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1月 4, 2015の投稿を表示しています

すべては月の下

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ほんの数日前の宵の口に、空を見上げると月が双子座あたりで輝いていた。ちょうど木星とオリオン座と一直線に並ぶかたちになっていて、不思議な美しい配置になっていた。その月も、今夜あたりは獅子座と乙女座のあいだくらいまで進んでしまい、夜中にならないと見えない。
人間が暮らす地上の灯り。 夜空に輝く月と比べると小さなものだ。
崔洋一監督の「月はどっちに出ている」がいつのまにかDVD化されていた。さっそくAmazon で注文しまして正座して見ました。(ウソ。リラックスして見ました。)いいなあ、やっぱし、この映画。いまでは、日本におけるこうした微妙な状況をこんなにワイルドに描く事は難しくなってしまったと思う。このかっとばしたような表現。突き抜ける思い。90年代には残っていた、日本の映像のバイタリティーと表現への挑戦。
崔監督の解説による発見もあった。中盤に出てくる立ち飲み屋のシーンには、鈴木清順監督や、原作者の梁石日氏まで出ていたのか。もう、可笑しくてお腹が痛くなりました。飲み屋で思い思いの時間を過ごすひとびととして見ると、みんなただの人間なんだ、という思いになる。みんなそれぞれ生きている。
この映画の正しい楽しみ方が分かったような気がする。「こういう迷惑な奴っているよね」とか「そうそう、所詮僕たちってこういうもんだよね」と、自然に思えばいいのだ。そこに映画のリアリティがあるのだし、映画の世界観への共感がある。考えてみれば、映画を見る楽しみというものは、そういうものではないだろうか。崔監督自身もそう語っているし。
夜空の月を見上げるたびに、こう思うことにしよう。「すべては月の下のちっぽけな営み」月から見下ろしてみれば、地上の人間がいがみ合ったりぶつかり合ったりしているのも、ほんの一瞬のちいさなちいさなできごと。

モンブラン

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モンブランというケーキは、ケーキのスポンジ生地に、クリのクリームをかぶせたもの。二つのお菓子素材を組み合わせたもので、いわば異種混合タイプのアイデア商品だ。茶色いクリクリームを生地の外側に塗っているうち、それが峻険な山肌のように見えてきた。そのようにしてこのお菓子は「モンブラン」という新しい次元に進んだのではないだろうか。
いま大学は、学期末の繁忙期に突入しており、卒業を控えた大学院の修士二年生にとっては、本当に大詰めのシーズン。どちらかというと、普段は学生の自主性にまかせる自由放任主義の研究室だが、いまだけは教員も学生も顔色を変えて完全臨戦モードにならざるを得ない。
今日もある留学生の学生と長時間のミーティングをしていた。その学生さんは、これまで二つのテーマを別々に進めていて、どちらも中途半端のままになっていた。これでは、どちらのテーマで行っても完成度が足りないな、ということで頭を抱えてしまった。しかし、ふたりで二時間ほどうんうん唸っているうちに、妙案が浮かんだ。
モンブラン!
ふたつの素材を組み合わせて、新しいものを作る。これだ! これまで別々に進めてきたふたつのテーマを合体させて、ある別次元の結果を引き出すのだ。これならなんとかなりそうだ。本日の仕事の終わりに、モンブランに感謝する私であった。これも、おとといの晩に、夏休み中に食べたこのケーキを水彩画に描いてみた効能なのだろうか。
しかしこの研究、最後の最後まで気は抜けない。

いつアートを発明したのか

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ナショナルジオグラフィックの2015年1月号の特集は「人類はいつアートを発明したか?」である。驚くなかれ、その最古のものは10万年も前の洞窟にのこされた抽象表現ということだ。驚くなかれと言っておきながら無責任だが、僕自身はいったいどのように驚くべきかもわからないほど驚いている。なんじゃこれ?
僕たちがこのように、水彩画などを描いたりするのは、どちらかというと、中学や高校で習った美術や図工の時間の延長のようなもので、いわゆる一般市民の「趣味」という行為の中でやっているに過ぎないのかもしれない。僕自身、絵を描くのは好きなのだが「内側からこみ上げてくる創作意欲をおさえきれず...」というほどの欲求があるわけではない。
その点で、10万年もの前の洞窟で、土の壁にあるパターンを塗りあげた人や、数万年前に動物の骨からオブジェをつくりあげた人、土をこねあげて塑像を作った人たちは、どれだけのチャレンジ、どれだけの精神的飛躍をなしとげたことだろうか。
こうやって、画材屋さんで買い求めた水彩絵の具を、水道水で溶いて、純白の水彩用紙に塗る事ができる僕なんて、なんと恵まれた境遇にあることか。現代文明にお膳立てされている。その分だけ、描くという行為のポテンシャルは低いのかもしれない。あんまりやる気がないってこと?やっぱ、日常の「感動」ってやつを敏感にすくいあげるようにしなければいけませんな。
今日はおそろしいほど大きな満月がのぼるのを見た。こういう感動を洞窟の土壁に塗りたくる、そんな創作というものをしなければならないのだろうな、と、ぼんやり思う。いや、すべて僕たち現代人の生活というものは、原初的感動とは無縁の、文明の習慣によってつくられたパターンにしたがっているだけなのかもしれない。でも、まっいいか。楽しめてればね。