イルカと話す

梅の樹だってコミュニケーションしていると思う

イルカは、シグネチャー・ホイッスルと言われる、高音の信号をだして仲間に語りかけるのだそうだ。

これは、イルカ一頭ごとに異なる「名前」のようなもので、イルカはこれをずっと覚えている。久しぶりに会った仲間でも、これで認識するという。イルカが人間と同じように「言葉」を持っていると推測される理由のひとつだ。今月のナショナルジオグラフィックの特集「イルカと話せる日は来るか」で知った。

イルカにとって、コミュニケーションツールとしての「言葉」が必要と考えられるのはなぜか。それはイルカも人間と同様に、集団で生きる社会的な動物だからだ。

社会的な動物にとって、自分が属するグループの動きと同期できるかどうかは自分の生存に関わる問題だ。家族の朝食の時間に起きられない家族メンバーは、朝食にありつくことはできない。会社の会議に出席できないメンバーは出世することはできない。

イルカ社会も、人間社会と同様にグループに帰属することが、各個体の生存に関わっているようだ。特に集団で魚を狩猟する行動や子育てなどを集団で行う。集団と同期できない場合は、食べ物にもありつけず、子孫を繁殖することも出来ない。なんらかの形で、仲間同志で情報を伝え合い、確認し合うことが不可欠だ。

面白いのは、イルカが仲間に対して持つ情緒的な感情。人間社会と同じで、イルカ達も自分の仲間や家族に対して深い思いを共有しているらしい。集団で生きるということは、仲間への深い愛情や思いやりを持つということに、自然と繋がるようだ。

イルカの言葉というものが、いつか翻訳されて、人間にも理解できるようになったら、それは素晴らしいと思う。でもその反面、あんまり知りたく無い、という気もする。

イルカたちの言葉が、愛情と思いやりに溢れた言葉ばかりだったらいいのだけど、もしも人間社会のような、やっかみや嫉妬にかられた仲間の悪口があったりしたら大変だ。可愛らしくて賢いと言われるイルカのイメージが壊れてしまうではないか。

親しい友人や家族と過ごす時には、ただの沈黙の時間でも快く感じる。理解し合える仲間と共の間では、時に言葉はいらない。イルカというものは、お互いに鳴き交わすだけで理解し合っているのでは?なんていうことを想像している私は、やはり非科学的な人間なのかも。

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ついでに、もうひとつ非科学的な感想です。
先日、亀戸天神の「藤祭り」にいったのですが、なんということか藤は見事にすべて終わっていました。代わりに境内で目立ったのが、本文のイラストにいれた「梅の樹」でした。それでこちらはというと、これもこれで見事にかわいい梅の実を実らせていました。

こうした植物のすがたをみると、彼ら植物だってなんらかのコミュニケーションをしているのではないかと考えたくなります。一斉に藤が終わる。梅の樹が一斉に実を付ける。なにかの手段で示し合わせているとしか思えない。

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