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一皮むくと

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ジャガイモのイラストにしては、殺伐とした話で恐縮である。 家族のスマホが水没したことをきっかけに騒動が起きた。いわゆる解約問題だ。
スマホの機種変更。ついでに光通信のプロバイダを変更。ところが、これがもう異次元に大変なのである。現状加入しているプロバイダの「解約」がどうしても出来ない。
加入のときは簡単だった。全国どの店舗でもいつでも対応。しかし解約には高い障壁がめぐらされている。窓口はなぜか九州のみ。電話はプッシュホン自動応答。こうして一皮むけば、このプロバイダの本性が、見えてくるのだった。
河東哲夫氏の著書にあったように、ロシアではいまも「計画経済」であるという。すべての生産は中央政府の計画に依存している。どこで何を作るのか。部品をどれだけ調達するのか。それをどれだけどこへ運ぶのか。すべて政府が決める。
ロシアにとって「自由競争」や「自由市場」は理解不能。社会経済はすべて誰かが意図的にコントロールするというのが、ロシアの常識なのだという。国家における本当の経済力は、真の自由市場からしか生まれないというのに。
しかしあれだ。日本においても計画経済は存在するようだ。プロバイダ同士の競争は、サービスの競争というよりも、制度設計の競争みたいだから。

太陽を追いかけて

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いつもせっかちにパラパラとめくる日本版ニューズウィーク。それでも河東哲夫氏のコラムだけは、スミからスミまで読んでしまう。なんというのだろう。ライブ感とスリルというのか、国際政治の現場のリアリティがたまらない。さすが、元ロシア大使館公使など外交の要職を歴任した方の記事だ。

今回はウズベキスタンのカリモフ大統領の逝去後の中東ロシア情勢についてのレポートだった。それで興味も膨らんで、河東氏の著書「ロシア皆伝」も読んでみることにした。読んで大変。面白すぎて電車を2回乗り過ごし終電で帰る羽目になった。

日本人とロシア人は友達になれるか? 答えはイエス。ある共通の目標を持って、心と心のお付き合い、そしてきちんとした情報交換、これで素晴らしい信頼関係を築ける。このことは、やはりソ連ロシアを舞台に活躍した佐藤優氏も述べていたと思う。ロシア人とは、日本人と共通する、人間的感情と情熱の人々でもあるらしい。

ロシアが追いかけている太陽、いまそれは、共産主義でもなく、欧米の経済でもなく、国家の覇権でもなく、ロシア人のアイデンティティと溢れるロマンなのかもしれない。そんなことを感じさせられた。ヒマワリの視線の先には常に太陽がある。もしも日本人とロシア人、同じ太陽を追いかけることができたならば、また違った未来も見えてくるのかもしれない。

今日は、9月11日。
ガラにもなく国際情勢、ちょっとだけ考えてみた。
私の力では河東氏の著書の魅力すべては伝えきれず、ただご一読をお勧めするばかりである。



奈良井のヒミツ

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中山道34番目の宿場町だった奈良井を訪ねた。

信濃の山々の緑が空に向って輝く天空の宿場町。中山道はぜんぶで六十九次あったというから、ここは全行程の約半分にあたる。鳥居峠という難所の手前であり、信濃路11宿の中でもっとも標高が高い場所だ。
「よっしゃ、ここで体力をつけておきましょう」と、ゆっくりと身体を休めたい旅人がたくさん泊まったそうだ。
「奈良井千軒」という言い方が残るように、いまも1キロもの街並みが保存されている。中央の通りは8Mの幅があって意外に広い。当時の賑わいが目に浮かぶようだ。しかし、ここの景色はどうしてこんなに自然なんだろう。じつは、この町の景観保全には、あるヒミツがあった。
奈良井の屋根は、残念ながら信濃宿本来の板葺石置屋根ではない。濃い茶色の鉄板葺だ。メンテナンス上しかたない。しかしそれを3/10勾配(3寸勾配=16.7度)とすることが条例で規定されていて、通常よりも緩やかな勾配になっている。そのおかげで、中央の通りにいる限り、鉄板の葺は見えない。現代風の屋根は旅人の目から隠されているのだ。
おかげで、この奈良井の景観はいまも完璧。通りをそぞろ歩き往時のままの水場で清流に手をひたせば、完全に江戸時代にタイムスリップしてしまう。


よりどころ

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長いあいだ苦労を重ねて成功をつかむ。そういう体験をした人の話では、逆境を乗り越えるのに「心のよりどころ」となったものについて語られることがある。「恩師からもらった言葉」とか「友人との約束」といった精神的な支えだけでなく、「金メダル」や「報奨金」といった現実的なモノも強い「よりどころ」となることがある。
この赤いスポーツカーは、彼の持ち主を46年間もの間支え続けてきた。長野県から東京の美術大学を卒業してデザイナーとなった彼の持ち主は、なかなか仕事がもらえない時代が続いた。そんな時に、くじけそうな気持ちを支えるために諏訪の実家から贈られたのが彼、真っ赤な「トヨタS800」だったのだ。
彼の持ち主というのは、画家・原田泰治さんである。実家の両親が貯金をはたいて買ってくれた彼が原田さんを奮いたたせ、成功に至るまで支え続けた。幼い頃に小児麻痺のために足が不自由となった原田さんのため、足を伸ばしたまま運転できるし、腕でブレーキをかけるための特注のレバーも付いている。
彼は今もピカピカの状態のまま、諏訪湖畔の原田泰治美術館ロビーで佇んでいる。原田さんによっていかに大事にされ愛されたのか、誰が見ても一目でわかるはずだ。