投稿

8月 30, 2015の投稿を表示しています

良賈は深く蔵めて

イメージ
いつもの通勤路を歩いていると、
あれ?こんな深紅のハイビスカスが咲いてる。
いつのまに?

ハイビスカスに限らず、花というものはすこしづつ蕾をつけておおきくなって、そしてさっと開くもの。そのプロセスでは、一番きれいな花は最後の最後まで、目立たないように隠している。だからこっちは、なかなか気づかない。

孔子という偉い人が、まだ若い頃。老子に会ってたずねたことがあるそうです。(歴史上は、本当は老子のほうが後世の人なんじゃないのとの説もあるようですが...まあ、言い伝えとして)「自分にはこれから何が必要ですか?」

老子はこう言ったそうです。
「まず、君はスタンドプレーが目立つし、欲も多すぎだね」
「ジェスチャーも派手。何にでも手を出したい淫気過ぎる」

とまあ、こういう徹底的な駄目だしを受けたということです。
老子はさらに追い打ちをかけ、かの有名な格言を孔子に伝えた。

「吾れ聞く、良賈(りょうこ)は深く蔵(おさ)めて虚しきがごとく」(☆1)

良き商人というものは、店構えはなどは貧しく見せておいて、本当の宝物のような商品は、その店の奥深くにしまっておくものだ。あなたのように、店先に見せびらかしているようではね、まあ、見込みはないね!

才能あふれる作家やデザイナーが、焦って早過ぎる成果の発表に走る。するとそれが世の中のひんしゅくを買ってしまうこともある。若い時には「良賈は深く蔵めて虚しきがごとく」あるほうがよい。自分の自慢したいようなものは、時が至まで隠しておいた方がよいのだ。

孔子は老子のこの教えを聞いて素直に深く反省をしたので、あのような大聖人になったのでしょう。

僕なんか結構いい年になってしまいましたが、良賈どころか、いまだにお店にならべる品物もなにもなくあたふたしているばかりの毎日です。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

☆1:
PHP文庫 現代活学講話集 十八史略 上巻
第二章 中国思想の源泉 「孔子の章」より



カオスな朝

イメージ
みなさんの、毎朝の出勤前の支度って、どんな感じですか?

歯を磨いて、朝ごはんを食べて、ヒゲを剃って、カバンの中身を確認して、また歯を磨いて... あっと、インコの水を替えて、おっとハンカチハンカチ...  僕の場合、自分で笑ってしまうくらい手際が悪い。

これがNASAの宇宙飛行士ならば、朝起きてからその日のミッションに移るまでのプロシージャーというものがあって、それも合理的で安全性にかなったもなのだと思う。歯磨きのキャップとドッキングハッチを間違って捻ったりしたらタイヘンだ。

朝の電車でメイクをする女性もビシッとしている。窮屈な場所なのに、バックから道具を次々と取り出してはどんどん仕上げていく。片目だけ忘れたりしないように、きっちりと手順ができているのだろう。唖然とするほどの手際の良さ。

その点で、僕はというと、何か持ち物を忘れたり、靴下が片方だけ違ってたりとか。それでもまあ命には別状ないことをいいことに、カオスな朝のドタバタを何年も続けている。

それでもこんな朝だけど、余裕がある時にはいいこともある。歯ブラシを手にして「あ、あの会議の資料まだだった。危ない危ない」と気づいたり、インコの水を替えながら「あの映像はカットした方がいい」なんて思いついたりする。時には、自分でも惚れ惚れするようなアイデアが浮かんだり( あとでそうでもないことに気づくけど )、昨日までの判断の間違いに気がついたり、そういう結構ラッキーなことも、ちょいちょい起きる。

カオスな朝だからそういうことになるのか、そういう風に上の空だからカオスなのか。どちらか良く分からないけど、カオスも悪くない。

習慣というものはそうは変わらないので、しばらくはこういう朝が続くのだろう。迷惑をこうむっていると言えばまわりにいる家族だけか。毎朝、無駄にウロウロしててごめん。


- - - - - - - - - - - - - - - - - -

☆イラストは、八王子駅前にある「リストランテ BUONO 」のスパゲティセットです。とてもおいしいお店です。ぜひお試しをー\(゚ω゚=)


レイチェル・リンド

イメージ
レイチェル・リンドというおばさんのことを覚えていますか?

「赤毛のアン」に登場する、わりと重要なキャラクターですよね。アンが住むグリーンゲーブルスから丘を下っていったあたりに住んでいました。だから、アンの養父母である、マリラやマシューが街へ向かう時には、どうしてもこのレイチェル・リンドさんの家の前を通ることになります。
家事全般を完ぺきにこなす主婦であり、人の行動倫理を極める教育者でもある。こういう人だから、マリラのアンに対する教育方針にもなにかと口を出す。悪い人ではないんだけど、真面目過ぎてちょっと困った人です。
彼女は、自分の家の周囲で何か変わったことがあると、それが何なのかが理解できるまで、徹底的に調べないと気がすみません。マシューがちょっと正装して通っただけで落ち着かなくなってしまう。
「ああ、これで私の一日は台無しだわ」

いったい何があったのだろうと、行き先をあれこれ詮索しないではいられません。家事も、なにも手につかなくなってしまう。
カナダの田舎アボンリーに住むレイチェル・リンドですが、SNSに時間を費やす僕たちによく似てませんか。
誰がいま何をやっているのか、どこへ行っているのか、何をつぶやいているのか。仕事をしているのか、休暇をとっているのか、誰と食事しているのか、タイムラインをチェックせずにはいられない。

まわりが何をやっているのかいつも気になる。
でもそのくせまわりと同じ事はやりたくない。
みんなそういうものですよね僕たち人間って。


費やした時間

イメージ
手っ取り早く仕上げた仕事というものは 崩れ去るのもあっという間なのですかね
昨年の6月、東京で開催された「台湾国立故宮博物館展」には、中国の名工たちの作品が並んで話題となった。ミクロコスモスのような翡翠工芸品に残された精緻な技を見ようと、会場の東京国立博物館には、炎天下に長蛇の列ができた。
博物館を訪れた人たちがため息を漏らして見つめたのは、名も無き職人たちがつぎこんだ長い時間の苦行と鍛錬。長い時間を経ても、変わらず人びとから賞賛されるもの。それは、きっと費やされた時間そのものなのだ。
これらの工芸品が作られた当時、世間に聞こえていたのは、これらを所有していた権力者や金持ちの名前ばかりだったのだろう。肝心の芸術品の作者名など、誰も気にしなかったに違いない。
しかし、何百年もの長い時を経て、いま現代に残っているのは、そうした無名の職人たちの技の跡だけなのだ。彼らが無心で成し遂げたこと、そしてそれに費やした時間が、その結晶となって残っているのだ。作品に刻まれて今に残る彼らの魂が。

カニをいただく

イメージ
フェイスブックの動物動画には気をつけよう。そう知っていながらも、ついつい再生しては思考停止になっています。今日もうっかり、ナマケモノの変な動画を見てしまい、さきほどまでお腹をかかえて笑い苦しんでいました。
寝転んだまま仰向けでエサを食べている、すべてを超越したその姿。エサはニンジンとタマネギの二種類あるんですが、お気に入りはニンジンだけのようです。間違ってタマネギを掴むと、面倒くさそうに皿に戻します。皿の方を見てちゃんと確かめればいいのにね。それさえしないのが、さすがはナマケモノ。
しかしまあ、こんなに無防備な状態でエサを食べていて、よくもまあ自然界で生き抜いているものですね。樹上生活のために外敵が少ないというのは分かるし、最終的にはするどい爪で闘うこともするのだろうけれども、こいつは、まったく徹底した平和主義、不戦主義のシンボルのような生き物ではないでしょうか。
僕たち人間がカニをいただくときの姿は、専用のハサミや搔き出し棒のような道具も使うしお金も払うし、ナマケモノよりはずっと文明的で洗練されています。でも森へ狩りに行くでもなく、海へ漁に繰り出すのでもなく、こうして皿の上のカニを一心不乱にいただいている僕は、少しだけナマケモノに似ているかもしれないと思うのです。
ナマケモノのように寝転んでまでご飯を食べたいとまではいいませんが、こうしてゆっくりとカニをいただける世の中があるというのは、本当に有り難いものです。それもこれも70年もの長い間、平和が続いた日本だからこそのこと。こうしていつまでもゆったりと過ごせる国であってほしいものです。

スタバのカフェモカ

イメージ
ASIAGRAPH主催のCGのコンテストに参加するために、台湾の元智大学まで行って参りました。元智大学は台北から東に電車で50分ほどの「内壢」という街にある、工学系の私大です。南国の樹木に囲まれたモダンなキャンパス。大学も綺麗だし、街もエネルギーに溢れていて、私はいっぺんでにわか台湾ファンとなりました。

残念ながらいまひとつ馴染めなかったのは現地のご飯。コンテストで用意されたお弁当、近所の夜店で出される皿料理。せっかくの「ザ・台湾料理」なのですが、香辛料もきつめなので、私の胃腸にはちょっとボリューム感ありすぎでした。日本での台湾料理は大好きなのにね。本場についていけないなんて。

空港で学生さんたちの到着を待っている時間。ふらふら吸い寄せられるようにはいったスタバ。そこにはいつもの「カフェ・モカ」がある!(当たり前ですね)それを一口飲んで感激。その味は東京駅や八王子駅で注文する、あの「カフェ・モカ」そのものではないか。

こうして旅行者を喜ばせてくれる「カフェ・モカ」の味。世界中どこでも、スタンダードな味として楽しむ事ができるんですね。材料とレシピさえ揃えば、同じものが出来上がる。そういう時代なのですね。ネット上での情報ならさらに簡単。一瞬にして、どこにでも同じテイスト、同じコンセプト、同じデザイン、同じ考えが、広がっていく。

どうせ世界のスタンダードになるのなら、「カフェ・モカ」のように甘くてほっこりするようなものがいいね。辛口の評論や容赦ないつっこみ、言い争いや炎上ばかりではどんなもんかね。なんか落ち着かない。世界中が住みにくくなります。