進化は予想外に起きる
携帯電話、テレビ放送網、自動車、発電技術、上下水道、こうした現代的技術にかこまれて、僕たちは暮らしている。そして、これらの技術の無い社会など創造することも出来ないくらい、こうした環境に依存して生きている。しかし、こうした技術が、つい最近生まれたばかりのものにすぎず、いずれすぐに、何かもっと優れたものに置きかわられていくことを、忘れている。
人間社会が享受する科学技術の進化と、自然界における生命の進化とは、非常に似た道筋をとおる。どちらも「いきあたりばったり」である。決して予定通りには進まない。進化は予定外に起きるのである。動物が持っている「眼」は、生物の進化のハイライトといえようが、その「眼」が出来上がった過程もかなり「でたらめ」である。その事実は、動物の「眼」を構成している部品が、どのように作られてきたかを見ることで分かる。
例えば、人間の眼が使っている「水晶体」は、最初バクテリアが、自分の体を温度変化から守るために生み出したものだ。 / ネコの眼が暗闇で輝いて見えるのは、ネコの網膜の裏側に、光を集めるための反射膜があるからだ。この反射膜は、はじめ魚類が使っていた浮き袋として生まれた。 / 昆虫の眼にある赤と黄色の色素は、蝶の羽も飾っているものだ。 / 網膜の桿体細胞をつないでいる繊維は、ミドリムシの尻尾と同じ構成である。眼には少なくとも5億3800万年の歴史がある。しかし、その構成要素はそれよりもはるかに古い。
( サイモン・イングスの著「見る」 p.127)