奇跡のミステイク

ノーベル賞受賞者らしからぬ、この優しい笑顔。
北大名誉教授の鈴木章先生。おだやかで謙虚な「いい人」なのだろうな。漠然とそう思っていた。

北海道大学総合博物館で、鈴木-宮浦「クロスカップリング」の展示コーナーを見て、その印象はさらに深まった。在任当時の先生の研究室を再現したコーナー。実物の机や研究室備品が展示されていた。どれも、先生の飾らない質素な研究生活ぶりを示している。手回し式計算機、時計、ペン立て、どれもこれも全く普通のものばかり。高級品や贅沢な嗜好品などは何もない。

「鈴木章・ノーベル化学賞への道」(北海道大学出版)を買って読みました。「クロスカップリング」についてわかりやすい解説が載っているし、この研究がどのように進んで来たのか、面白いエピソードが満載。

この本の中で注目したいのは、鈴木先生に起きた「偶然のミステイク」の話だ。

鈴木先生がお弟子さんの宮浦先生とともに、アメリカのパデュー大にいるブラウン教授らと共同で実験を進めていた時のこと。どうしても日米の研究室で実験結果に食い違いが起きる。その原因がなかなか分からない。よくよく調べた結果やっと原因を特定することが出来た。なんとそれは、日本で使っている窒素ガスの純度が低かったこと。当時の日本における、窒素ガス精製の技術はレベルが低く、微量の酸素が混入していたのだ。

これを、単に「ダメな窒素ガス」と片付けてしまったら、鈴木先生の研究に発展はなかった。ここでさらに考えを進めた。そしてついに、「酸素を触媒とすることで、有機ホウ素化合物は反応する」ということに気づいたのだった。これで、鈴木先生の研究は大きく飛躍。失敗によって、ある大発見が生まれる好例だ。

こうしたことは「セレンディピティ」と呼ばれている。ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングにも、タンパク質の分子量の分析法を発見した田中耕一さんにも起こった。ポリアセチレン膜の合成に成功した白川英樹先生もそう言っている。こういう「失敗」は誰にでも起きることだけど、凡人はそれを「ただの失敗」として片付けてしまう。

フレミングの場合、シャーレがきちんと消毒されていなかったために、アオカビが生えてしまった。でも「なぜ、このアオカビのまわりには結核菌がないんだ?」と気づいた。田中さんの場合は、分量を間違って入れられた実験溶液。ふつうは「あーあ、間違っちゃった」で捨てられてしまう実験溶液を「もったいないから続けよう」とやってみた。白川先生も、別の目的の実験中に、変な膜が出来上がったのを発見。それを捨てずに、まるで別の方向性として「電気を通すプラスチック」を思いついた。

天才に起こった「ミス」は、こうして「奇跡」に変わる。これを「セレンディピティ」という。鈴木先生はこう語っています。「研究者なら誰でも幸運な発見に出会うチャンスはある。しかし、その機会を活かせるかどうかは、自然を直視する謙虚な心にかかっている」のだと。

鈴木先生が使っていたマッキントッシュ

ところでこの写真、鈴木先生が使っていたマッキントッシュなんです。

なぜこれが?当時のパソコンの中で、化学記号を表現できるのは、マッキントッシュだけだったのだそうだ。PCじゃ駄目だったんだね。だから、当時の北海道大学の化学研究室では、いずれもマッキントッシュを使っていた。なんだかこれも、シンパシー感じますね。私自身は、デザイン作業をする上で有利だったのと、まずは格好良さと、お洒落な遊び心が気に入っていたために使っていた。研究における実質面でも、マッキントッシュは評価されていたんだ。

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