2010年12月31日金曜日

リアル落語家

とつぜん終わらないでくださいね

さびしい。

立川談四楼師匠の連載がとつぜん終わっちゃった。日経新聞の月曜夕刊の「プロムナード」のシリーズ。このところ毎回楽しみにしていたのに。

12月24日のクリスマスイブに掲載されていた「サンタクロース現る」の回を、いつものようにニタニタしながら読んでいて、最後まできてびっくり。文章のおしまいでひとこと。「私の最終回です。いずれまたどこかで」って。

さすがは落語家。話は最後に軽くまとめまるんですね。「おあとがよろしいようで」とか言ってさっと消えてしまう。まあ、せっかくの「落ち」のインパクトを消さないようにという配慮。目立たないように消えさせていただきます、という謙虚さ。これが噺家さんの身上なのでしょう。

ところで、この回の「プロムナード」には何が書いてあったのか?それは、ネタばれになっちゃうからそのまま書いてはいけないよね。でもちょっとだけ書かせてください。「サンタクロース現る」の回のサンタクロースとは、ある熱烈な落語ファンのことなのです。豪華なポチ袋を置いて姿を消してしまった、いまどき珍しい粋なお客様のこと。

今でも落語には熱烈なファンが多いのだ。談四楼師匠によれば、地方にいけばいくほど、公演を心から楽しみにしている方々が多いそうだ。そして首都圏でもなんと一日平均で20カ所で落語会が催されているとのこと。(4軒の寄席をのぞいて)こうした会場には、「落語のうるさがた」を自認するファンもやってくる。

こうした、うるさいお客を前に、芸を披露する落語というものは、演じる者にとっては本当に「おそろしい」ものらしい。亡くなった昭和の名人、古今亭志ん生師匠も桂枝雀師匠も、高座に出るときには相当プレッシャーを感じていらしたようだ。しかしそのプレッシャーを跳ね返すように、芸のパワーが高座に炸裂する。それが名演となるのだって。噺家というのは、本当に大変な仕事なのだと思う。毎日毎日はまさに、お客の目に芸がさらされる、本番と修行の連続。

人気漫才グループ爆笑問題。最近はテレビなども忙しく生の舞台に出ることが少なくなり、ホール公演も映像中継でやってしまう。しかしプロデューサーで社長の、太田光代(太田光さんの奥様)さんは、爆笑問題の芸の「きっさき」が鈍らないようにと、年に一度は必ず生のステージを組むそうだ。生のお客さんの前で芸を披露するということは、そのときそのときの感性を信じて、リアルタイムの自分を表現すること。まさにリアルタイムな「ワザ」なのだ。

いまどきの大学生がよく使う「リア充」ということば。ネット上やゲームでの生活ではなくて、本当の生活が充実していることを言うらしい。「本当の彼氏がいる」とか「本当の収入がある」とか。そうそう「リア充」目指しましょうね。本当のお客さんの前に立つ落語家のように。目の前にいる、家族、友達、先輩、仲間たちの視線から逃れずに。その場でリアルタイムな「ワザ」を決めてくれ!

今年もあと、30分たらずとなった。紅白歌合戦も投票受付時間となりました。それでは、お後がよろしいようで... しかし、立川談四楼師匠の「プロムナード」に「おあと」はない。来年は師匠の著書でも買わせてもらおうかなっと。新年の楽しみにします。

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2010年12月30日木曜日

追いつめてはいけない

太平記絵巻 赤坂合戦

孫子の第八は「九変篇」だ。

以前このブログでも紹介した「火攻篇」よりもだいぶ前に位置している。攻撃に際して避けるべき九つの変法と、利益を守るべき五つの変則があると述べている。そのうちの九つの変法というのを、以下簡単に紹介しますね。

1:高地に陣取った敵を攻撃してはならぬ。敵は勢いを得て味方は労する。
2:丘を背にした敵を正面攻撃してはならぬ。
3:わざと逃げる敵を深追いしてはならぬ。敵になにか計略がある。
4:精鋭な敵を、まともに攻めてはならぬ。
5:おとりの敵兵にとびついてはならぬ。
6:帰ろうとする敵兵にとびついてはならぬ。
7:敵を包囲するときには、完全包囲してはならぬ。
8:追いつめられた敵にうかうかと近づくな。
9:本国から隔絶した敵地に長くとどまるな。

どれも、兵を率いる将の心得として重要なこと。この「九変篇」に述べられている法のうち、特に注目をひくのが、7番目の、敵を包囲するときには完全包囲してはならぬ、という教えです。原文では「囲師勿周 ( 囲地は周するなかれ )」という表現になります。

こちらが攻めている敵を包囲するときは、完全に出口をなくすのではなく、どこかに逃げ道を残しておくこと。通常の感覚だと、敵を全滅させてしまうためには、それを完全包囲して殲滅したくなるでしょう。こっちだって怖いしね。だけど孫子は、はりきりすぎてこちらの損害も多くては、仮に戦いに勝ったとしても意味が無いと教えています。

完全に包囲されてしまった敵は、死にものぐるいで抵抗してくる。それだけに、攻めて優位に立っている味方も、思わぬ損害を被る可能性がある。また、戦いというものは、要するに「勝ち」を決めれば良いのだ。逃げ道を見せれば、敵兵は逃げ道に殺到する。それで勝ちが決まればそれでいいのだ。

天正五年十月、別所長治を三木城に攻めた豊臣秀吉は、このことをよく心得ていました。秀吉勢が外まわりの塀をうちやぶって攻めこみかけたとき、城内からは笠がさし出された。(これは降参の合図です)秀吉側の寄手の兵は、これを許さず、あくまで全滅作戦を続けようとしました。

すると秀吉は、「そうはいわぬものだ。戦さは、六、七分勝てば十分なのだ。降参人を討ち取ったりすれば、敵は必死になる。相手に逃げ道を見せて、早く勝利を得るのがよい」といって、降参人に手を出すことを許さなかった。かしこい!

最近のビジネス書や、社会人マナーの教科書などにも「相手をとことん追い込む議論はしないように」という教えがのっていますね。会社での会議や、研究会の議論などでも、いらっしゃいますよ。どーでも良いことで、とことん激論を交わす方がた。まわりはハラハラドキドキなのだが、本人たちは勝負が決するまで攻撃をやめない。どーでもよいことでね。どーでもよいことで、またお友達をなくしちゃうよ。

孫子の教えは、現代社会の対人関係においても、示唆の多い言葉に満ちています。「九変篇」の七。窮鼠かえって猫をかむ。2000年後の今にも通じる真理ですね。


本稿は、村田宏雄・北川護・村山孚共著「孫子」(昭和37年・経営思想研究会刊行)の内容を参考にさせていただきました。

2010年12月27日月曜日

ライバルと戦え

大鵬も柏戸がいたからこそ

日本ハム・斎藤佑樹投手の経済効果がすごい。

地元札幌での観客動員数増は当然のこと。さらになんと、キャンプ予定地である名護市のホテルが、すでに女性客の予約で埋まりつつある。ファームの練習場である千葉県の鎌ケ谷スタジアムまでが、チケット予約殺到。

斎藤投手。彼の強みは、その甘いマスクだけではない。田中大将君という好敵手がいることだ。ライバルとして、ドラマチックな戦いの予感を盛り上げる。ふたりの戦いはどうなるのか?プロ野球ファンならずとも目が離せない。斎藤投手のような、スターアスリート登場のかげには、常にライバル同士の死闘がある。相撲界の大鵬と柏戸。巨人軍の王と長島。フィギュア・スケートの浅田真央とキム・ヨナ。

あのビートルズが偉大になったのも、ジョン・レノンとポール・マッカートニーという、強力なライバルが争って作曲したから。デビュー当時のふたりは、大の親友であり、いつも互いを支え合う良きパートナーだった。だがしかし、いつかビートルズは巨大な存在となり、グループに対するプレッシャーが大きくなるにつれて、ふたりの関係は劇的に変わっていく。

一発アイデアマンであり、飽きっぽい性格のジョンよりも、音楽の職人で、粘り強いタイプのポールのほうが、グループの音楽をひっぱっていくリーダーとしてはふさわしかった。だからジョンは、次第にそのリーダーシップをポールに譲るようになる。しかしジョンは、そのことを受け入れていながらも、ビートルズが、甘く優美なポール楽曲に独占されていくのを、快くは思っていなかった。

その不満は、ヨーコという援軍を得て、ジョンのリベンジの形となった。ホワイトアルバムのレコーディングの途中で、突然あらわれたヨーコは、ジョンの理解者でもあり代弁者でもあったのだろう。スタジオにベッドを持ち込んで居座るという、なかば「前衛アート」のようなパフォーマンスは、実はジョン・レノン自身のストライキだったのかもしれない。

ジョンの先鋭的楽曲は、さらにその度合いをエスカレートしていく。次第に攻撃的で気まぐれで、理解不能となるジョンの作品。ポールは、露骨に不快感を表していたようだ。ホワイトアルバムの実験作「レヴォリューション・No9」や、アビーロードA面最後の「アイ・ウォント・ユー」後半のエンドレスリフレインなどがそうだ。僕も、はじめて聴いたときは頭がおかしくなりそうになった。レコードの溝がエンドレスになったかと思ったほどだ。

しかし、そんな軋轢や争いも、良い結果につながってしまうのがビートルズ。結局はこうした難解で実験的なジョンの楽曲は、その後ビートルズの芸術的側面を高め、その評価をあげていく。「アイ・ウォント・ユー」の最終的な仕上がりを聴いて、やはりポールは、ジョンへの敬愛をさらに新たにすることになった。ジョンは、あの曲の「ぶった切れポイント」を「絶対ここだ!」と叫んで決めたという。どういう感性をしているのか。

強力なライバルがいる人は幸運なのだ。ライバルと戦っているその時には、邪魔で目障りな存在だとしてもね。

負けずに戦いましょう!仲良くね。


12月22日、英政府はアビーロードを歴史遺産として登録したって。

2010年12月26日日曜日

怒ってはいけない

大阪夏の陣屏風から

孫子の第十二は「火攻篇」だ。

孫子の内容は、後半になってくると、どんどん具体的になってくる。敵をどういう場所でどのようにして攻めるべきかを語る、まさに「兵法書」の面目を表す。この「火攻篇」でも、その前半にあたる第一節では、火を使って相手を攻める場合の心得を、その目的や条件などについて細かく教えている。

ところが、同じ「火攻篇」の後半にあたる、第二節になると、突然にその内容が変わる。戦争の手法ではなく、将たるものの心得についての記述となるのだ。その教えとは「将たるもの感情で動いてはならない」という教えだ。(この第一節と第二節の間のつながりは、後代の編集の誤りと解釈されている)いわゆる豪傑ほど、激して大勢を見誤ることが多い。孫子はその点を厳しく戒めている。

村山孚先生らの翻訳による、孫子「火攻篇」の一説を紹介する。

一体、戦争には勝って何かを得るという目的があるのだ。いくらよく戦ったとしても、かんじんな目的を遂げなければ、むしろ悪である。こういうのを「費留」(骨折り損のくたびれ儲け)という。<中略>不利であれば行動を開始せず、何か得るところがなければ兵を用いず、やむを得ないときでなければ戦わない。これが根本である。

<中略>君主たるものは、怒りによって兵を起こしてはならぬ。将たるものは憤りによって戦いを交えてはならぬ。一時の感情ではなく、「利に合えば動き、利に合わなければ止む」という冷静な判断が必要である。怒りは時がたてば喜びに変わることもあろうし、憤りは時がたてば嬉しさに転ずることもあろう。感情はこのように元にもどることができる。しかし感情によって兵を起した結果、国が滅びてしまえば、それでおしまい。死んだものは生き返らせることはできない。

という内容。

なんとクールで理性的なことか。孫子という本は、徹底的に合理的な価値観で貫かれた兵法書である。その内容は、現代の経営指南書としても十分通用するとされ、沢山の企業経営者が、座右の書としているのも当然である。

民主主義と平和につつまれた現代。しかし現代人の日常は、さまざまな競争や争いの連続であり、社会で活動する個人の生活は、まさに「戦国時代」とも言えるかもしれない。そしてまた、毎日がストレスと緊張の連続でもあり、怒りや憤りに心が翻弄される瞬間もある。ちょっとしたすれ違い、ちょっとした言い合い、決定的な亀裂につながる。

突然届いた失礼なメール、そのメールのたった一言に我を失い、憤りに身を震わせる。そんなときもありますよね。さあ、そんなときはこの孫子の一節を思い出そう。怒りや憤りは一瞬のことではないか。いまここで「逆ギレメール」を送ったら、僕と彼との関係はおしまいだ。今日の怒りも明日には喜びに変わるかもしれない。(あんましそうは思えないけれども)こう考えて我慢しましょうね。

2010年12月4日土曜日

地球外生命体!

地球外生命体と戦う大学教授

12月3日の夜は、世界中が「地球外生命体」のニュースに沸きたつ、はずだった。ニコニコ動画でも、NASAからの発表を生中継しつつ、解説するという映像配信があり、平日の夜にもかかわらず8万6千人もの来場者があったということです。みなさんお疲れさまでした。でも実際のNASAからの重大発表を聞いて、かなりがっかりしたのだけど、みなさんそれなりに楽しまれたのではないでしょうか。

地球上の生物は、植物からミドリムシから、ネズミ、ゴキブリ、人間まで、細胞の中のDNA構造は全く同じ。だから、地球上の生命体は、たったひとつの「起源」から生まれたということになっている。そのたったひとつの起源が、どこでどう生まれたのかそれが大きな謎なのである。生命とは、地球外のどこからかやってきたものなのか、それとも地球上で生まれたものなのか。

宇宙の果てから隕石にくっついてやってきた。宇宙開発に熱心な人たちは、こういう「地球外起源説」を信じる人が多い。そうでないと、宇宙探査をやる理由がなくなっちゃうからね。でも、最近では「生命は地球上で自然に生まれた」という説が主流みたいです。原始地球の海が有機物のスープとり、そこに落雷などの電流ショックを受けているうちに、自然と高度な有機化合物が出来あがった。ちょっと、フランケンシュタインみたいでSFっぽい話なんですが、ちゃんと実験で実証もされています。

今回カリフォルニア州のモノ湖という場所で見つかった細菌は、しかし根本からおかしな生命体。地球上の生命が、体の構成物として使っている元素は、炭素(C)、水素(N)、酸素(O)、窒素(N)、硫黄(Si)、リン(P)の6つが必須。しかし、今回発見された細菌君は、リンの代わりにヒ素(As)を使う。だから、NASAは彼を「地球外生命体」と言ったのだ。「地球外生命体」というには、ちょっと無理があったけど、やはりこれはすごい発見らしい。

この話いずれ、映画に使われますよ。たとえば、地球生命の男性(リン型)と、地球外から来た女性(ヒ素型)のラブ・ストーリー。ふたりは、宇宙ツィッターを使った通信で、愛を育てていた。遠距離恋愛を光速ワープで乗り越え、人種の壁などさまざまな障碍を乗り越えて出会うふたり。そこで交わす抱擁。その時男性は、女性の細胞にふくまれるヒ素成分で中毒死してしまう。こういう話、面白いですか。あんまり感動的ではないけど、SF映画のネタにはなる。うん、うん。

こういう有機化合物の成分をネタにした映画、実はすでにあるんです。(早く言いなさい)SFコメディーの巨匠、アイヴァン・ライトマン監督の「エヴォリューション」です。Xファイルの、デイヴィッド・ドゥカヴニーが怪しげな生物学者を演じ、オーランド・ジョーンズが、もっと怪しい地質学者で出てくる。このふたりのかけあいを見ているだけで、腹の皮がよじれるくらいおかしい。そしてもっとおかしいのが、この映画に出てくるエイリアンなのです。彼こそは正真正銘の「地球外」出身。

エイリアンは、有機化合物のゼリーとして、隕石とともに地球に降ってくる。おまけに、こいつ進化のスピードが地球環境では猛烈に早い。DNAの種類が10種もあるからなのか、通常の生命体が数十億年かけて進化する過程を、1週間くらいでやりとげてしまい、地球を覆い尽くすような巨大生命体へと成長する。ほっておいたら、アリゾナ州全域が覆われてしまう。ところで大パニックとなるアリゾナ州の知事を演じているのは、ダン・エイクロイド。アイヴァン・ライトマン監督とは「ゴースト・バスターズ」以来、息がぴったし。ダン・エイクロイド、もう面白すぎて降参。

前半からずっとバカバカしいジョーク満載で突っ走っていくこの映画、後半で突然「学術的映画」に転身(一瞬ですが)します。ドゥカブニー演ずる生物学教授が解き明かす、エイリアンのDNAの秘密とは何か? エイリアンは、炭素(C)の代わりに窒素(N)を使っているのだ。(これあり得ないんだけどな... よくSF小説で、ケイ素生命体はあるけど)

つまり、生命体に使う物質が、周期律表上で、まるごと一列、右にずれちゃってる。「地球上の生命にとっての毒はヒ素。だとしたら、あいつにとっての毒は、セレン(Se)に違いない」と気がつく。有機体の成分が、右にずれているんだから。実はこれが、今回NASAが発表した話(リンの代わりにヒ素を使う細胞)に、ちょっとだけ似ているんですね。

かくして、勇敢なるインチキ学者集団は、二硫化セレンが使われている「アレ」を消防車のタンクに満たして、エイリアンの成長する砂漠へと向かうのであった。「アレ」って、スーパーマーケットで売ってる「アレ」ですよ。おっと、ネタバレしないようにっと。

この映画の結末は、自分で観て確かめてくださいね。
だってこの映画、本当に面白いんですから。


不思議な細菌が発見されたモノ湖
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2010年12月1日水曜日

天才の試練

大学助手になれなかった

部長の悪口を散々並べて盛り上がった飲み会の翌日に、その議事録が部長のところにとどいたようなものでしょうか。怖いですね。やっぱし、人の悪口というものは、言わないに越したことはないのですね。

私もつい先日、偉大なるチャールズ・ダーウィン卿のことを「暇な人」呼ばわりしてしまった。いけませんいけません。綸言汗の如し。気を取り直して、いやええと、気を引き締めて、書き続けます。

天才が出来上がるには時間がかかる。結論はそういうことなのでした。でも、時間をかければ、それで天才が出来上がるのかというと、まさかそんなことはない。もし、そうならば、今頃この世の中は、天才だらけになっているはず。それでは、どのような条件のもとで時間をかけた時に天才は生まれるのか?前回紹介した、竹内薫さんの「天才の時間」という本は、実にここのところを綿密に調査されているのです。実に、興味深い結果が示されているので、以下紹介します。

アインシュタインは、頭の中に物理学のアイデアがいっぱいある時に、当時な大学教授から「あんたは才能がない」と拒絶された。そして特許庁で過ごした不遇の時代に、暇な時間を手にした。この時間が、後の「特殊相対性理論」を生む。( 逆に大学に採用となったアインシュタインの友人たちは、誰も際立った業績は残していない)

ニュートンは大学在籍中に、ペストの流行による大学閉鎖で、二年近い休学を余儀なくされる。しかしこの時過ごした、故郷のウールズソープで、微分積分、力学、光学など、現代物理学の基礎を、ひとりで作り上げてしまう。

グレゴリー・ペレルマンは、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞。でもそれを辞退してしまう。賞金は一億円なのに。ペレルマンの場合は、数学に没頭するあまり、世間のことやお金のことは全く興味がない。だから人生そのものが常に「休暇」ということになる。竹内先生のこのまとめかた、本当に見事ですね。

そして前に紹介した、チャールズ・ダーウィン。彼はイギリスのウェッジウッド家につながる名家の出です。裕福であったために、あり余る時間があったのですが、研究に没頭する彼の努力無しには、進化論は生まれなかった。

このように、天才というものは、あたかも良いお酒が「樽の中で熟成」するような事例が、たくさん紹介されています。この他にも、ユング、エッシャー、宮沢賢治、ヴィトゲンシュタインなど、天才たちの「熟成過程」に関する考察があります。

いずれの天才のエピソードも、興味深いものばかり。しかしこの「天才を生み出す熟成過程」は、天才本人にとっては不本意なものだったかもしれない、というところが大事なのです。アインシュタインが、大学に入れなかったのも、ホーキング博士が不治の病になってしまったのも、宮沢賢治に不幸な事が重なったのも、神が与えた試練。竹内先生のおっしゃる通り、これらのことは「本人は全然望んでいなかったこと」だったに違いない。

神様が与えた試練に耐えたものが天才となるのか。
あるいは、神様は天才にのみに試練を与えるのか。