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007の仕事も変わりました

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「スカイフォール」を見るとスパイ仕事も隔世の感がありますね。この第23作でシリーズも50周年とか。Qが用意する武器類を見ても、指紋認証付きのワルサーPKK/S、サイバー戦争を戦う最新鋭のパソコン(☆1)、WiFiによる無線爆破装置など、007もITを駆使した闘いが出来なければ、現代のスパイ戦は闘えないようです。
ネット社会では「これからの世界ではコードを書けることが必須」と言われていていますが、まったくですね。次回作あたりでは囚われの身となったボンドは、脱出のためのコードを自ら書いているのかもしれない。これからスパイ活動はITによるインテリジェンスが最重要事項なのかも。私たち庶民の生活だってITを駆使しなければ世の流れにはついていけませんからね。
それに対して、悪者たちがやることの基本は変わっていませんね。2010年にパリで盗難にあった、モディリアニの「扇を持つ女」が、上海のアジトで競売にかけられていました。(☆2)ただし、そこで行われる殺人の舞台は、まるでプロジェクション・マッピングさながらにCGの光の洪水に彩られていました。

士道の本懐

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このところ泉秀樹先生の作品にぞっこんです。たまたま「てんとう虫(☆1)」の3月号に載っていた「明暦の大火の後(☆2)」というエッセーを読んで、さらに連作歴史小説「士道の本懐」を読みました。

歴史を知らないものは現代も知ることはできない。こういう言葉がありますが、なかなかこの現代に生きる私たちには「日常的に歴史から学ぶ」ことは難しいです。泉秀樹先生の本からは、知らず知らずに時代を超えて私たちが学ばなければならない「人生の真実」というものが、自然と目の前にあぶり出されてくる思いがします。

特に「士道の本懐」では、江戸中期からなんと戊辰戦争の頃までを通して、天皇、近衛家、大石家、そしてはるばる水戸班へ繋がる人間模様が、鮮烈に描かれている。いまも未だ泉岳寺には、赤穂の忠臣にささげる花や焼香が消える事はない。しかしそれが幕府と近衛家との駆け引きの中で、大石内蔵助が勝ち取った「武士の本懐」だったとは。まさに目を開かされる思いです。

しかしこの物語を通じて、感じるのは、だんだん時代を下るにつれて「男子が本懐を遂げる」ということが、難しくなってくるということ。

江戸中期に、水戸班から都への献上物である新鮭の荷を死守した茂衛門は、水戸光圀より手厚く供養され、末代までひとびとの記憶に英雄として記される。赤穂の四十七士も、近衛家よりその顕彰をたたえられ続ける。


手書きでよかった

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あの「アラバマ物語」の続編が出版されることになったという。なんということか。新作ではなく、原作者のハーパー・リー(☆1)さんが、大昔に無くしていたと思っていた草稿が残っていたというのだから驚きだ。
「アラバマ物語」より先に書かれたものだそうだが、小説内の時間としては続編ということになるらしい。これは、まるでビートルズが「レット・イット・ビー」の前に、もう一枚アルバムを作っていたというのに等しいくらいの驚きではないだろうか。出版が実に楽しみ。またアティカスに会えるんだ。スカウトはどんな女性に成長しているのかしら。できれば映画化されてほしい。
55年ぶりに発見された原稿とのは、おそらくタイプライターか手書きだろう。だからこそ当時のままで残っていたのだ。もしこれが現代のようにワープロソフトのデータであれば、まるごと消えていたか、残っていたとしても再現することも出来なかったかもしれませんよね。
週末の朝日新聞に載っていたが、豊臣秀吉の手紙は数千と残っているそうだ。戦国時代の武将の中で、秀吉は突出した「筆まめ」だったようで、手紙によって部下を支配し人心掌握していたとか。
現代の経営者が部下に送っているメールも、将来誰かに読み返されるなどということがあるのだろうか。未来には何億通というメールのアーカイブが残る。たとえ残っていたとしても、こんなにも膨大にふくれあがったビッグデータの塊を、誰が掘りかえそうとするものだろうか。
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☆ハーパー・リーさんの写真も掲載されていて、まるで「アラバマ物語」のスカウトが、そのままおばあちゃんになったようだった。

どこにでもいる

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JR東日本トレインチャンネルのCM映像「New Unit PROMISE デビュー・プロジェクト(どこでも返せる篇)」の落ちが大好きです。
テレビ局オーディションに売り込みにいったギター男二人組。事務所社長(谷原章介)「千年に一度の逸材」という売り文句も虚しく、TVプロデューサー風の男から「こんなのどこにでもいるでしょ」と一蹴される。
「ん?」ここからの社長のリアクションがいいですね。侮辱されて色めき立つバンドメンバーとマネージャーを制して「どこでもとは凄いじゃないか!」とあくまでポジティブ満載なオーラを発散させる。こんなふうに、むりやりにでも物事を明るく考えてくれるCMは嬉しい。起承転結の結がねじれているけど、それがまた可笑しい。いつでもどこでも、お金が借りられるのもいいけど、いつでもどこでもポジティブで前向きというのがありがたい。当のバンドメンバー、柄本時生と勝地涼も、わけもわからず肩を組んで笑っているではないか。
若者というのはいつも「オンリー・ワン」であったり「たったひとつの個性」であったりすることを求められているので、「君みたいのは、どこにでもいるでしょ」とか「君の代わりは沢山いるよ」と言われるのはつらいこと。受験や就活を通して、自分がいかにユニークかつ優秀かを証明しつづけなければならない。彼らにはなんと辛いことか。
彼らの「個性」は、まだ彼らの内部で静かに眠っているだけかもしれない。同じような価値観を与えられ、同じような教育を受けてきた彼らが、表面的に似たようなベールをまとっているのは、ある程度仕方がない。小さなころにはあった個性を、隠されてしまっただけかもしれない。

うちの大学の4年生もこれから社会に出ていく。とりあえず「どこにでもいる」っていうのもいいのではないですか。とりあえず普通の平均値からはじまっても、いつか社会でもまれていくうちに、たったひとつの自分が輝きだすのではないですか。