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Showing posts from August, 2015

カニをいただく

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フェイスブックの動物動画には気をつけよう。そう知っていながらも、ついつい再生しては思考停止になっています。今日もうっかり、ナマケモノの変な動画を見てしまい、さきほどまでお腹をかかえて笑い苦しんでいました。 寝転んだまま仰向けでエサを食べている、すべてを超越したその姿。エサはニンジンとタマネギの二種類あるんですが、お気に入りはニンジンだけのようです。間違ってタマネギを掴むと、面倒くさそうに皿に戻します。皿の方を見てちゃんと確かめればいいのにね。それさえしないのが、さすがはナマケモノ。 しかしまあ、こんなに無防備な状態でエサを食べていて、よくもまあ自然界で生き抜いているものですね。樹上生活のために外敵が少ないというのは分かるし、最終的にはするどい爪で闘うこともするのだろうけれども、こいつは、まったく徹底した平和主義、不戦主義のシンボルのような生き物ではないでしょうか。 僕たち人間がカニをいただくときの姿は、専用のハサミや搔き出し棒のような道具も使うしお金も払うし、ナマケモノよりはずっと文明的で洗練されています。でも森へ狩りに行くでもなく、海へ漁に繰り出すのでもなく、こうして皿の上のカニを一心不乱にいただいている僕は、少しだけナマケモノに似ているかもしれないと思うのです。 ナマケモノのように寝転んでまでご飯を食べたいとまではいいませんが、こうしてゆっくりとカニをいただける世の中があるというのは、本当に有り難いものです。それもこれも70年もの長い間、平和が続いた日本だからこそのこと。こうしていつまでもゆったりと過ごせる国であってほしいものです。

スタバのカフェモカ

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ASIAGRAPH主催のCGのコンテストに参加するために、台湾の元智大学まで行って参りました。元智大学は台北から東に電車で50分ほどの「内壢」という街にある、工学系の私大です。南国の樹木に囲まれたモダンなキャンパス。大学も綺麗だし、街もエネルギーに溢れていて、私はいっぺんでにわか台湾ファンとなりました。 残念ながらいまひとつ馴染めなかったのは現地のご飯。コンテストで用意されたお弁当、近所の夜店で出される皿料理。せっかくの「ザ・台湾料理」なのですが、香辛料もきつめなので、私の胃腸にはちょっとボリューム感ありすぎでした。日本での台湾料理は大好きなのにね。本場についていけないなんて。 空港で学生さんたちの到着を待っている時間。ふらふら吸い寄せられるようにはいったスタバ。そこにはいつもの「カフェ・モカ」がある!(当たり前ですね)それを一口飲んで感激。その味は東京駅や八王子駅で注文する、あの「カフェ・モカ」そのものではないか。 こうして旅行者を喜ばせてくれる「カフェ・モカ」の味。世界中どこでも、スタンダードな味として楽しむ事ができるんですね。材料とレシピさえ揃えば、同じものが出来上がる。そういう時代なのですね。ネット上での情報ならさらに簡単。一瞬にして、どこにでも同じテイスト、同じコンセプト、同じデザイン、同じ考えが、広がっていく。 どうせ世界のスタンダードになるのなら、「カフェ・モカ」のように甘くてほっこりするようなものがいいね。辛口の評論や容赦ないつっこみ、言い争いや炎上ばかりではどんなもんかね。なんか落ち着かない。世界中が住みにくくなります。

キャラクターになる

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僕たちは自分の人生で、どれだけの「キャラクター」を演じるのか。 社会的に「先生」と呼ばれる医者や弁護士の先生だって、それを演じ続けるのは大儀なこと。時には自由な自然児に戻ったり、中学生のような郷愁に浸りたくもなるだろう。会社の社長だってそうだ。時には「世捨て人」となって放浪してみたくなったりするのではないだろうか。一国の総理大臣だって...時には? 一方で、世界的に有名にな「キャラクター」を、長く演じる人もいる。 キャロル・スピニーという方(☆1)は、46年間もの間、セサミ・ストリートのビッグバードを演じ続けてきた。今年なんと81歳。これまで、マイケル・ジャクソン、ジョニー・キャッシュ、ミシェル・オバマ米大統領夫人などと競演してきたが、まだまだ意気軒昂。身長2メートル50センチの巨大なカナリアのキャラクターは、いまやファンタジーを超えた存在(設定はなんと6歳のまま?)として、世界中の子どもたちの「実在の友達」となってしまったのだ。

いつでもどんなものにでも

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「いつでもどんなものでも宇宙につながっている」詩人の故まどみちおさんは、生前のインタビューで、繰り返し話されていた。誰でも、じっとちいさなものたちを見つめると何かが見えてくる。心を静めて耳を澄ませば、何かが聞こえてくる。 サンティアゴ巡礼の旅に出た、ハーペイ・カーケティング氏も、そんな体験をたくさんしたようだ。「神に出会う」というほど大げさなものかどうかは、わからないが、「普段は知らない何かを感じ取る」ことには、何度も出会ったようだ。 一体、どんなふうに? 険難な峠を越え、灼熱の道を渡っているうちに、だんだんと「考えることをやめる」ようになってくる。するとついには「ものごとの印象」というものが根本的に変わってきて、「ものごとを感じる」こと自体が変質してくるらしい。そうすると、自然に宇宙との会話が可能になるのだ。実際に彼は、道中なんども「宇宙さんにお願い」している。そして、しっかり「宇宙さん」から返事をもらってる。

サンティアゴへの道

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レオンの案内所 今年もポケモン・スタンプラリーが始まったようだ。夏休みなんだからしかたないけど、猛暑の中、子どもにお供して駅を回る親御さんはほんとに大変だろう。うちの子が小さい時は、インドアでのゲーム専門だったので助かった。 しかし、スタンプラリーというものは、大変であればあるほど、その達成感は大きいよね。親子ともに歩いた時間も、苦労が多いほど後で貴重な記憶になるかもしれないでしょ。ポケモンといえど、あなどれない。一種の「巡礼」のようなものだと思う。 今日「巡礼コメディ旅日記 - 僕のサンティアゴ巡礼の道」(☆1)という本を読みおえた。著者のハーペイ・カーケティングは、ドイツではとても有名なコメディアン。キャリア途中での病気などもあり、この巡礼を思い立って約800kmの道を踏破した。ドイツでは、発刊翌年に巡礼者が倍増した大ベストセラーらしい。さすがコメディアンなので、旅日記そのものが笑えるエピソードに満ちている。しかしそれだけかと思っていると、思わずはっとさせられる、示唆に富んだ本だった。

人間でなくていいの

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「シンサツジカンガ、チカヅキマシタ」 「シンサツケンヲモッテ、マドグチマデオイデダサイ」 喫茶店で時間をつぶしていた僕の携帯が鳴った。 待っている病院の診察時間が近づいたことを、機械が教えてくれているのだ。 実に便利な世の中です。薬をもらうために病院の待合室で待たなくても大丈夫。スマホから予約しておけば、こうしてちゃんと時間を教えてくれるのだ。そういえば、別の病院ではこんなこともあった。自販機に診察券をかざすだけで、医療費の支払いもできた。医療の現場ではこのように、日々、機械化による環境改善が行われているのだ。 でもね。と僕は思う。たとえお金がかかったとしても、機械よりも人間が良いのではないでしょうか。患者の待ち時間の整理だけでなくて、待合室のお掃除をしたり、患者さんにお声がけしたり、そういう仕事だって、あるんじゃないんでしょうか。 ディープ・ラーニングというものがあるらしい。さまざまなデータ、情報を溜め込むことで、コンピュータが非常に賢くなる。それによって人間を凌駕するような仕事をするようになるという。チェスや将棋の世界では、すでに人間よりも優秀になるのですね。 でも、その仕事、ほんとうに人間でなくていいの。一度よく考えなくていいのかな。