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Showing posts from June, 2013

失踪したくなった時には

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むかしむかし「蒸発」という言葉が流行ったことががある。真面目一徹だったサラリーマンが、ある日突然消えてしまう。一家を笑顔でささえていたパパがある日突然消息をたってしまう。誰しも「会社にいきたくない」とか「学校にいきたくない」という気持ちになることがあるだろう。 「男はつらいよ」シリーズ第34作、「寅次郎 真実一路」では、米倉斉加年演じる熟年トレーダー富永が失踪。残された美しい奥様(大原麗子)に頼まれて、人のいいの寅さんが富永の捜索に大奮闘する。牛久から大手町まで遠距離通勤するエリートサラリーマンが、ふと消えてしまいたくなる。マイホームの夢を達成した後、熟年男性を襲う空虚感。そんな当時の世相が鮮やかに描かれていた。

やはりそうか!

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このところ、このブログもお休みがちだったのは、ある「お仕事」にかかりっきりだったからなのである。その「お仕事」というものが何だったかというと、それはなんとプログラミングなのであった。アナログ人間のわたくしとしてはガラにもないことである。しかしこれが実に「楽しい」のである。 なぜ楽しいのか。それは、そのプログラミングの作業が、とても創作的だからなのである。オブジェクト指向言語というのだそうだが、コンピュータの言葉による命令のしかたや、ルールの決め方などが、とてもわかりやすい。そして、とても自然界のルールに近いのだ。そこがとても気に入っている。

ただいま消去させていただきました

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ただいま焼き上がりました 「ものは言いよう」ちょっとした言葉の使い方で、その印象は大きく変わる。「パイ焼けだぜー」と「パイ焼き上がりました」では、親近感や堅さが変わる。どちらがよいか悪いかは、その時の状況によるだろうけど、とにかく印象が変わる。 言葉づかいの善し悪しを感じるのは、脳のどのへんの部分なのだろうか。ロボットや音声認識装置にしてみたら、その違いを感じるのは大変なことだろう。なのに、僕たち人間は、ちょっとしたものの言い方で、喜んだり怒ったり、感情をかき立てられてしまうのだ。

一曲いかがですかとその楽団員は言った

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バイオリンの形ってデリケート 音楽というものの効能は計り知れないものがあるらしく、精神的に落ち込んだ人をなぐさめるとか、ボケてしまったお年寄りが元気になるとか、はたまた動物園のキリンが落ち着くとか、または畑のジャガイモがよく育つとか。(☆1)やはり自然界のバイブレーションを模倣したのが音楽なので、自然界に生きるものたちに効用があるだろうか。 北京の空港で、滑走路で待機のまま長時間の足止めとなった乗客の中に、フィラデルフィア交響楽団のみなさんが乗っていたそうだ。「待っているくらいなら一曲いかがですか?」とおっしゃったかどうか知りませんが、とにかくその演奏は始まりました。ドヴォルザーク弦楽四重奏曲第12番アメリカ。周りのお客さん大喜びの画像がYoutubeにあがりました。最高のタイミングで電話も鳴ってるし(=゚ω゚)ノ(☆2)

次に生まれてくるときには

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シロツメクサって謙虚な姿です 映画の世界などで「次に生まれてくるときには」と言うセリフを聞くことがあります。仏教で教えるところの「輪廻」という概念によれば、人生には前世も来世もあるはず。時に前世のことを覚えているという人がいて、性別や身分や出身地など現世のものとはまるで違うそれを知っているとか。 ワタシの場合は、そんなこと全く分かりませんが、何か想像してみると遥かな大宇宙に漂う存在としての自分の姿が見えるような気もします。自然界が営んでいる「世代交代と進化のプロセス」は、「輪廻」と呼ばれるものに似ているようにも思える。

探検する人しない人

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イエローサブマリンの3D実写版あったら見たいなあ 東北大学には「探検部」という勇ましい名前のサークルがあった。(今もあるのかしら?)高校で仲良しだった先輩が所属していて、例えば、日本を北の端から南の端まで歩くとか、急流を手こぎゴムボートで下るとか、いろいろと無謀な「探検」に挑戦していた。(☆1) インドア派で危ないことが嫌いな(つまりビビリ虫の)私には、そんな自分の身をキケンにさらすことの何が面白いのか、まったく理解できなかった。しかし一方心のどこかでは、自分のやれないようなことにチャレンジする人たちが、どこかまぶしくうらやましく思えたものだ。

テレパシーの世界へ

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東京タワー。この6月1日を持って、電波塔としての仕事は完全引退されました。これからは、純粋に見晴台として、そしてまた東京のシンボルとして、そこに立っていてくれればいいんんです。実は私も東京タワーと同じ昭和33年の生まれ。自分自身も「そこに立っているだけでいいんだよ」と言われる年齢であることを、強く感じる次第でございます。 電波というものは、本当に不思議な存在。目で見ることも触ることもできない。僕たちにはその存在を感じることすらできない。光というのもの一種だけど、光そのものは見ない。ものに反射して眼球に飛び込んでくる光の粒子が網膜に当たる。それを電気信号に変えて、僕たちの脳は世界を見ている。まあ、見ていることにしている。そんな感じらしい。

手作業というものはなくなるの?

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ブルーノ・タウトによるガラスのつみき 葛飾柴又の帝釈天題経寺。映画「男はつらいよ」の舞台となった柴又のシンボルです。正月などはいまも沢山の参詣客で賑わうスポットになっております。 この帝釈天の本堂は、建物の外側がすべて、素晴らしいレリーフ木彫に覆われていています 。手仕事による彫刻の美しさ。 近くで見るとその精緻な立体表現に驚嘆します。(☆1) さきごろより、3Dプリンターというものが流行中。コンピュータで作った三次元モデルの形状をそのまま立体にすることができる。複雑な形状を計測したり、作り出すことができる。建築や自動車産業はもちろん、医療への応用も期待されています。芸術分野も有望で、3Dアート作品というものもどんどん生まれるでしょう。

リラックスタイムしましょう

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「ガンバる」という言葉が似合う日本人。学生時代はそれほどでもないけれど、社会人になると、みーんな突然「ガンバる」人に変身。それもあっという間のこと。いつもびっくりします。それだけ日本の社会というものは、「みんなで頑張りましょー」というムードの社会だということですね。 私自身もそうでした。学生時代は(大学院をいれて6年間も)本当にゆっくりと、人生のことを考えたりぼんやり自分の将来を考えたり。とにかく学生時代というものが、永遠に続けばいいなーなんて、本気で考えていた。 それがあるきっかけで、某放送局に就職することになって、すべては一変してしまいました。わたしも「ガンバる」社会の、立派な一員となったのです。それからおよそ24年もの間、文字通り馬車馬のごとく働いた。恐るべきことです。

コスモスが生まれてくるまでの時間

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キバナコスモスという花だそうです。春先から、近所の道ばたにずっと咲いてくれている。これにミツバチなんかがとまっていたりすると、すっかりメルヘンな雰囲気になってしまうのです。とても和む直物ですが、写真を撮ってみつめているうちに、ある「疑問と妄想」が浮かんできた。 なんでまた「花」というものは、どれもこれもこんなにも美しいのだろうか。ダーウィンの進化論によれば、それはこの自然界が「選択」した結果だというのです。ながいながい時間の間に、よりよいものが選ばれて生き残る。この世界によりよく順応したものが生き残る。だから花たちというものは、どれもこれも綺麗なものが残った。選んだのは昆虫だし (=゚ω゚)ノ

二次創作というのはゲージュツであるのか

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NHK技研の公開に行って参りました。 いわゆる「スーパーハイビジョン」といわれる「8K」技術が前面に展示された今年の公開でした。もう「4K」は超えられちゃったの? そんな最先端展示をくぐり抜け、「ちょっとカルト」な発明はないかしらと、主に地下の展示ブースを回ってみましたよ。 見つけた見つた!オモロイ放送技術たち。 TVMLというCG技術の応用編がいくつも出ていたぞ。 TVML知っていますか?台本などの「文字データ」から直接「CG映像」をリアルタイムに創り出すというユニークなシステムなんですよ。これが意外にも老舗技術なんです。

ニンゲンとは妄想する生き物である

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確かに「キュウリ」って言ってた 「中学生円山」観ました(=゚ω゚)ノ。 何を書いてもネタバレになりそうなくらい、手の混んだストーリーと演出でございました。でもこの「キウィ」くらいは出してもいいよね。中村トオル演じるパパが、確かに「キウィ」のことを「キュウリ」って言ってましたよね。言ってた言ってた。 朝ドラで「あまちゃん」が大ブレイク中の今、宮藤官九郎の脚本・監督作品。朝ドラを抱えてるだけで大変でしょうに、これだけの映画も世に出してしまうというのは? 一体、あなたはピカソなの?ダビンチなの? すさまじい創作力。朝ドラではできないストーリーのオンパレード。良識派のかたには「ちょっとね」というところも「ちょっと」あるとしても、すでに今年のワタシ的ナンバーワン候補にランキングされました。