上の人が怜悧



NICOGRAPH2016 という学会に参加するために富山へ出張した。富山といっても実は加賀藩の領地だったところも多い。岩瀬港には、廻船問屋の土蔵を利用した食堂などもあり、明治から天保の頃にタイムスリップした感覚を味わった。

万延元年に咸臨丸で渡米した勝海舟は、帰国後幕府の老中から「異国においてなにか眼をつけたことがあろう。それをつまびらかに言上せよ」と命ぜられた。☆1

海舟は仕方なく、ありのままに「アメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つものは、みなその地位相当に怜悧でございます」と答えた。すると、その老中は「この無礼ものひかえおろう」と怒ったという。昔の話である。

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☆1:出典 氷川清話 講談社学術文庫版 p.262
「亜米利加は上の人が怜悧」より 



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