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Showing posts from June, 2011

世紀の奇人

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トマス・エドワード・ロレンス。この方も世紀の奇人のひとりと言われているようです。アインシュタイン同様、wikipediaにある「奇人コーナー」に分類されている。 ロレンスさんといえば、デビッド・リーン監督の名作映画「アラビアのロレンス」のモデルとなった方。私にとっては、スクリーン上の憧れの人。ロレンス役のピーター・オトゥールがかっこ良かったもの。ところでこの人、なんで「奇人」に分類されているのだろうか? 「アラビアのロレンス」を観ても、確かに十分に「変わった人」ではあります。そもそも映画の冒頭、ひとことのセリフも言わずにバイク事故で死んじゃう。変わった登場のしかただ。ただの中尉なのに、将校達が出入りするラウンジのビリヤード台にいたずら。「権力嫌い」の変な人ですね。マッチの火を指でつかんで消す。「無謀な行動家」なんですね。「イギリス人なのに砂漠が大好き」で、その理由も「清潔だから」という。「変わったユーモアのセンス」の持ち主なのですね。

私は変人

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いますよね。ちょっと「変な人」や「変わった」人たち。いますいます。そどこにでもいます。落ち着いて、じーっと見回してみると、まわりの人間が、どいつもこいつも、みんな「変人」に見えてきたりするし。 でも不思議です。自分のことを「変人」だと認識している人は少ないです。少ないというより、まず、ありえません。これはありえません。自分で「わたし変人です」と言う人、これまで一度も会ったことありまへん。誰でも自分自身のことは、きわめて「まとも」だと信じているのですよね? それはそうですよ。 誰かが仮に、自分のことを「私は変人です」と言ったとします。でも「変人」の発言とは「変な発言」でしょ。「変人」が、「私は変人です」と言ったというのは、「私は変人ではない」と言ったのに等しい。あるいは「私は変な変人です」と、二重に否定したことになる。つまりそのひとは「変人ではない」ということ。結論として彼は「とてもまともな人」ということになるである。なんかおかしいですか?

ゲームの未来をさがせ!

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セッティング中の水口哲也さん ゲーム界のスーパースターが、東京工科大学にやってきました。 学生や高校生のみんなが待っていたミスター・テツヤ・ミズグチ! 世界で活躍するゲーム・クリエイター水口哲也さんです。今日の「スペシャル・トークショー」は「未来のゲームはどこに向かうのか?」というタイトルで、これまで常にゲーム制作の第一線で活躍してきた水口さんが、これからのゲームについて語ってくださるものです。メディア学部でゲーム・プロデューシングを担当する三上浩司先生も、対談で参加しました。 実は、いままさに水口さんのプレゼンテーションが進行中! ますは、30年間のゲームの歴史をふりかえりつつ、ゲームというものが人間に与える力、影響力を考察しています。水口さんの代表作のひとつ「Rez」は、音楽とリズムがもつ根源的な力を、活用して、プレイヤーの感性に直接働きかけるものだったそうです。このゲームは、世界的なヒットとなりました。

強欲は合法だ

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(C) 2010 TWENTIETH CENTURY FOX ゴードン・ゲッコー。彼はかつて「強欲は良いことだ!( Greed is Good )」と叫び、金を儲けまくり金融界で暴れ回った。 世界中のトレーダーが、映画「ウォール街(1987)」に登場したこのカルト・キャラに強く共感した。ゲッコーの生き様は、その話し方からファッションまで、彼ら金融街の男達の手本となった。日本でも、ゲッコーの生まれ変わりみたいな有名人が出現した。 「皮肉なものだ」と、ゲッコー役のマイケル・ダグラスは言う。 ゲッコーとは、憎むべき悪役だったはず。主人公、バド・フォックス(チャーリー・シーン)親子を罠におとしいれ、金を儲ける。しかし映画を見た人は、なぜかこの悪玉キャラのほうに惹かれた。手段を選ばず敵を葬る。弱肉強食の世界を生き抜く守銭奴。「金と力」を信じて生きる彼こそが、現代のヒーローだった。

金魚池のベビーブーム

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こんなきれいな池で暮らすなんて幸せな金魚ですね。☆1 さてこの金魚池。この池の金魚の個体数は、この後どうなっていくのでしょうか?  この池の中で、金魚たちはエサを食べて生活していく。病気になるかもしれないし、ご主人がエサを忘れるかもしれない。猫に襲われるかもしれない。 でも逆に、子供を山ほど産むかもしれない。こうした変化は、どのようにしたら予想できるのか。その答えを出せる数式が「ロジスティック写像」です。金魚の個体数という「初期値」をもとに、つぎつぎとその後の値を決めて行くので、「方程式」ではなくて「写像」と呼ばれるそうです。

先義後利

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先日の出張の帰り道、京麩の老舗、半兵衛麩(はんべいふ)に寄りました。半兵衛麩は、日経新聞の「200年企業」でも取り上げられた長寿企業。元禄時代の創業から太平洋戦争の動乱を生き残った。五条界隈で異彩を放つ石造りの建物は、軽やかな京麩のイメージとは違い、質実剛健そのもの。 半兵衛麩の家訓は「先義後利( せんぎごり )」だそうです。正しい人の道を先にして利益は後にする。江戸期に「石門心学」をとなえた石田梅岩の影響だそうだ。商売を支えるのは、あくまで人間の信用、すなわち道徳であると教える。 半兵衛麩を守り続ける玉置家の主人。 先祖代々からの言い伝えを聞いて育ちます。 <「言う」に人( にんべん )が付いたら「信じる」になり、信じる者が横につくと「儲かる」になる。つまり「商売の基礎は"信者"」をつくること。 > いまや、大変な就職難の時代となり、大学では四年生の「就職力」が問われています。しかし「就職力」って一体なんなんだろう? まあ、いろいろとあるんですが、最近よく聞くのは、対人関係を築き、人との信頼関係を作る「人間力」です。ところがいまの「ゆとり世代」育ち学生には、これが一番の苦手らしい。 「ゆとり世代」というと、学力低下、目的意識の希薄化、モチベーション不足などと言われます。しかし、大学で実際の彼らと向き合う中では、そのような印象はありません。むしろ、若い彼らは、大人以上に勉強をしたがっており、自己改革意識や向上心を持っていると感じます。ましてや「ゆとり世代」が、他の世代よりも劣っているなどという事実はない。 私は「ゆとり教育」に問題があるとすれば、「道徳教育」の位置づけにあるのではないかと感じています。 半兵衛麩で家訓となっているのは「先義後利」でしたが、「ゆとり教育」では、それが全く逆の「先利後義」になってしまっているような気がするのです。 授業時間を減らした結果、授業内容は受験戦争の「実利優先」となる。しかし、その結果「人間として何を大切にすべきなのか」「友人関係をどう築くか」など考える時間が減ったのかもしれません。 半兵衛麩では、お買い物をするお客様に、お買い物をする前にまず、写真のような、美味しい「麩入り」のお茶を出してくれるんですよ。さらに、WEBでは、 京麩を使った料理のレシピを親切に紹介してい

竹下通りは永遠に

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千年の古都、京都の街並み。いつまでも変わらない美しさ。 しかし実際には、京都だって、常に変わっている。京都駅前に水族館が出来るのはいいとして、木屋町通りなどにも、風俗店やパチンコ店も台頭。河原町も行くたびに、店の並びが変わっている。 東京に目を向ければ、渋谷だって同じことだ。いつの間にか、大盛堂や旭屋書店も消えて、マンガとフィギュアの街になってしまった。大人の町から子供の町に変わってきた。飲食店のメニューラインナップも、低年齢化している。 こうした「街の変貌」というのは、どのようにして起きるのだろうか。その街に訪れる人、年齢層というのは、どのようにして変わっていくのだろうか。 鴨長明の名随筆「方丈記」の冒頭に、当時の京都の移り変わりを描いたくだりがあるので紹介します。 <玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。 或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。> 世代交代や、各家の興亡によって、世の中は変わっていく。それにつれて、街並みも人も変化する。この世には、何ひとつとして変わらぬものはないんだよ。 先日、久しぶりに原宿の「竹下通り」を覗いてみました。先日、 レイグループ の30周年記念展示会の際にちょっと。日本のティーンにとって、アビーロードよりも有名な「竹下通り」。ギャルのファッションストリート、健在でした。。 そこでちょっと考えてみました。 30年後、「竹下通り」はどうなっているのでしょうか。いま、ここにいる子たちは、ここでこのまま年をとって、おばあちゃんになってもここで買い物をするのか。それとも、いずれ巣鴨の「地蔵通り商店街」(☆1)に移動して、そこを新たなる活動の場とするのだろうか。ちょっと不謹慎ですが、社会学的な興味がわいてきました。この答えを知っている人はいるかしら。 どっちだろう? - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 営巣地 巣鴨に替えるや ギャルカモメ - - - - - - - - - - - - ギャル通り 30年経ったら 巣鴨かな - - - - - - - - 

兼好先生のビジネス書

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700年も前に書かれた「徒然草」を読み返してみました。自分が年をとったせいか、吉田兼好さんとの距離が年々近くなってきた気がするんです。 「徒然草」。現代のビジネス啓蒙書と考えても何の違和感もないなー。宮仕えのサラリーマンの悲哀とか、出世にからんだ男の嫉妬とか、男女問題とか、死生観とか。今も昔も変わらないんですな。ふむふむ。 昨日も、はっとさせられる話を見つけました。 こういうこと言われると、ほんとドキドキします。なんか、お祖父ちゃんに叱られているような、気がしてくるよ。 徒然草・第188段より <あるひとが、我が子を法師にした上で、「学問して因果応報の原理を習い、説教で生計を立てるように」と言ったので、親の言いつけどおり説教師になるために、まず乗馬を習った。(馬で招待された時のため)その次には法事のあとで酒などを進められたとき、芸がないのは興ざめなので、早歌を習った。やがて早歌も玄人の域に近づいた。しかし、その間、説教を勉強するはずの時間もないまま、ついに年を取ってしまった。 若い間は、あらゆる分野に関して一人前になる、その道で大成し、また芸能も習得し学問もしようなどと、遠大な計画を心に抱いているものだ。ところが、その一方で自分の人生は先が長いと、のんきに考え、なすべきことを怠り、目の前の雑事にばかり気を取られて月日を送ってしまう。だから何一つ達成できたもののないまま、年老いてしまう。> うわー。 僕なんかもう、52歳ですよ。文字通り「年老いて」しまってるではないか。ガーン。若い時にどころか、いやもう、手遅れってことかー。毎日余計なことや雑用にとりまぎれているうちに時間ばかりが過ぎていく。兼好先生の、言うとおりのパターンだわ、こりゃ。 そう言えば、巨匠ハワード・ホースも言っていたな。「すぐやれ。自分でやれ。徹底的にやれ」って。 いやもう、わかりました。わかりました。すぐやりましょう。残り少ない人生ですからね。若いひとたちとは違いますからね。彼らには時間はたっぷり。こっちはあとがない。いくぜー、やる気じじいで。そのへんの大学生には、負けられまへん。