投稿

待たされる時間

イメージ
今年の大学の授業で、黒澤明監督の「赤ひげ」を取り上げました。準備のために原作の「赤ひげ診療譚」を読み直したところ、そのあまりの面白さに驚き山本周五郎ファンとなりました。「樅の木は残った」や「山彦乙女」など、順不同に読み漁っています。
読んでいて、あることに気づきました。 山本作品の主人公たちは、とにかく良く「待たされる」のです。
職場の上役や敵に談判に行く。しかし面会がかなうまでには2〜3時間は待たされる。友人との食事ではその前に風呂を沸かして汗を流す。そして酒の燗が着くまでを待たされる。仇討ちの前にはじっくりと身支度をする。そんな時でもまずは昼寝までする。
何をするにしても下準備があり待ち時間があり、その間に本人の心が落ち着き、想いが形になり、そして決心が固まる。昔の人には心を熟成させる時間があったのですね。
短編集「日々平安」の中に「橋の下」という物語があります。早朝の決闘に出かける主人公は、緊張のあまり2時間も早く出かけてしまう。しかしその「待ち時間」おかげで、自分過ちに気づき難を逃れることができた。
植物たちも「待ち時間」を気にしない。忙しい生活でこちらがバタバタしている間にも、地味にしっかりと成長している。我が家の庭先の「カネノナルキ(ほんとうは花月というらしい )」 も、数週間の「待ち時間」の間に大きくなりました。



シースルーになってる

イメージ
ハンバーガー・フリークの私が一番好きなのは、フレッシュネスバーガー。お店のテーブルに、必ずシースルーの花瓶が置いてあるのがお気に入りです。
1990年くらいだったか、iMacのデザインがシースルーだった時期がありました。本体もマウスも透明なプラスチック。しかもそれがミントグリーンやスカイブルーなどのポップな色彩だったので、iMacが沢山並んだオフィスは、遊び心とクリエイティブな空気に満ちていたものです。
近所の病院の待合室には面白いコーヒー自動販売機があります。内部に小さなカメラが設置されているらしく、コーヒーの製造工程をモニターに映しだすのです。
1;豆を挽く工程 2:お湯を注ぐ抽出工程 3:最後にフタを取り付けて取り出し口まで運ばれる工程
この全てがカメラで映像中継されるのです。その中で白眉といえば、それはやはり「抽出工程」。挽いたばかりの豆にお湯が注がれる重要なシーン。そしてその20秒間のショットには、こういう文字プレートが映りこみます。
「あなたのために一生懸命抽出中」
なんと嬉しいセリフ。お客への感謝の気持ちをストレートに伝えてくれる自販機。普通よりも倍くらい高いけど、ほっこり嬉しい気持ちになるではないですか。実際にコーヒーも美味しく感じます。スタバなどでも、店員さんに「あなたのために一生懸命抽出中」って言われたら、それは嬉しいですよね。
人間もこんな風にシースルーならばわかりやすいのにね。ご機嫌だったはずの人が急に怒り出すとか、怒っているようで実は誘って欲しいとか。人間というものは表面からは中身がわかりません。シースルーの自販機に比べても、だいぶめんどくさいものですよね




AIにはできない

イメージ
ネットフリックスのおかげで、スタンダードな映画はいつでも気軽に見られるようになりました。山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズなんかは、48作全部続けて見ることすらできるんです。
「男はつらいよ」第18作の「寅次郎恋歌」。寅次郎は旅先で義弟博の父、諏訪飈一郎(志村喬)と出会います。例によって酒の席で失敗したあとで、人間の生き方についてとくとくと教わるのです。
そこで飈一郎が寅次郎に語って聞かせるのは、なんとフローベールの姪が書き残した文章なのです。「リンドウの花がいっぱい咲いている庭で、農家の主婦が子供たちを叱りながらご飯を食べている。ご覧、あれが本当の人間だよ」フローベールが、姪にこう言ったのだそうです。
一体、誰がこんな脚本を書いたのでしょうか。
それは、山田洋次監督の共同脚家の浅間義隆さん。脚本に詰まった時に、山田監督が本当に頼りにしていた浅間さん。大変な勉強家、読書家なのです。「男はつらいよ」シリーズの随所に、可笑しみのあるエピソードやペーソス溢れたフレーズが登場するのは、博覧強記のこの方のおかげなのですね。
こんな芸当は、AIにはまずできないと思いますね。




二セットある

イメージ
ホットコーヒーが飲みたくて、大学のロビーにある自動販売機に110円入れました。コーヒーが出てくるのを待つあいだ自動販売機のパネルを見ながら変なことに気がつきました。
「同じキリマンジャロのボタンが二セットある!」
「キリマンジャロのブラック」「キリマンジャロの砂糖入り」「キリマンジャロのミルク入り」「キリマンジャロのミルク砂糖入り」 これら4つのボタンが、まるまる二セット(つまりぜんぶで8ボタン)あるのだ。一体なんのためだろう?
右の「キリマンジャロ」と左の「キリマンジャロ」とでは、豆の種類がちょっとだけ違うのか? それとも、コーヒーの豆が別々のケースに入っていて、片方が売り切れてももう片方のボタンを押したら出てくるようになっている? 片方は、急いでいる人用の「早出し」ボタンとかだったりしたらすごいかも。
今度、自動販売機のメンテナンスでドアが開いている間に、のぞいて確かめて見たいと思います。 中はどうなっているのかちょっとワクワクします。まあ、おそらくボタンが余ったので、人気ありそうな「キリマンジャロ」に二セットのボタンを割り当てただけでしょうが...
話は違いますが、シクラメンの花鉢も、 違う種類を二セット並べておくと可愛いですよね。
最近はトイレットペーパーも二セットある場合が多いようです。どちらかが無くなったときの用心でしょうが、これも二種類おいてあったら楽しいですね。色違いとか。
新年早々、暇な話で失礼いたしました。 まだ、頭がお正月モードですね。






あけましておめでとうございます

イメージ
新年となりました。今年は戊戌の年で私は歳男です。改めてみなさまよろしくお願いいたします。

消えた記憶

イメージ
古代文明といえば黄河文明、そしてインダス、エジプト、メソポタミアの四大文明だ。いまではアメリカ大陸にもメキシコやアンデスの付近にも、古代文明が生まれていたことがわかっている。しかしアメリカの古代文明には文字がなかったため、それがどんな文明だったのかよく分からないらしい。記憶が消えてしまった文明。
僕たちの日常では、こうしてブログを書いたりメモしたりと、記録をするのが当たり前。文字だけでなく写真も撮ってインスタグラムにあげたりもする。まさに「記録」の日々である。おかげで、自分の人生のどの時間に何があったのか、かなり正確に思い出すことができる。
これがもし、文字も写真もないという時代だったならば、どうなるのだろうか。どのようにして自分の過去を思い出したらいいのだろう。思い出せるには思い出せるけど、かなり曖昧なものにしかならなかっただろう。日本でも江戸時代以前の人々は、自分の人生についてもぼんやりした記憶しか持てなかったことだろう。
だがPCのデータを更新するたびに思う。デジタルデータなんかいつ消えてしまうか分からない。ちょっとネットが繋がらないだけで、全ての記憶が無くなったようで、不安な気持ちになる。それに、書物にしても写真にしても永遠ではない。
現代でも、大事なことはロゼッタストーンのように石に刻むべきかも。でないと、現代の文明だっていつかはどこかへ消えてしまう。いや待てよ、別に消えてもしまっても大丈夫かも?またいつか新たな文明が生まれるだけのことか...

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
スケッチ:西湖 韓国 光州市内にある蓮の池 です


月が浮かんだ歴史の街

イメージ
今日は中秋の名月なのですが、あいにく東京は雲が多くて少ししか見えませんでした。かわりに、およそひと月前に光州市で見た月を思い出しています。
日本の統治時代の朝鮮大学に作られた白亜の校舎。山の上の方にそびえていて、近代的なキャンパスエリアと対照的なクラシックな佇まい。その上空に白金のような満月が光っていたのが印象的でした。
学会発表で訪れたのですが、光州市は韓国の民主化運動の中心であった場所。光州ビエンナーレなどの国際的イベントが開かれる近代都市でもあります。歴史の証人でありながら未来に開かれた場所という印象を持ちました。

止まらない日々

イメージ
ちょっとした出張の出先ではいったホシノ珈琲店。ついつい、モンブランのケーキセットを注文してしまったということは、疲れもあったのかもしれません。
今年は、いつもより夏休みが少しだけ短くて、そのぶん慌ただしくものごとが進んでおります。大学の仕事はいちど始まると、なかなか止まれません。準備と授業との繰り返し。ブログもすっかりほったらかしで、気がつけば2ヶ月ちかくブランクが空きました。
止まらない日々。世の中いろいろと疾走中ですね。解散選挙、市場移転、東芝売却、英国航空会社破綻、それにアジア情勢。なんだろうか。ものごとがすべて慌ただしく進み、振り返る余裕もない。ここらで、一息いれて、ゆっくりと考える時間が欲しいところです。
ふー。 モンブラン、いただきます。


285枚の葉書

イメージ
駅中のカフェBECK'Sで「濃厚レモネード」を頼んでみた。グラスの水面から底まで4枚もの厚切りのレモンが潜んでいて、横からながめると水族館のよう。レモンは4枚とも取り出して食べてみた。周りの視線など気にしつつ、思い切りビタミンを摂取してみました。
ヒューマントラストシネマ有楽町で「ヒトラーへの285枚の葉書」を観た。フランス戦線で戦死した息子のため、単独行動でナチス批判の葉書を書き続けた夫婦。1940〜43年のベルリンを舞台にした実話である。葉書を書くといってもナチスが支配する当時は命がけの行為であった。
小さめのスクリーンだったがほぼ満席。終戦記念日の直後なので、観客のみなさんは、みな日本における戦争に重ねて観ていたことだろう。身を捨てて息子の思いを晴らす母親を、エマ・トンプソンが見事に演じていた。悲劇的な結末も荘厳な美しさに溢れていた。
メル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」もそうだったが、これまで記録に埋もれていた、75年前の個人の偉業に光をあてる。監督のヴァンサン・ペレーズはまだ53歳。地味だけど心に重く響く物語。こうした映画が作られることも、真に偉業だと思いました。



詩仙堂

イメージ
徳川家康の家臣であった石川丈山は、少年の頃から軍功を挙げるため武芸を磨いていた。その甲斐あって家康の側に仕えることができたのだが、肝心の関ヶ原の戦いでは、その血気盛んな性格が災いして判断を誤った。
武功を焦るあまり、軍規をやぶる早駆けをしてしまったのだ。それを家康から叱責された丈山は、山奥の詩仙堂に身を隠した。その後は一生隠居として暮らしたというから、サラリーマンでいえば部長昇進間近に早期依願退職したようなものだ。
90歳まで長寿を全うし詩歌三昧の生活を送っていた。ここ京都郊外に過ごした後半生は静かで幸福な毎日だったことだろう。もしも逆に、そのまま武士の生活を続けていたら、なにかの拍子に早死にしてしまったかもしれない。
早期退職して趣味三昧の生活も悪くない。これからは、定年延長と生涯現役の時代といわれるが、なかなか判断が難しいところだ。