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3月, 2014の投稿を表示しています

二卵を以て千城の将を棄てる

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イノダコーヒーでのモーニング。
トーストに乗ってきた目玉焼きを食べつつ考えた。

人事評価的について「減点評価ではなく加点評価」でという話がでることがある。つまり人を評価するのに、失敗したことを減点するのではなく、プラスになったところだけ前向きに評価しましょう。ここで言いたいことは「失敗をおそれずにみなさん勇気を持ってチャレンジしよう」ということである。

明治44年に大学は出たけれど

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夏目漱石は、小説のみならす、講演の名手でもあったそうだ。明治44年に明石で開かれた講演会の内容が「道楽と職業」というタイトルで出版されている。

その中で、大卒者の就職難に触れている。当時の大卒者の数たるや、現在とはまるで違うだろうし、社会における職業のあり方も全く異なったはずた。しかし大卒者にとって、就職というものが簡単ではなかった。この点だけは、現代と似た状況であったようだ。

漱石は「最高等の教育の府を出」た若者たちが、「何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている」。「三ヶ月も四ヶ月もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく」しているものや、ひどい場合、「一年以上も下宿に立て籠って」いるものもいる、と嘆いている。

「職業の種類が何百とおりもあるのだから」どこかに決まりそうなものだが、「ちょうど嫁を貰うようなもので」、「いくら秀才でも職業に打付からなければしようがないのでしょう」。もっともな話である。

アイラ島のボウモア18年

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仙台から高校の同級生のE教授が上京してきた。そうだな、彼と僕との共通点といえば、高校の卓球部で、いつもラリーの練習をしていて、同じ頃に辞めたことかな。専門領域も学力レベルもまるで違うのだ。僕は放送局出身のエンタメ系。彼はいまや日本の物理学を背負って立つくらいの先端的研究者。

彼の研究は先日の日経サイエンスでも紹介されていて、海外の科学誌にも掲載されている。そういう世界的レベルの方。せっかくそういう本人が目の前にいても、研究の内容について、僕は理解するどころか、質問することすら出来ない。歯がゆい。

存在するとかしないとか

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今月のナショナルジオグラフィックの特集で、ブラックホールを取り上げていた。アインシュタインは、その存在を否定していたというが、現代の天体観察データによると実際にあるもののようで、物凄い勢いで、物質を飲み込んでいて、光すらもそこから逃げ出せないらしい。

データ上、そこにあると言われても、実際に目で見ることは出来ないんだよね。目には見えない。ということは、僕たちの常識でいうと「存在していない」というものの部類にはいるのでは。凡人の僕にはそのように思える。

日本ではどこに行きますか

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先日、引退を発表した琴欧洲。引退のインタビューで、これまで一番良かったことは、と聞かれて、「日本に来たこと」と答えてくれた。奥様も日本人で、日本が大好きになってくれたんですね。きっと彼は、本当の意味で日本の良さ、日本人の素晴らしさを知ってくれたんだな。

いまは卒業のシーズン。大学では、お子さんの卒業式に参加するために親御さんが来日されることがある。こうしたお客様との会話で、つい僕は「日本ではどこに行きますか? 京都ですか」とか「北海道もいいですよ」などと、決まりきった観光地の名前を並べてみたりする。我ながらワンパターンで能のない会話。もう少し、日本の本当の良さについて紹介する、気の利いた話はできないのかしら。

シングルタスク人間でいいではないか

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iPhoneの電池が持たなくなったので、銀座のアップルストアに行った。ジーニアス・バーに行く前に、トイレを探したり二階でアクセサリーを見たりしたいるうちに、修理の用事を忘れそうになった。

こういうことって、ちょいちょい起きる。でも、特に僕の脳がおかしいとは思わないことにしている。人間の脳というものは、基本的に一度に一つのことしか出来ないものだと聞いたことがあるからだ。

寸法を間違えると大変なことに

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窓際の棚の上で育っているバジル。本当はトマトスープに入れられるため食用としてスーパーで買われてきた。あんまり小さくて食べるのも可哀想というわけで、こうして育成されている。いまや15センチを越える大きさになった。
15センチといえば、約5寸である。いまや、誰も寸とか尺とか言わなくなったのだが、テレビや舞台の世界では相変わらず、「尺寸法」が使われている。長年の習慣で、僕もいまだにこの寸法が、うっかり口から出ることがある。先日も、ホテルの人に台の高さを聞かれて「3尺か、2尺5寸くらい」と答えてしまい、ものすごく変な顔をされました。

ランチの選択ミスで

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昨日、遥かオーストラリアにて「失望された」という話を書きました。すると、何人かの親切な友人から、なぐさめのコメントなどをいただきました。いったいぜんたい私はなにをしでかしたというのか? ご心配をおかけしてすみません。

そのプロデューサー(というかマネージャー)は、キャシーと言う方でした。もしかして元女優だったのではないかと思われるほど、なかなかの美人でしたね。お人好しでジョーク好きが多い美術部とは違って、制作部のマネージャー系の人はどこか真面目で冗談が通じない。キャシーも基本的にはいい人なんだけど、ちょっとお高くとまるところがあって、僕はそういうところがちょっと苦手でした。(嫌いなキャラではなかったし、意外と仲良しでもありました)

あなたには失望しました

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「あなたには失望しました」

こんなようなセリフを面と向かって言われたことありますか。私、なんぼでもありますよ。テレビ局の中で、スタジオセットをこさえたり、CG映像なんぞ作ったり、何年もやっていてですね、毎回「素晴らしいお仕事有り難うございました」ばっかり言ってもらえるはずがないではありませんか。

10回の仕事のうちに一回くらいは、誰でもはずすことあるでしょう。「失望しました」と言われる、というのは別に、政治家の方々だけのご専門ではないのです。私ごとき下っ端でも、デザイナーなどという仕事をしていたら、日常いつでも起こりえること。いわば職業上のコミュニケーションの一部なのです。