再就職したり、現役出向したりした国家公務員は4240人もいるという。( Yomiuri Online

日本の官僚は優秀です。ま財界産業界との繋がりを、強固に構築しつつ、お互いの利益を最大効率的に実現していく。役人は法案を作り、経済界は公共サービスをサポートする。この連携プレーによって、日本という国は成長し発展してきた。

「天下り」というものは、経済界から公共サービスへの重要な架け橋だ。官僚側からみれば「天下り」は、もともと民間よりも低い公務員の「生涯賃金」を補填するものでもある。役人人生の最後にもたらされる「成功報酬」と見ることもできる。役人の前にある大きなニンジンなのかも。そして企業側から見れは「天下った」は元官僚は、社会からの大事な預かりもの。

故ピーター・F・ドラッカー氏は、「日本の官僚制を擁護する( In Defense of Japanese Bureaucracy )」というレポート(☆1)で、日本の官僚システムも「役にたたないもの」ばかりではないと語っている。また「天下り」というものが、日本固有のものではなく、世界に普遍的に存在することを論じている。「天下り」という習慣は現実には、アメリカを含む先進諸国に普遍的にみられる現象なのだと。また、日本の官僚組織は優秀であり、時として「天下り」もその重要な機能の一部として認識することが必要であると述べている。

しかし、そもそもドラッカー氏が指摘する日本の官僚組織の「優秀さ」とは、彼らが日本の社会的利益を第一に考えている点においてである。それに対して、アメリカの官僚は、国家安全保障が脅かされないかぎり「経済的価値」を第一とする。つまり、日本の官僚は「国を思う気持ち」において優秀なのだと。

しかし今の日本は、アメリカ経済に追従する「経済偏重…

紙がなくなる日

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ちょっと想像してみた。

50年後のある日。ひ孫がこんなことをブログに書く。

「先日、私の曽祖父の残した日記などを整理していたところ、不思議な四角い紙の束を発見しました。かつて日本には、新年にこの年賀状というものをやりとりする、美しい習慣があったそうです。本物の年賀状を見るのははじめてだ。本物のパルプ紙。表面には郵送手数料が印刷されています。裏面にはメッセージや絵を書いて送ったものだそうだ。送付の際には、各家庭への個別郵送システムを利用していたという。」

なんて。

50年後の日本人。果たして、年賀状をやりとりしているのだろうか? 2009年時点ですでに、年始のあいさつには、年賀状よりもメールが多く使われたという(産經新聞)。そのうちに年賀状は、ツィッターやフェースブックに取って代わられるのだろう。特に「実名」によるフェースブックなら、友人知人に挨拶を送るのは、一瞬のことだ。

数年前までプリントゴッコで、二日も三日も、手間をかけて年賀状を印刷していたのが、信じられない。現在は、パソコンとプリンターをつないで、印刷している年賀状。そんな習慣すらも、いずれは過去のものとなるのかな。技術革新による時代の移り変わりは早い。

麻布十番の「TSUTAYA」で昨日、仕事の資料用に洋書を6冊も買いこんだ。(ここは本当にデザイン系の洋書が充実している)大きな紙袋ふたつに、両手で下げて帰宅したが、重くて重くて仕方が無かった。手が抜けそうだった。紙って本当に重いんですね。

これがすべて電子書籍だったら楽だろうなと、本気で思った。電子書籍ならば、コピーだって、自分のための資料化だって簡単だ。それに、印刷物はそもそも解像度が高くない。スキャンすると印刷のアミ点で、ブツブツになってしまう。今や、ハイクォリティのデータのほうが、印刷物よりもよっぽどきれいなのだ。画像の品質に置いても、ネットが印刷物を逆転してしまった!

50年とか、大げさなことを言わずとも、もうすぐかもしれないんだな。
紙がなくなる日。