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Showing posts from February, 2011

ピラミッド社会

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なぜ、軍隊のような組織には、何層にも重なるタテ構造の階層が必要なのでしょうか。巨大な集団を、ひとつの目的に向かって動かすためですよね。何千人もの大集団全体に、ある命令を伝達するには、大きな集団から小さな集団へと、段階を経て伝えなければならないのです。 ピラミッド社会の上意下達というもの。社長の意識は局長へ伝えられる。そして局長から部長へ。部長から課長へ。課長から係長へ。最後に係長から平社員へと、最下層まで伝わる。でも、これはあくまで平常時のことです。会社だって、倒産しそうな瀬戸際に、のんびりと意思伝達をやってるわけにはいかない。そういうときは、全社員集会なんかをやって一気に伝える。 ここで再び、故ピーター・F・ドラッカー先生の著書、「明日を支配するもの」を紹介します。この本の冒頭に、現代における組織体のマネジメントは間違っている、という論文があります。その章にいわく、 組織体のあるべき条件とは、以下の5項目にまとめられる。 1: 組織は透明でなければならない。 2: 最終的な決定権を持つものがいなければならない。 3: 権限には責任がともなわなければならない。 4: 誰にとっても,上司はひとりでなければならない。 5: 階層は少なくしなければならない。 ドラッカー先生は続ける。 軍隊も企業も、現代社会における組織は、組織体として、あるべき条件を満たしていない。特に、5番目の「出来るだけ階層を少なく」という条件は、なかなか満たされない。情報理論から言えば、情報伝達の階層が多くなればなるほど、情報にはノイズがより多く含まれるようになる。つまり、意思伝達が不正確となる。だから、組織の階層は少ない方がよい。なのに、そうはならない。 実は、組織体の階層が簡素化されないのは、よっぽどの理由があるんです。 次回は、その理由について書いてみたいと思います。

まだるっこしい

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数ある戦争映画の中でも「 プライベート・ライアン 」は素晴らしい。凄惨を極めたノルマンディー上陸作戦を生き残ったミラー大尉(トム・ハンクス)が、自己犠牲をものともせず、ライアン二等兵の救出作戦を遂行する。米軍のある中隊における人間模様を、徹底したリアリズムで描いている。 ところで、この映画の冒頭シーンを覚えていますか? ライアン二等兵の、二人の兄が同時に戦死した。このことを知った母親は一体どう思うだろうか。疑問を持った女性通信員が、上司のもとへ知らせる。その上司がまたその上の上司に知らせる。そのまた上司がその上司に報告。こんな感じで情報は、ハシゴを登るように上がっていく。最後はついに将軍のもとへ到達。そこでついに将軍は決断を下す。リンカーンの演説草稿から、感動的な一節を引きつつ「ライアン二等兵を救出せよ!」と。 これはこれで感動的なシーンだ。だけどこれ、本当にまだるっこしい話です。いや、映画としてではなくて、実際の組織論として。最初の女性通信員が、直接将軍のところへ持って行けばいいんでしょ。「将軍!たいへんですー」って。実際には絶対無理だって、わかってますよ。女性通信員が将軍の愛人でも無い限りね。軍隊の組織っていうのはそういう、階層的なものなんだって。 同じ戦争映画でも「 ブラック・ホーク・ダウン 」のような極限状況では、さらに大変なことに。だって、こちらの映画のケースは、まさに一瞬が生死を分ける戦闘中ですよ。「おい、一体どっちへ戦車を進めたらいいんだ!」っていう状況で、「ちょっと待て、本部に聞いて確かめる」なんですからね。そんなこと言ってる間に死んじゃうんだってば、こっちは。ほんとにまだるっこしくて、ドキドキしました。 リチャード・ファインマン先生も、軍組織の情報伝達について苦言を呈している。「ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)」の中の「下から見たロスアラモス研究所」という一文だ。マンハッタン計画で原子爆弾を開発した、ロスアラモス研究所。この組織では、軍による徹底した情報管理が敷かれていた。男性職員の寮を「女性立ち入り禁止」とするかどうかを決めるだけのために、情報が上にいったり、下にいったりという、まわりくどい状況について面白く描かれている。ファインマン先生は、こういう形式的に面倒くさいのが大嫌い。 しちめんどくさい、まだるっこい組織

天下らない

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「天下り」って、いけないこと? 窮地の日本経済。日本国債の格付けが「ネガティブ」に下がっちゃったし。経済政策は待った無しなのに、国会の予算審議は無限ループ。管政権の崩壊間近といわれる状況で、政治家のみなさんは一体全体、国会で何を「審議」しているのかしら。普段は見ない国会中継。ちょっとだけ聞いてみた。 平将明 氏が、衆院調査局の「最近の天下り・渡りの実態に関する予備的調査」に基づいて質問していた。それによると、09年9月19日から10年10月1日までに独立行政法人や公益法人などに再就職したり、現役出向したりした国家公務員は4240人もいるという。( Yomiuri Online ) 日本の官僚は優秀です。ま財界産業界との繋がりを、強固に構築しつつ、お互いの利益を最大効率的に実現していく。役人は法案を作り、経済界は公共サービスをサポートする。この連携プレーによって、日本という国は成長し発展してきた。 「天下り」というものは、経済界から公共サービスへの重要な架け橋だ。官僚側からみれば「天下り」は、もともと民間よりも低い公務員の「生涯賃金」を補填するものでもある。役人人生の最後にもたらされる「成功報酬」と見ることもできる。役人の前にある大きなニンジンなのかも。そして企業側から見れは「天下った」は元官僚は、社会からの大事な預かりもの。 故ピーター・F・ドラッカー氏は、「日本の官僚制を擁護する( In Defense of Japanese Bureaucracy )」というレポート(☆1)で、日本の官僚システムも「役にたたないもの」ばかりではないと語っている。また「天下り」というものが、日本固有のものではなく、世界に普遍的に存在することを論じている。「天下り」という習慣は現実には、アメリカを含む先進諸国に普遍的にみられる現象なのだと。また、日本の官僚組織は優秀であり、時として「天下り」もその重要な機能の一部として認識することが必要であると述べている。 しかし、そもそもドラッカー氏が指摘する日本の官僚組織の「優秀さ」とは、彼らが日本の社会的利益を第一に考えている点においてである。それに対して、アメリカの官僚は、国家安全保障が脅かされないかぎり「経済的価値」を第一とする。つまり、日本の官僚は「国を思う気持ち」において優秀なのだと。 しかし今の日本は、

紙がなくなる日

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ちょっと想像してみた。 50年後のある日。ひ孫がこんなことをブログに書く。 「先日、私の曽祖父の残した日記などを整理していたところ、不思議な四角い紙の束を発見しました。かつて日本には、新年にこの年賀状というものをやりとりする、美しい習慣があったそうです。本物の年賀状を見るのははじめてだ。本物のパルプ紙。表面には郵送手数料が印刷されています。裏面にはメッセージや絵を書いて送ったものだそうだ。送付の際には、各家庭への個別郵送システムを利用していたという。」 なんて。 50年後の日本人。果たして、年賀状をやりとりしているのだろうか? 2009年時点ですでに、年始のあいさつには、年賀状よりもメールが多く使われたという(産經新聞)。そのうちに年賀状は、ツィッターやフェースブックに取って代わられるのだろう。特に「実名」によるフェースブックなら、友人知人に挨拶を送るのは、一瞬のことだ。 数年前までプリントゴッコで、二日も三日も、手間をかけて年賀状を印刷していたのが、信じられない。現在は、パソコンとプリンターをつないで、印刷している年賀状。そんな習慣すらも、いずれは過去のものとなるのかな。技術革新による時代の移り変わりは早い。 麻布十番の「TSUTAYA」で昨日、仕事の資料用に洋書を6冊も買いこんだ。(ここは本当にデザイン系の洋書が充実している)大きな紙袋ふたつに、両手で下げて帰宅したが、重くて重くて仕方が無かった。手が抜けそうだった。紙って本当に重いんですね。 これがすべて電子書籍だったら楽だろうなと、本気で思った。電子書籍ならば、コピーだって、自分のための資料化だって簡単だ。それに、印刷物はそもそも解像度が高くない。スキャンすると印刷のアミ点で、ブツブツになってしまう。今や、ハイクォリティのデータのほうが、印刷物よりもよっぽどきれいなのだ。画像の品質に置いても、ネットが印刷物を逆転してしまった! 50年とか、大げさなことを言わずとも、もうすぐかもしれないんだな。 紙がなくなる日。

ツィッター視聴率

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前回ご紹介した「韓国大好き女子」は、当然テレビドラマも大好きです。 テレビのことを研究する卒研室なので当然と言えば当然です。そしてこの研究室には、さらに輪をかけてドラマが好きな女子がいます。好きなドラマシリーズは、はしからはしまで録画視聴しなければ気が済まないガチ・ドラマファン。これまで彼女が見倒したシリーズは「ごくせん」「やまとなでしこ」「メイちゃんの執事」など数知れず。 そして、その彼女が取り組んだ卒論のテーマは、 「Twitter 利用者の動向から見るドラマ視聴率への影響の研究」 ツィッター利用者のつぶやきを、ドラマ番組関連のハッシュタグを使って集めます。そして放映中に、当該ドラマ番組の視聴率動向を調べて、数値的な関連を調べて見たのです。ツィッターやフェースブックなどの、SNSが盛り上がっている今年だからこその研究です。なかなか面白い結果が出ました。 NHK「ゲゲゲの女房」のようなメガヒット番組では、番組が終了後でも、ツィッターの関連つぶやきは消えない。消えないどころか 「村井布美枝 ボット(☆1)」 まで現れて、そのブームは持続していくその反対に、ツィッターのつぶやきの連鎖が数日で消えてしまう番組は、視聴率も伸びない。当然といえば当然です。視聴者たちが自由に発言するSNSには、集合知がつくりだす真実のデータがストレートに表出するものですね。 テレビ制作者も当然これに目をつけている。番組放送中のツィートを分析することで、どの同上人物、役者に人気が集まっているかも知ることができる。ストーリーのどのへんに興味が集まっているかで、その後の展開を考える。少なくとも次回作にむけて、反省材料を集めることができる。使い用によっては、ツィッターは、視聴率調査よりもストレートな番組評価とすることが出来るのかもしれない。 逆に、ツィッターなどのSNSを使った番組宣伝が,とても重要になる。番組に出演する役者さんやスタッフは、毎日ブログを書き、ツィッターつぶやくことが、あたりまえになりつつある。NHKの「ゲゲゲの女房」では、放送中 プロデューサーの谷口卓敬さんのブログ へのアクセスが集中。なんと、このブログはいまも現在進行形で続いているんです。「メイちゃんの執事」の橋本芙美さんのブログ 「フミちゃんの子羊」も、3年越しのロングテールで公開中。 激務のプ

アイドロイド?

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アクトロイド-DER (☆1) 嵐が大好き。でも韓国スターはもっと大好き。韓国文化も大好き。こういう学生が私の研究室にいます。もちろん女子です。彼女の卒論のテーマは、とにかく自分が大好きな「韓国」をテーマにすることにしました。韓国にも何度か足を運んでの力作論文が出来上がりました。タイトルは以下のとおり。 「Kポップの興隆に見る韓国経済の強みの研究」 韓国経済をテーマにしているようですが、やはりこれは、エンターテインメント業界そのものに注目した研究。こういうテーマで研究出来るのが、東京工科大学・メディア学部の特徴なんですよ。さてこの研究。最終発表を聞いたところ、なかなか面白いことを、いろいろと見つけてくれました。 彼女が調べた、韓国アイドルビジネスの鉄則とは 1:10代の若いアイドル候補生を徹底的に探し出す (大学美人コンテスから小学校までローラー作戦でスカウト) 2:インファーム・システム (親とは離れて住み込みで徹底的に教育育成) 3:巨額な投資費用を事務所が負担 (広告費はもちろん、歯の矯正や美容整形費用も) 4:期間限定の契約 (10年契約などで、初期投資を回収したら解散) 5:カルチャーテクノロジー (タレントやアイドルを文化商品と位置づける) 楽曲ダウンロードでCDの売り上げが落ち込み、日本の音楽業界は危機感に満ちている。そこに殴り込みをかけるKポップ。元気なKポップのアイドル。彼らが日本の芸能界を席巻してしまうのは時間の問題かもしれない。だってほんとに彼女たちって、可愛いし、ダンスもうまいし、英語や中国語、日本語が話せて頭良さそうだし。 しかしここで驚きの事実。SMエンタテインメントなど、韓国の芸能事務所はみな、日本の芸能界から経営術を学んだのだそうです。80〜90年代の日本のアイドルビジネス手法が、いまの韓国ポップス業界で応用されているのだ。まるで、トヨタなどの自動車業界の「カンバン方式」が、世界の製造業に取り入れられたのと同じですね。 好景気に湧いたかつての日本。あの高度成長期には、すべてがオートメーション文化で彩られて、どこか人工的。アイドル本人の素顔は分からず、仮面の下に隠されたまま。プラスチック製品が大量生産されたのと同じで、アイドルたちも量産された。ルックスも似ていて、ちょっと工場

ラジオを直す少年

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若き日の、ファインマン先生 いまどきラジオが壊れたからと言って、自分で修理する人はいませんよね。 最近の電機製品は、たとえボディを開けてみたところで、問題のありかはわからない。配線や部品もみんな一体になっちゃってるんだし、手の出しようが無い。結局は丸ごと買い替えるかしかないということになる。 リチャード・ファインマン先生が子供だった頃、アルバイト先の知り合いから呼び出された。ラジオがものすごい雑音を出すので修理してほしいという。リチャード少年は機械を直してしまう少年として有名だったのだ。 「ガーガーピーピー」いってる、ラジオの前を行ったり来たりしながら、少年は長い時間を考え続けた。 これは、真空管がめちゃくちゃな順序で熱せられるからに違いない。アンプも熱くなって、真空管もすっかり受信用の準備が出来ているのに、何も信号が入ってこないか、回路に逆に電流が流れているかだ。 そう考えた少年は、真空管をすべてはずして、順序をバラバラに入れ替えて見た。すると雑音が嘘のように消えて、きれいな音が出るようになった。依頼主のおじさんは大感激して、この少年のすごさをあちこちで吹聴してまわり、少年の噂はさらに広まったそうです。とにかく「考えるだけでラジオを直す」のですから。 目に見えていることの意味を、とことんまで考え抜く。真空管の神秘的な光を見つめながら、その光の意味を知ろうとする。入り組んだ配線や部品を見つめて、その仕組みを思い描く。このようにして考えることこそが、科学する心の基礎となったのだ。のちに偉大な物理学者となった、リチャード・ファインマン先生。自分の少年時代をこのように振っています。☆1 現代の子供たちには、真空管ラジオの中を開けて見るチャンスなど、全くというほどないでしょうね。学研の「電子ブロック」ですら、iアプリになってしまったんですから。(買いました!)いまやすべてが、シミュレーション。なにもかもがデジタルデータとなってしまう時代。目で見て手で触れて考える、実物の回路など、もうどこにも存在しないんですから。 いまどきの学生に聞くと、恋人ですら実物よりもゲームの中のキャラクターのほうが良いという。ちょっと待ってくださいよ。彼女が何を考えているかなんて、よーく見て考えなければわからないよ。ラジオも人間も、実物として動いているんですか

シャベル持っていきましょうか

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世紀の大奇人? リチャード・ファインマンといえば、典型的なマッド・サイエンティストかと思っていました。頭が良すぎて、一般常識の世界には生きられない変人なのだと。 だって、これまで読んだファインマン先生の話は、みんな奇想天外なエピソードばかしだったんだもの。科学読み物の中での彼は、周りの常識人を混乱と狂気の渦にまきこむ奇人。「精神異常」を装って兵役を免れたとか。ちょっと意地悪という感じで書かれていることも多いし。ノーベル物理学賞受賞者のくせに、本当に困った人という印象だった。(☆1) ところが。最近、ファインマン先生に対する、私の印象はすっかり変わってしまった。「困ります、ファインマンさん」という本を神田で見つけて読んだから。抱腹絶倒のエピソードが満載の、このエッセイ集を読んで、私はノックアウトされました。今、私は思う。ファインマン先生は、まったくもって変人などではない! むしろまわりの常識人たちよりもよっぽどまともだ。ただ先生の心が、純真な子供のままなのだけだ。 物理学とは関係ない仕事でありながら、幼いリチャードを「絶対に偉大な科学者になる」と信じて(生まれる前から)科学する心を教えてくれたお父さんとのエピソード「ものをつきとめることの喜び」や、初恋の人アーリーンを、結婚直後に結核に奪われる体験をつづった「ひとがどう思おうとかまわない! 」などの感動の物語が、この本にはぎっしりとつまっていました。 シャベル持っていきましょうか? 1986年の夏、物理学会のために東大から招待を受けて来日。学会終了後に日本側主催者は、ファインマン先生に美しい日本を見ていただこうと、京都や奈良などの名所旧跡のホテルを予約しようとした。しかし、ファインマン夫妻(三度目の妻、グウェネスさんと来日)は、誰も聞いたことの無い伊勢奥津の、日本式旅館に泊まると言って聞かない。 伊勢奥津にある旅館の主人も、洋式トイレがないし、高名な外国人科学者をもてなすことは無理だと言った。しかし夫妻はひるまない。「私たちは前回の旅では、シャベルとトレットペーパーを持って穴を掘って用を足しました。なんならシャベル持っていきましょうか?」という。これを聞いて旅館主人は喜んで夫妻を受け入れた。伊勢奥津の地元の人々は、夫妻の心の美しさと気遣いに感動。神社の氏子あげて、心からのもてなしをしたとのこ