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5月, 2013の投稿を表示しています

神の書はどのように書かれているのか

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いま「神の書」といわれる本を読んでおります。いやいや聖書でもなく宗教書でもありませんで、これはプログラムの本なのです。技術書です。キース・ピーターズさんという専門家が書いたれっきとした技術書なのです。いわゆるオライリー本というやつです。がらにもなく、これを熟読しております。
それで、この本がなぜ「神の書」なのかというと、これが説明が難しいのですが、プログラムの体系として、とてもよくできているということなのです。アニメーション画像を扱うのにとても具合の良い「アクションスクリプト3.0」という言語についての本です。この言語をつかって、ひとつのバーチャルワールドをカンペキに記述することができるのです。だから「神の書」なのだそうです。

樹木のように生きられたらいいな

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私の家の前にはおそらく樹齢200年はこえている立派なケヤキの樹がある。その樹の枝がばっさりと切られてしまった。近くの電線を巻き込むような形で枝が伸びてきて、さすがにキケンな状態だったので、冬に植木屋さんがはいった。巨大なマッシュルームのような樹形だったのが、葉っぱをむかれたブロッコリーのような形になってしまった。
剪定が終わった当初は、枝もすくなくてとても心配しました。もう葉っぱが生えてこないのではないかとか、枯れてしまうのではないかとか、ドキドキしてしまいました。特に二本のうち奥の方の葉っぱの出方が遅いので、もしかしてダメになったのではないかと、ほんとうにヤキモキしました。

プログラムされたい私

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「ちいさなちいさな王様」の名コンビ、アクセル・ハッケとミヒャエル・ソーヴァは「プラリネク」という絵本も書いていた。これをアマゾンで見つけたときはうれしかったな。この本もクリスマスの夜に起きるファンタジーです。ほかにもまだまだある。「キリンと暮らすクジラと寝る」「クマの名前は日曜日」 どれもタイトルが秀逸です。ついつい手を出して読んでみたくなる。
で、その「プラリネク」なんですが、チョコレートの箱や洗剤の箱、トイレットペーパーなどを組み合わせて作られたロボット君のことなんで。この子のセリフがじつにいい。「僕をプログラムして」なんていうのです。コンピューターやロボットがでてくるSF映画とか、いろいろあるけど「僕をプログラムしてちょうだい」というセリフって、なかなか聞かない。

いずれは消えてしまうもの

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このケーキは、FBでのお友達(実際にもお友達)のF君が最近召し上がったものです。だからこのケーキは、もうこの世には存在しないのです。F君が食べたんですからね。写真データが残っているだけ。実物のほうはもう、どこかへ行っちゃった。
「記録メディア(媒体)」というものについて、大きな問題が生まれている。映画界からフィルムが消えつつある。代わりに映像を記録するの媒体は、デジタルビデオテープや各種のメモリカードなどが主流になっている。カードといっても、SDカードやメモリースティック、コンパクトフラッシュなど、いろいろだ。

褒められてなんぼ

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このブログを書く時間、つまり深夜になるとうちのリビングには僕と食洗機だけとなる。家人がそれぞれの部屋で眠りにつこうとする時間、僕は食洗機がぶつぶつ言うひとりごとを聞いている。
「がーちゃらがーちゃら、ごーちゃらごーちゃら、こーんなにはたらーいてるんですげど、ぶくぶくぶくー。がーちゃらがーちゃら、なにかねぎらいのこーとばないっすかねー」
うるさいね。黙って働きなさい。しかしだな。なるほど食洗機の気持ちになってみればだ。そう、彼の(彼女?)気持ちとしては、まあ、たまには褒められてみたい。と、まあそういう気持ちも分からないでもない。

ちかごろの若者は遠くへ行きたがらない

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僕たちが若かった頃、特に学生だった時代は、誰もが海外への強い憧れを持っていた。たまたま遊びに行った友人宅で、いかにも海外みやげという感じのスノーボールを見た。そんな瞬間、「うらやましー。俺も海外行きてー!」って思ったものだ。
こんなもの置いておかないでくれよ。ガラスのドームの中の「自由の女神」や「エッフェル塔」。まるでそこが、すぐにでも手が届きそうな近い場所に思えてくる。しかし、実際の海外旅行とは、とても手のどかない高嶺の花。田舎者の僕にはパスポートなど手に入れる方法もわからない。ただただ遠い夢だった。でも「いつかはきっと」という気持ちだけはあったのだ。
それが最近ではどうだろう。いまの学生からは、「どこどこの国に行きたい」とか「いつか海外で働きたい」とか、ほとんど言わないのだ。不思議だ。円高もあって海外が身近になったせいなのか。日本が豊になったせいなのか。あるいは彼らに覇気がないからなのか。

遠い国の出来事だから

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「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」が世界遺産に登録されるというめでたいニュースが今朝の新聞に載りました。でも同じ紙面の隣には、東京へのオリンピック誘致に関する猪瀬都知事の失言の記事が。時にメディアというものは皮肉な状況を演出するものだ。
もし僕があのインタビューを受けたら。おそらく同じように失言した。だってインタビュアーの煽り方がうまい。「あちらは若者が増えていて、東京は老人が増えていますが」ときたら、つい対抗的なことを言いたくなる。

他人の感情を逆撫でしておきながら、相手の失言をゲットするのがメディアの常套手段。それにうっかり乗ってしまった知事には本当にお気の毒だ。綸言汗のごとし。