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Showing posts from October, 2016

マイクロ・フロー

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ガムを噛む。コーヒーを飲む。喫煙する。 こうした行為を、ポジティブ心理学という学問では、マイクロ・フローと呼ぶ。☆1 フローというのは、なにかに没我的に熱中していて、世の中の心配事や不安、退屈さを忘れた幸福な状態のことを言う。金銭や名誉、地位などとは関係なく、内発的な欲求によって没入して心から楽しめる状態だ。たとえば、作曲に熱中する作曲家、難所に挑戦するロック・クライマー、試合中のバスケットボール選手、手術中の外科医など。 それに対して、マイクロ・フローというのは、そういう内的価値観での没入のできない人、仕事を心から楽しめない人、社会から疎外された人が、日常でたびたび経験するもの。本当のフローの代替物のようなもの。 うわー大変。 僕は毎日コーヒー飲んでるんですけどね。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ☆1:ミハイ・チクセントミハイ著「楽しみの社会学」より ほかに、テレビを見る、ラジオを聴く、 ぶらぶら歩く、ゲームやスポーツをするなど

ラブジョイ彗星

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重慶で見たこの三輪自動車は、交通渋滞が常態化した都市に適応したデザインだと思った。一人乗りかと思ったら、後部座席にも二人乗れるようだ。 地球を乗り物にみたてて「宇宙船地球号」と呼んだのは、未来科学者のバックミンスター・フラーだった。この乗り物には現在70億人もの人間が乗っている。 昨年の一月に太陽に接近した、ラブジョイ彗星。パリの天文台が観測した結果、1秒間にワイン500本ほどのアルコールを宇宙に放出していることがわかった。ラブジョイ彗星は、アルコールだけでなく、糖類の一種をふくむ21種類の有機分子も放出していた。 地球上の生命は、彗星に乗って地球にやってきたという説がある。生命の材料となる有機分子は、宇宙から彗星が運んできたというのだ。この説が正しいとすると、われわれ人類は、もとはひとつの小さな乗り物の、乗客仲間だったということになるのだが。

ブラック企業

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サラダ用にキャベツの皮を刻む。 キャベツに申し訳ない気がする。 植物にだって人生がある。これから大きく成長して太陽の光をいっぱいに受けようという若い葉っぱを、まだ大人になる前に刻んでしまうのだ。まるで、社会に出る前の大学生を、料理しているみたいで可哀想。(考えすぎ?) 次々と若者を採用するが、ろくに育てられない企業もあるという。「即戦力として使えない」といっては新人が切り捨てられる業界もあるらしい。 じっくりと経験を積ませてゆっくりと教えてあげて、愛情をそそいで育ててあげられれば、若者だって働き続けるのでは。いまの若者だって、道理はわかるし意外と義理堅い。恩のある会社をそう簡単には辞めはしないはずだ。

ご神木

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樹木の形を見ると、やはり重慶は熱帯系のようだ。根っこがまるまると逞しく、濃い緑の葉がエネルギッシュに密生している。 今朝、御茶ノ水駅のホームから地上を見上げると、街路樹の欅の幹に「注連縄(しめなわ)」が巻かれていて、その樹がご神木であることがわかった。都会の道端の樹なのだけど、地元の人の信仰の対象となっている。 重慶で見たこの大木。根っこの隙間にはたくさんの小石が差し込まれていて、何らかの霊性のある樹として敬われていることがわかる。目の前のものに命や霊性を感じるかどうかは、見る側の心の問題だ。中国も日本も、樹に対する思いに違いはないように思った。

カンナ

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この何年かでカンナという花が大好きになった。まだ初夏の頃から10月中旬となった今まで、ずーっと咲き続けている。夏の花という印象があるけど、どっこいいつまでも咲いている。秋風が吹いてきてもどこ吹く風。この「だからどうしたの?」っていう凛とした風情が、僕は大好きだ。 第一ものすごく目立つ。花は真紅かオレンジ。これでもかというほど、花芽をつけて、次から次と花を咲かせる。花芽はまるで機関銃のように並んでいて勇ましい。まわりの雰囲気など関係なく、「わが道をいく」花だと思う。 今日、大学の一年生を集めたミーティングがあった。 彼らを見るといつも不思議に思う。いつどこで、こんなにも「空気を読」んだり「周囲を気にする」大人のようになったのかしら。できれば、みんなカンナのように「だからどうしたの?」って威勢良くノビノビ成長していってほしいものだ。

ビニール袋にスイカを入れて

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重慶の街では、いたるところで果物や野菜を売る屋台を目にした。両肩に天秤棒で担がれた大ざるに盛られたザクロ、大きな木製のリヤカーに積まれた桃、トラックの荷台に並べられたブドウ。どれも美味しそうではあったが、買って食べてみることはしなかった。さすがに地元の人に混じって、果物にしゃぶりつくことは出来なかった。 どういうわけか、こうしたリヤカーやトラックは、みな真っ赤であった。四川料理に使われる唐辛子の色なのか、酷暑の夏を象徴しているのか。とにかくよく目立つ。 それから、重慶で買い物する人は、みなビニール袋でそのまま運ぶ。首がないまるごとの鳥をビニールにいれて運んでいる人、豚肉らしきかたまりを運んでいる人。切ったスイカをビニール袋に入れて持って歩く人。あれはもし、ビニールのひもが切れたらどうなるんだろうと、見ていて心配であった。 電車の車内で、ビニール袋の中から直接スイカを食べている人も見た。スイカの汁が服に飛び散るかどうかなんて気にしていない。ワイルドだけど、シンプルでエコな感じがした。

アリス・クーパー

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まだケヤキの葉が新緑に輝いていたころだから、この絵を描いたのは初夏だろう。こんな回廊の画像を見ていると、トンネルの向こうに不思議な景色が見えてくる。 1980年代のある日、まだ売り出し中の新米ロッカーだったアリス・クーパーは、長いトンネルの向こうに広がる、コンサート会場の景色を見ていた。彼がもぐりこんでいるのは、巨大な大砲の砲身の中である。ド派手な演出が売り物のグラム・ロックのコンサート。明日の本番では大砲の先から観客めがけて発射される予定なのだ。彼は恐怖のあまり冷や汗をかきながらトンネルの先を見つめていた。 幸い、スタントマンによるテストが何回やってもうまくいかず、この演出プランはボツとなり、アリス・クーパーは危険に身をさらすことなくコンサートを終えた。(かわりに大砲に乗っかって歌ったのだがこれが大受け) デビッド・ボウイが亡くなってしまい、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞。かつてのプロテストソングはいま、新しい時代の価値観で受け入れられようとしている。アリス・クーパー。もう一度、彼の勇姿を見てみたい。ディランのように今を歌うとしたら、彼はどんな詩を披露してくれるだろうか。

この狛犬は

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中国の古い街で、可愛い狛犬を見つけた。日本の神社で見かける守り神とほとんど変わらない。耳はパピヨンみたい。コアラみたいな愛嬌もある。人々の生活を見守る守り神であり、癒しの精霊のようだ。 先日、今話題の巨大生物の映画を観た。評判通りの素晴らしいCG技術で日本伝統の巨大生命体が鮮やかに描かれていた。しかし、あんなにリアルな映像が出来上がっているにもかかわらず、私の想像力はあまり刺激されなかった。もしかしたら、老人の私には、少々リアル過ぎるのだろうか? その点あの狛犬は生きている。 ふとこっちを振り返ってニコっと目が合いそうだった。粗いつくりな分だけ、こちらの想像力に語りかけてくるようだ。

信じられるもの

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10月9日はジョン・レノンの76回目の誕生日。FBに生前の彼の言葉が紹介されていた。 「僕は、科学がその存在を否定しない限りどんなものでも信じる。妖精、神秘、ドラゴン。人の心に存在するものは、実際に存在しているんだ。夢や悪夢だって、いま感じているのと同じようにリアルじゃないか?」 中国の重慶郊外で、古い寺院の屋根を見た。 その屋根の棟では、魚の姿をした守り神が水を吹きかけていた。火除けの力を持つ精霊だ。この寺院を建てた人々には、不思議な力を持つ神秘の姿が見えていたのだ。ジョン・レノンのように、感性豊かで詩情あふれる人々だったのだろう。

磁器口

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かねがね古い中国に出会いたいと思っていた。 CYBERWORLDS2016の開催地、重慶の近郊に「磁器口」という古代からの陶磁器の生産地跡があって、石造りの家々が斜面を覆うように並んでいる。ウプサラ大学の林先生と空き時間にぶらぶらと訪れてみた。坂をのぼったりおりたりするたびに、景観がさまざまに変化する。やっと中国の情緒というものに触れられたような気がする。