クリングゾルの最後の夏
ヘルマン・ヘッセは、生涯の旺盛な読書を通じて、中国、日本などの東洋思想に惹かれていた。実際に南アジア方面への旅行を通じて著した「インドから」という本もありますし「シッダールダ」という本も書いています。
「クリングゾルの最後の夏」(☆1)という小説は、四十二歳で生涯を閉じようとする一人の画家を主人公にヨーロッパの没落を扱った異色の小編だそうです。読んでみたいけど、なかなか入手できないです。この小説に出てくる主人公たちは、お互いを「杜甫」「李太白」などと呼び合う。彼らの会話は、まるで禅問答。
「没落は、存在しないあるものです。没落とか上昇とかが存在するためには、上下がなければならないでしょう。ところが。上下は存在しません。上下は、錯覚の古来の古巣である人間の脳の中で生きているだけです。すべての対立は錯覚です。白と黒は錯覚です。死と生は錯覚です。善と悪は錯覚です」
ヨーロッパ的なものの見方と、東洋のものの見方というものは、ある意味でさかさま。西洋が作り上げた理性的な科学も東洋的価値観から見ると、ただの人間の錯覚ということになる。まあ、人生とは夢みたいなもんだよということ。
世界はいつのまにか、秋を突っ切って冬に突入したようですね。衆議院選挙公示も間近。でもいったいどこの政党の誰に投票したらよいものやら、頭の中で右往左往するばかり。いまの日本社会、原子力、TPP、増税とさまざまな課題を抱えて大変なことに。近隣諸国との関係も心配だ。クリングゾルが見た、第一次世界大戦後のヨーロッパに似てるかもしれない。
「豈にそれ夢寐(むび)なるか」
昼寝からふと目覚めてみたら、実は原発事故もなにもかもただの夢だった。
そうだったらいいのに。そうも思いたくなるこの頃。
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☆1:高橋健二による「クリングゾルの最後の夏(ヘルマン・ヘッセ)」抄訳
「ヘッセの水彩画」より引用させていただきました。
この小説の舞台となったモンタニューラにあるこの家はムゼオ・ヘルマン・ヘッセ(ヘッセ博物館)
に隣接して保存されているそうです。ぜひ一度行きたい!
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