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3月, 2016の投稿を表示しています

葉っぱの寿命

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がらにもなく、遺伝学の本をめくっていたら「葉っぱの寿命」という章に出くわした。一体なんのことだろう。植物本体の寿命とは別に、葉っぱ一枚にも光合成能力の低下という「老化」の問題があるのだそうだ。ふーん。

そして「落葉しない」はずの常緑樹の葉っぱも、決して「不死身」ではなく、あるものなどは、一年もしないで落ちてしまうのだそうだ。つまり「落葉樹」よりも、寿命の短い「常緑樹」の葉っぱだってある。ややこしい話だ。それでは、植物たちは、こうした自分の葉っぱの寿命をどのようにコントロールしているのか。

聞いてびっくりなのは、すべて「計算づく」の効率重視。つまり一年間に得られる日照量と、自分の葉っぱの光合成の能力などのバランス。さらにいうと、老朽化した施設をメンテしながら使うべきか、あっさりと捨ててリニューアルしたほうがいいのか、すべてコスト計算による判断らしい。いわゆる遺伝学的な最適戦略。ウォール街なみにエグい。

何億年もの間、だてに生存競争してきたわけではないのだ。


切手も貼れない

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1840年のイギリスで、世界で初めて切手が発行された。

切手による前払いと、郵便料金の一律化によって、それまで煩雑だった郵便事業の仕組みは革新的に改善した。切手の発明によって、私たちはますます近代的なコミュニケーションシステムの恩恵に浴することになった。

伝えたい言葉を書いた紙に、絵柄のついた切手を貼る。何とロマンチックなやり方。「きってをはって」言葉のひびきにも、どこか情緒があるではないか。ポストシールとかでなくて良かった。

メールが当たり前になり、LINEやら Facebookなどにお世話になりつつも、時に葉書は使い続けたい。切手を発明したローランド・ヒル氏に感謝を捧げつつ。

SNSには、どう逆立ちしたって切手は貼れないじゃないか。

テレビあたりが怪しい

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神戸で学会があり久しぶりに関西に滞在した。ホテルで何気なくつけたテレビで「世界の職業」という特集をやっていて、それに見入ってしまった。

ロンドンの時計塔、ビッグベンを守り続けるという仕事があるらしい。150年以上の間、動き続けている時計は、その構造もメンテナンスの方法も驚くほどシンプル。今もなお、長い鎖の先端にある重しを動力として、振り子の振動に従って時を刻んでいる。

時計塔の守り人は、何年もの間続けられている手順通りに、手作業でメンテナンスを続けている。時間の進み具合遅れ具合を調整するのも電話の時報を使っていた。デジタルにもネットにも無縁の素朴なテクノロジーである。

人間を動かす動力といえば生命の基本的欲求。もともとは、食欲、睡眠欲、性欲の3つだけのはずで、極めてシンプルだったのでは。それがなぜか、非常に複雑かつ強力な力で、現代人の心の中をかき回すようになっているではないか。誰がそんな風に変えてしまったのか。やはり、この目の前にある、テレビあたりが怪しいと睨んでみる。

勝ったり負けたり

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あっさりと人間を負かしてしまったAlphaGOだが、そう言えば彼にはすごい先輩がいたのだった。2001年にデビッド・ボーマン船長やフランク・プール博士ら、5人の人間クルーとともにディスカバリー号で土星へ向かったHAL9000(☆1)である。彼は「発見的プログラミング」によって神経ネットワークを自己増殖させるという先進的AIだった。

HALにはミッションへの情熱があった。しかし一方で彼の心は繊細で壊れやすかった。そのために途中で神経症にかかってしまい、任務遂行能力を疑われるようになる。他のコンピュータとの交代をほのめかされたHALは、逆上してクルーの大半を殺してしまった。

HALの実力なら、チェッカーやチェスなどのゲームでの全勝は当然だった。しかしそれではクルーの士気にさわるので、五割しか勝たないようにプログラムされていた。こんな気遣いまでさせられていたのも、病気になる一因だったのかもしれない。

「柳田格之進」という落語がある。武士と町人の二人が、身分の差を超えて碁盤を囲み、相親しむ話だ。志ん朝師匠はこの話のマクラで、「囲碁というものは、ちょうど同じくらいの実力の二人でやるのが一番ですね」と語る。そうでないと第一危険だ。片方の相手が刀を持っている。

カジノのスロットマシンなども、ちょうどよく、だいたい五分五分の勝ち負けになるように出来ているとの話を聞いたことがある。もしも、どちらかが一方的に勝ちっ放しなら、そもそも誰もやらない。世の中、勝ったり負けたりだ。

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☆1:Heuristically programed Algorithmic  Computer

通じ合ってるはず

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もうすぐ大学は新学期。今日は、北京から留学生が6人来日。羽田から八王子のアパートまで、リムジンバスの道中を共にした。みんなアパマンとかレオパレスとかを通じて、中国から入居申し込みをして来た。初めて日本に来て、すぐに鍵を受け取れるというのはすごい。お互いの信用を確かめられる世の中になったのだ。知らず知らず、グローバルに風通しの良い世界になっている。
昨年、北京へ行ってみてよくわかった。今の中国の若者たちは、日本の良さを沢山知ってくれている。アニメやゲームはもちろんだが、美味しくヘルシーな日本食や観光地、歴史的な場所の名前など、本当によく調べて知っている。日本の若者と中国の若者は、言葉を超えてどこかで十分に通じ合っているはずだ。
今や、日本は家電や自動車などで、世界をリードする立場にはなくなりつつある。崩壊する社会保障、失速する産業経済、環境汚染などたくさんの難題。
でも、まだまだこれからだ。今回もきっと若い世代が、新しい時代を切り拓いてくれるだろう。明治維新のときと同じように。さてそうなると問題は、むしろ僕たち親父世代が若い世代をどのようにサポートできるかだ。山内容堂、島津斉彬、幕末の賢候のようになれるかなー。

受けて立ちましょう

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異国の人工知能コンピュータと人間の天才棋士、イ・セドルさんとのたたかいが、4勝1敗で終わって、今回はコンピュータの勝ちと決まった。ネット空間がなんともダウナーな空気につつまれているような気がするのは、わたしだけ? 無理な願いかもしれないが、できれば人間が負けるのは、もう10年くらい後にして欲しかった。
 今回のディープラーニングという、AIの新手法による勉強方法が素晴らしかったのらしい。しかし、こう簡単に人間界が負けるとなると、負け惜しみも言いたくなる。将棋や囲碁というゲームは、「もともと機械の方が得意とするもの。それを人間は勝ち負けではなく、音楽のような芸術として楽しみ、かつ展開を味わっているのだよー、ははは」みたいに。
 機械と人間の戦いなら、そもそも勝敗が見えているものだってある。例えば「クレーン車と人間の綱引き」とか、「最速バッティングマシンと野球選手の対戦」とか。やりようによっては、勝ち負けを競うこと自体が馬鹿らしい。
 逆に言えば、ぜったいにこっちが勝ちそうな種目だってある。隣の家の猫とそこらの野良猫を区別する十番勝負とか。とんこつラーメンと味噌ラーメンを瞬時に嗅ぎ分けるとか。今日僕が描いたゆるいイラストは、ビオラなのかパンジーなのかとか。( 自信ないけどビオラです... )こういう勝負ならば、僕でも、グーグルからの挑戦状を受けて立とうではないか。

ちょっと夢中になってました

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しばらくこのブログをお留守にしていましたので、知人の方から「どうしたの?」などと声をかけていただいた。ご心配おかけした方にはすみませんでした。昨年の12月あたりから、トツゼン夢中になるような作業が始まってしまって、そのトリコになっていたのでした。
その作業というのが、なんと、柄にもなくコードを書いていたのです。アップル社が2014年からサポートを始めたスイフト(Swift)という言語が、あまりにも面白くて夢中になってしまったのです。今のところ、出来上がったアプリを公開するまでには至らないのですが、そのうちにゲームアプリや実験アプリのような形でお目にかけることができるかと思います。このブログも、だんだんと、開発日記のような感じにもしていきたいかな、と思っております。
と、いうことで今後ともよろしくお願いいたしますー!