ホモ・ルーデンスのアミューズ
ささやかなアミューズ ちょっとした料理のメニューで「季節のアミューズ」というものが出されることがある。 実際は、フルーツゼリーだったり、ヨーグルトのお菓子などお馴染みの食べものであるが、「アミューズ」と言われるとありがたいものだ。「お口を楽しませるオードブル」あるいは日本料理でいう「口直し」のような一品のことなのだ。 最近は、遊園地のことも「アミューズメント・パーク」と呼ぶようだ。そう言われると、それなりに身なりに気を配り、インスタ映えする家族であらねばならぬ場所に思える。それどころか、私などはうっかりするとチップとデールと並んで、「夢の国で遊ぶ住人」の役を一途に演じている。 でもなぜ「エンタテインメント・パーク」とは言わないのだろう。エンタテインメントというと、もっと「喧騒と興奮のある」場所を連想するのかもしれない。逆にライブ・コンサートは「ライブ・アミューズメント」とは言わない。そういえばクラシック・コンサートは、エンタテインメントでもアミューズメントでもありませんね。 さて、われわれ「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」にとって「楽しみごと」は不可欠なもの。いまの世の中が、アミューズメントで溢れているのも、そもそも人間が「遊び」や「楽しみ」を渇望する生き物だからなのだろう。お金さえあれば、産まれてから死ぬまで、アミューズしてもらうことが可能な世の中になってきた。 だが、ときどき 人生の楽しみってなんだったんだろう? そんな本質的な疑問も浮かんでくる。 余計なアミューズのために稼ぐのなら しなくていい苦労をしているのかも。