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3月, 2012の投稿を表示しています

映像の外にあるもの

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カメラの視線が静かだから映像の外にあるものが見える。
取材の気持ちが穏やかだから言葉の外にあるものが聞こえる。

素晴らしいドキュメンタリーだった。3月9日(日)放送の「あの日から1年 『南相馬 原発最前線の街で生きる』」(NHK総合)。この番組の語り口は実に謙虚で静か。むしろ寡黙。それでいて、見ているこちら側に、大きくて重たい何かを残してくれた。東日本大震災一周年。各局過熱気味の演出が多い中で、この番組の静かさは異色だった。

テレビ番組が、その中で伝えることができる情報の量は、意外に少ないものだという。番組中でナレーターがどれだけ語り、映像がどれだけつぎ込まれようとも、新聞や雑誌などの印刷物の情報量にはかなわない。立花隆氏によれば、NHKスペシャル一本分の情報量は、文芸春秋の一記事の情報量にもならないそうだ。(☆1)

騙される人

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「人間というものは『騙(かた)る動物』である」とは、エドガー・アラン・ポーの言葉。(☆1)「人を騙す」ことはいいとしても(良くない?)、「騙される」対象にはなりたくはない。

名作映画「スティング」は「詐欺師」の映画。最初から最後まで「詐欺」づくし。しかも最も「騙され続ける」のは、ほかならぬ観客なのですよ。そう、騙されるのは映画を見ている「あなた」なんですよ。なのになぜか「あなた」は喜んでしまう。この作品の人気が衰えることはない。何かおかしくないですか。

答えの鍵は、この映画における「騙し騙されるストーリー」の構図にあると思います。

物語における「騙し」には、大きく分けて2つのパターンがある。ひとつは「がっくり」パターン。人間というものは「すっかり信用していたもの」が実は「インチキだった」などという場合には、ムカっとくるもの。誰しも過剰反応して当然です。損をしたり、がっくりきた上に「こんなもの信用してバカね」なんて言われたりする。誰だって怒って当然のパターン。