帝国ホテルについて知ったかぶり
スェーデンで大学教員をされている我が同輩H氏は、フェースブックでほんとに面白いことをつぶやく。彼のお話には、いつもいろいろと考えさせられる。このたび彼は、アマゾンのKindle版で「ゴッホ-崩れ去った修道院と太陽と讃歌」という立派な、デジタル本を出版したという。その手際の良さと行動力に感服するわけだが、それより面白かったのは、彼の感想。
キンドル版への登録はそれほど大変ではなく、本ができていれば30分もかからず登録できるという。そして彼はいまのこういうデジタル的な作業と、昔の作業をくらべて振り返る。彼が会社にはいった当時(それは僕がはいったころと一緒だ)は、学会発表の原稿は原稿用紙に手書き、会社の大部屋でチェリーかなんかをスパスパ吸いながら手書きで書いていたって。
H氏は、その頃のことを「今よりももっと、夢のようだ」という。本当にそうだ。チェリーをスパスパ吸いながら手書きで原稿書く。これぞ贅沢の極みではないのか。(僕チェリーは吸わないけど)そう思った。デジタルワールドで、一瞬にして世界中に出版するのは、それはすごいけど、手書きで書くってそれも全然違う意味ですごいじゃん。
キンドル版への登録はそれほど大変ではなく、本ができていれば30分もかからず登録できるという。そして彼はいまのこういうデジタル的な作業と、昔の作業をくらべて振り返る。彼が会社にはいった当時(それは僕がはいったころと一緒だ)は、学会発表の原稿は原稿用紙に手書き、会社の大部屋でチェリーかなんかをスパスパ吸いながら手書きで書いていたって。
H氏は、その頃のことを「今よりももっと、夢のようだ」という。本当にそうだ。チェリーをスパスパ吸いながら手書きで原稿書く。これぞ贅沢の極みではないのか。(僕チェリーは吸わないけど)そう思った。デジタルワールドで、一瞬にして世界中に出版するのは、それはすごいけど、手書きで書くってそれも全然違う意味ですごいじゃん。
僕のジャンルでいうと、デザインの作業でも同じである。いまなら、例えば画面全体に等間隔で線をひくなんていうのは、コピーと繰り返しみたいなコマンドで一瞬で出来る。これが、僕の会社はいりたてのころだったら、カラスグチ(烏口)とか、ロットリングなどを握って、息を止めて線を引いていたのだ。B全の紙に線をひいていたら、おそらく一日かかっても終わらなかった。
チェリースパスパとか、カラスグチでサーとか、そういう手作業による時間というのはどこへ行ってしまったのだろう。あの時間っていうのは、考えることがゆっくりとできる時間だったのだよな。決して効率化されるべき無駄な時間ではなかったと思う。
帝国ホテルに用事があって立ち寄ると、ロビーで「フランクロイド・ライト館」展が開催されていた。いまの帝国ホテルが三代目だとすると、「ライト館」は二代目にあたる。フランクロイド・ライトによるアール・デコ様式のデザインが、ゆたかに展開された名建築。だがそれは、今ここにはない。今の帝国ホテルは高層ビルに生まれ変わった三代目なのだ。
隣りで私と同じように展示の写真に見入っていた外人さんが、突然こう聞いてきた。
「なんでまた、こんな素晴らしいものを壊してしまったんだい?」
とっさに私。「. . . . おそらく、空襲で焼けてなくなったのでは?」
「でも、壊したのは1968年って書いてあるよ、ここに」
「え?」「あ、ほんとだ」
「君たち日本人は、経済性ばかりを考えて壊したのではありませんか?(眼で)」
最後のセリフは、彼の目つきから読み取れた彼の声である。申し訳ない、僕の間違いでした。「フランクロイド・ライト館」は関東大震災でも倒壊せず、東京大空襲でも焼け落ちはしなかった。帝国ホテルについて知ったかぶりをしてはいけない。
あとでいろいろ調べている見たら、当時、大変な移築反対運動が起きたにもかかわらず、地盤沈下や老朽化を理由に取り壊されることになったらしい。もし今も、ここに残されていたら、どれだけの名声を得ていたことか。現代の技術を持ってすれば、オリジナルの建築の大半を保存しながら、地下や高層階を付け足すことが出来たのではないだろうか。
大谷石をふんだんに使い、凝りに凝った荘厳な意匠。「フランクロイド・ライト館」は、玄関部分のみ明治村に移築されて保存されているが、その全貌は写真や模型でしか見ることができない。一度壊したものはもう戻らない。
一度手放した鉛筆はもう握られない。カラスグチも、もうどこかに消えた。今日のイラストは、ダットサン17型セダン(1938年)である。日産のショールームで展示されていた。いまでも通じるモダンなデザイン。こんなクルマに乗る時間というのも、贅沢な時間だったのだな。