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9月, 2014の投稿を表示しています

改良してはいけない

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近所を散歩していると、紅色のカンナよりも黄色のカンナの方が何故かよく目につく。群生しているのは、ほとんどが黄色だ。


自然界のカンナは、紅色よりも黄色の方が優勢なのだろうか。それとも、紅色のやつは、綺麗なので人間が採取してしまうのだろうか。この絵のカンナもひとりぼっちだった。

千葉市の中央公園で大人気となっているハス池のことで、びっくりするような話を聞いた。あれだけ沢山咲いていたハスも、冬には全て取り去られて、さら地ならぬ「さら池」になってしまうのだとか。

地獄のドキュメンタリー

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ビデオが出来て以来、家族の記録を撮ることは当たり前なこと。でも、自分の夫が破産寸前で発狂しそうなところを記録するとなると話は別だ。


映画史に残る大作「地獄の黙示録」をフィリピンで撮影する際に、コッポラ監督は、現地で家族とともに暮らす決断をした。「学校に預けたままにしたら、子供たちが凡庸な人間に育ってしまう」というのがその理由。

そのため、奥様のエレノア・コッポラも、300日にも及ぶ苦難の撮影の日々をともにした。撮影については完全なシロウトだった、エレノア夫人は、ひょんなことから、16ミリカメラを持たされて、本作のメイキング・ドキュメンタリーを撮影することにもなった。

そのフィルムは、たった数分間のメイキング映像として使われるだけの予定だった。しかし撮影の12年後に、それは驚異のドキュメンタリー映画「闇の奥(Heart of Darkness)☆1」として注目を集めることになる。夫のフランシスが恐怖とプレッシャーに襲われ、苦難に満ちた撮影の日々につぶされそうになる姿を、淡々と16ミリフィルムに収めた。

そのままであれば、ただの映像メモの切れ端になっていた、その映像が、ハリウッド映画製作の真実の姿を伝える傑作ドキュメンタリーに化けたのはなぜか。

時代錯誤もいいかもしれない

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もしもこの世界が、食べ物やワインで満たされていたならば。


トルクメニスタンという国は、そのように豊かな国なのだとか。

この国について、なにも知らなかった私。佐藤優氏の「インテリジェンス人間論」を読んでいたら、初代大統領ニャゾフについての興味深い文章の中で、この不思議な国について考えさせられた。

ニャゾフの政府は、国民に対して、食料やウォトカなどが豊富に供給されるように計らった。国民ひとりあたりのGDPは低くとも、生活の満足度は高いのだという。独裁制に近かったものの、国民からの政府の支持率は高かった。

ウォーター・ワールド

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NASAのホームページを見ると、いまも宇宙人探しは続いているようだ。


宇宙人探しといっても、地球防衛網を突破してくるUFOを探知しているとか、MIBのように、一般市民に紛れて地球征服の陰謀を働いているET を捕まえるとか、そういうことでは無いらしい。

地球から見ると針の先のような狭いエリアでも、実は何千という銀河がひしめき合っているらしい。ハッブル宇宙望遠鏡などが持つ超高性能な眼で見ると、その針の先のどこかに、地球とよく似た環境の惑星がいくつも発見できるかもしれないのだ。

さよならヒマワリさよならロビン

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江戸川の土手に向かういつもの散歩道。群生したヒマワリが秋を夕暮れの空に向かって背伸びしていた。そろそろ、ヒマワリともさよならかな。


昨日は、男性アカペラグループ、ジョリー・ラジャーズの年に一度のコンサートに行った。NHKの番組の音楽も担当するなど、どんどんメジャーになっている。

後半第三部に、ルネサンス時代の、ものすごく古い宗教曲(☆1)があって、それに引き込まれた。僕の頭の中になぜか映画のシーンがいくつもいくつも現れてきた。それは、いつの間にかロビン・ウィリアムスのヒマワリのような笑顔のイメージにいきついた。

あの笑顔は、おそらく、映画「フィッシャー・キング」でのパリーだな。精神を病んだ大学教授の役。あまりに辛い体験のために精神を病んだ彼は、自分の使命が「失われた聖杯を探すこと」だと信じている設定だった。それが、昨日の宗教曲的なサウンドに触発されて思い浮かんだのだと思う。

現実世界で傷ついたエリートが、無垢な心を持つ道化者に救われる。本物の救済は、無名で無力な者が行う。また、どんな者でも、誰かの救済に身を捧げた時に、自分自身が救済されるのだ。そういうメッセージだったと思う。信じられないほど美しいストーリーなので、この映画が大好きだ。

ロビン・ウィリアムスとジェフ・ブリッジスという、若く才能溢れる二人の演技が素晴らしかった。その無上のストーリーが最高のリアリティで迫ってくるのだ。路上生活をしながら、聖杯を探し続けるパリーの笑顔は、本当にヒマワリのように輝いていた。

もう、二人そろっての演技は見られない。
あなたのいない映画は寂しくなります。

さよならロビン。いい映画をたくさん残してくれてありがとう。


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☆1: Con Amores, La Mi Madre という曲でした。スペインの作曲家ファン・デ・アンチエタの四声部の曲。邦題は「母さま、私は恋を抱いて」だそうです。

この線を描くのに何年かかったか

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30年前に大流行した「ビックリマンシール」が復刻されて人気を集めているそうだ。


渋谷で「ビックリマン原画展」が開かれて、平日の初日にも行列になったらしい。 

当時、ビックリマンシールのキャラクターデザインを手がけていた、大坂のデザイン会社「グリーンハウス」のデザイナーさん。当時は当然ながら「手描き」だった。キャラクター太い線を、使い込んだペンで描いた。「この線を描くのに何年かかったか」というコメントが泣ける。 

いま、大学で学生さんたちにデザインを教えたりしてるのだが、手描きに挑戦しようというのは、ほとんどいない。よくてもタブレットペン。ガシガシ塗ったり消したりは、まだいいとして、ガシガシとコピペしたり回転したりレイアウトしたり。色だって、一気に変えてしまうこともできる。

 反則じゃんね。 

そう思うけど、それはそう思う僕が時代遅れ。手描きの時代にはもう戻れない。すべては、タッチパネルやペンタブレットから生み出される。そういう時代になってしまったのだし、もう昔に戻る予感はこれっぽっちも無い。

まもなく、ハサミものりも、ペンも鉛筆も使わない子供たちが育っていくのだろうか。

コップのバジル地球温暖化と闘う

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コップの中のバジル。
ちょっとだけかもしれないが、地球温暖化と闘っている。


アマゾンの中心に325メートルの巨大タワーが建設される。そんなニュースを新聞で読んだ。アマゾン・トール・タワー観測所(ATTO)と言って、その周辺の数百キロの範囲についてあらゆる気象データや、二酸化炭素の吸収量などを測定するのだそうだ。

ブラジルを中心にしたアマゾン川流域の熱帯雨林は、地球全体の気象変動に大きな影響を与えるほど巨大。しかし、そのアマゾンの熱帯雨林の年間消失面積は増加し続けている。うーん、とても心配だ。どうすれば、地球を温暖化の一途から救うことが出来るのか。

うちのテーブルに載って、葉っぱを広げているバジル君。この小さな葉っぱも、一生懸命に、二酸化炭素を取り込んで、光のエネルギーを定着してくれている。こんな芸当ができるのは植物だけ。人間は、まだその一部をちょっと真似できるだけ。

今日、僕がはきだした分の二酸化炭素も取り込んでくれるかな。
こんなに働き者なのに、ちぎってパスタに乗せたりしてごめん。

ケヤキの一生と超新星

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ケヤキの樹というものは千年以上生きることがある。
大学キャンパスにあるこのケヤキも、僕よりもずっと長生きするはず。ちょっとだけくやしい。


昨日の朝日の「科学の扉」で、一千年前に現れた超新星が、藤原定家の「明月記」に正確に記録されていたという話が紹介されていた。

現在観測されている、かに星雲の愛称で呼ばれるSN1054など、三つの超新星爆発のデータと一致するんだって。陰陽師の安倍家の記録を再録したものや、定家自身が観測したことが書かれている。とつぜん現れるので「客星」と呼ばれた。

一千年の時を越えて伝えられたって、何か超人的。地球から肉眼で見える明るさの超新星というのは、年間で数個程度しかない。定家が見たような、火星並に明るいものは滅多に出現しないそうだ。

残念ながら、これから残りの人生で、僕が超新星のに出会う可能性はとても低いのかと思う。でもケヤキ君、君なら見ることが出来るだろうね。超新星爆発。

マスカット・グリーン

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お隣からのいただいた、マスカットです。
自動車や家電にも鮮やかなマスカット・グリーンが使われるようになりました。グリーンという色は、僕たち人間を惹きつけて癒やしてくれる色ですね。


大学のキャンパスにも、沢山の樹木があるのですが、その中でもダントツの存在感があるのは、僕の居る建物の目の前の、三本のメタセコイヤです。20メートル近くあり、建物の8階の窓からその先端が見えます。

このメタセコイヤが、そろそろ葉を落とし始めました。冬に向けてエネルギーを作り出すよりも、寒さから身を守ることを優先する作戦ですね。足元に落ちているグリーンの葉を見ると、このひとつひとつが、エネルギー発生装置であることに改めて気づきます。

人間が地球上で使っている化石燃料の大半は、こうして樹木たちが何億年もかけて作ってくれたもの。このグリーンという色が自然界にあるかぎり、太陽の恩恵をエネルギーとして利用することができるのですね。僕たちがあまり欲張りなことをしなければですが。

リンゴの時計

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アップルです。でもこれは「和りんご」といって、りんごの原種みたいなものだそうです。友人が東宮御所で撮影して送ってくれました。


Apple Watch の発表のあと、いろいろとネットを見ていますと、この新製品の歴史的な価値や売れ行きの見通しなど、さまざまな議論がありますね。

僕自身は、とにかく「文字盤から、針もデジタル数字も消えた」時計であるということが、とても気になります。僕たちの生活をなんらかの形で変えてくれないか、ちょっと期待しています。

ウォッチというからには、あくまで「時計」であるのはずなのに、本来「時計」であることを示していた主要な部品がなくなっている。あるのはフラットなタッチスクリーンだけ。そこに、何か矛盾も感じるし、何か可能性も感じます。小さなiPhoneにベルトがついただけではないはず。

ロストした時間

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日記アプリのデータ同期事件、大変でした。
いやー、昨日はこのことだけで、3時間くらい無駄にしてしまったかも。


心理的にえらく消耗しました。そしてなぜか、そのロストした3時間がとても早く感じられました。時間が丸ごとどこかへ連れ去られてしまったような感じです。

本当に時間というものは不思議です。昨日のように、なにか非日常的な状態に巻き込まれ、自分の心が動転してしまっていると、あっというまに時間がたってしまう。ドキドキハラハラした心の状態では、そもそも時間の感覚というものがなくなってしまう。

同期ができない

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ドロップボックスを使って、日記アプリを同期していたら大変なことになりました。

iPhoneと、PCの両方に同じ「Day One」というアプリを入れて、データを同期させて使っているのです。とても便利で気に入ってました。しかしあるときに、妙なことに気づきました。iPhone側でのエントリー数は1,933。それなのに、PC側では、3,233になっているぞ。
双方で数が全然合わない。なにこれ?それで、PC側のエントリーを、過去にさかのぼって調べてみました。すると出てくる出てくる、同期時の衝突によって生まれた不要なファイルがぞろぞろと。まったく同じタイトル、同じ内容のエントリーが山ほどある!

もとには戻れない未来がやってきた

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テニスに続いて、昨日も寝不足の方が多かったようです。けさほどのアップル社新製品発表会。[ iWatch ]の姿が明らかになりました。正しくは [ AppleWatch ] というのだそうです。


あくまでアップル信者向けの高級商品にすぎないという人もいるようで、ヒット商品になるかどうかはわからない。それに、老眼の人にはどうもね。

それでも、やはり「時代を変えてしまうもの」であることは間違いないでしょう。大げさに言うと、今日という日に「時計」というジャンルのボーダーラインが変わってしまった。もう私たちは「AppleWatch」以前には戻れない。

サクランボの季節よさようなら

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サクランボのシーズンも終わりました。いよいよ、本格的な秋の到来でしょうか。今朝の錦織選手の試合が、ちょうど今年の夏のおわりを告げているような気がします。



もとの会社の同僚が、FBで彼岸花の最速開花レポートをあげてくれました。
自然界は、着実に季節をはこんでいるのですね。

新聞によると、大阪道頓堀の界隈では、江崎グリコ大看板が改修中だそうです。いままでの五代目看板にあった通天閣が、六代目の新しいデザインにも残るのかどうか、注目が集まっているようです。グリコ側は、そのデザインの全貌を、まだ明らかにしていないらしい。

メロンの快進撃

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錦織選手のUSオープン快進撃、凄かったですね。この数日間、ほんとに楽しませていただきました。放送権料が高騰しているためか、NHKのBSでも放送してもらえなかったのは残念でした。



価値あるものには高値がついて、一般市民の手から離れていく。

マスクメロンも一般市民からは遠いです。頭に一本だけ茎をつけて「僕、大事に育てられました」という顔をしてます。果物売り場の最上段が似合う果物界のプリンスと言えます。

数日前に、金魚と人間が共存繁栄しているのでは、といことを書きました。マスクメロンの運命も同じようなことが言えるのかもしれません。彼らの種の繁栄も、あくまで人類との一蓮托生である可能性があります。これは彼らにとって良いことなのかどうか。

締めに何かいただきましょうか

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仲間と楽しいディナー。一通り料理がおわり、もう結構お腹いっぱいなのに、「締めに何かいただきましょうか」となることがありますね。スィーツ類やコーヒーなどが、そこらの出番を狙ってます。

この「締め」っていったい何でしょうか。
例の「締め切り」ともなにか関係あるのでしょうか。

広辞苑によると「締め」という言葉には、「決着」「しめくくること」「数の合計」、あるいは「束ねたものを数える語」などの意味があるそうです。集めたものをひもなどで締めて束ねるというところから始まった言葉のように思われます。

重要なタイミング

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昨日のブログで、「バラには締め切りがないのに、季節がくればきちんと花を咲かせます」という話を書いたところ、FBのほうで「自己管理できてますね」というコメントをいただきました。まったくですね。

自然界に生きるものは、自分が生存し続けるのはもちろんのこと、種全体が生き延びていくために、ベストの方法、ベストのタイミングを守って、ものごとを進めなければならない。

ハスの花の場合、一個一個の花で観ていると、だいたい四日間咲き続けるのだそうだ。それも、ずっと咲いているのではなく、だいたい前日の深夜から花が開き始め、午前中には一度閉じてしまう。早朝に開いて、9時くらいから閉じるということを繰り返し、その後「蜂の巣(ハチス)」のような花托を残して枯れるのだそうです。

バラの締め切り

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バラには「締め切り」などというものはありません。
「今年の開花締め切りは、5月18日と早めになっておりますので、つぼみのご用意は4月中にはお忘れなく」なんて聞いたことないです。
それでも、いつのまにかちゃんと、それなりの季節にきちんと花を揃えている。一年間かけてじっくりと用意した成果を、満を持して開かせる感じ。急かされることなく、しかも仲間みんなと揃って咲かせる。これが自然界の摂理というものでしょうか。
「締め切り」というのは人間界だけの決まりごと。自然の摂理にはそぐわない。そもそもその語感が嫌です。目の前でぴしゃりと扉を閉められてしまう感じ。取りつく島もないというか、こちらを締め出そうとする隠れた悪意すら感じます。

スケジュールの無い町

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どうして寅さんはウィーンに行ったのだろう?

このところBS-JAPANで、映画「男はつらいよ」シリーズ全作品を一挙に放送しています。毎週土曜日の録画を観るのがとても楽しみであります。

先月は、私の大好きな第41作、「寅次郎心の旅路」が放送されました。寅さんがついに海外へ、しかも音楽の都ウィーンへ出かける回ですね。これがシリーズで唯一の海外旅行なのですが、超ニッポン・ドメスティック人間、寅さんがウィーンに行くなんて、いったいどうして?

ゆらゆらの存在価値

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三郷公園近くの金魚園で、まるまると育ったリュウキン。リボン結びみたいな体型、目も大きくて、まるでアニメキャラみたい。可愛いけどちょっと泳ぎづらそうですね。人間が品種改良を重ねた結果、このようなゆるいお姿に相成られたのですね。 金魚という種にとって、これもひとつの有利な進化なのでしょう。 保護者である人間が絶滅してしまったら、彼らはすぐに自然淘汰されてしまうでしょう。猫よけのネットで覆われた金魚池を見ることがありますが、自然界で生きていこうとしても、無駄に目立つ色なので、まっさきに捕食者に見つかってしまう。 人間が彼らを無理やりに進化させたとも言える。
彼らが人間を使って、自分たちを進化させようとさせたとも言える。
人間と金魚の相互依存関係を考えると面白いです。 でも人間は、金魚の持っている「なに」に依存しているのでしょうか? 投機的価値?お金儲け?

新種のアップル

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今年のアップル新製品発表会は、9月9日に決まったとか。
 iPhone6が楽しみとか、アイ・ウォッチ欲しい!とか言って、みんなと一緒に盛り上がりたいところですが...

僕としてはどちらかというと「あまりいろいろな変更しないでね」というのがホンネ。いま享受している、素晴らしい環境をこのまま使わせてね!という、超保守的ニンゲンとなりました。それくらい、いまのマックやiPhoneを中心とした、コミュニケータの性能はすごいと思うのです。

ところで、アップル=林檎というものは、どうしてこう、素晴らしく面白いことのアイコンになるのでしょう。