オリーブの樹

ガーデニングに詳しい友人が、遊びに来てくれたので、聞いてみた。「庭にオリーブの樹を植えたいんだけど。どうしたらいい?」

すると彼は、オリーブの樹は、2本以上一緒に植えなければだめなんだよ、と教えてくれた。

雄の樹と雌の樹があるわけではないのだけれども、オリーブは1本だけではだめなんだって。なぜか? オリーブは自家受粉しないために、DNAの違う別の樹がなければ、交配して種子を残すことができない。オリーブの実のならない、オリーブなんか育てていてもつまらないし、可哀想だということ。

そうか。オリーブの樹って、ホームセンターで見ると、1本でも結構高価なんですけどね。2本一緒に買うとなるとまた、庭にオリーブの樹を植えるという夢が遠くなる。

ついでに彼はこんなことも教えてくれました。オーストラリアには、山火事にならないと子孫を残せない「パンクシア」という樹があるのだそうだ。通常時は、ちょっとやそっとでは割れない実をつけている。山火事があって、その実がはじけるんだって。だから、友人いわく、人間が山火事を消してしまうと、その樹の種は繁殖できなくなる。

不思議な植物もあるものですね。

人間のやっていることも不思議といえば不思議だ。この世に生まれてきて、成長して、一人前となり、結局は子孫を残すことが、ひとりの人間としての仕事だ。だからみな、子孫を残すための相手探しに大変なエネルギーを注ぎ込んでいる。

ファッションも、メイクも、食事を選ぶのも、お酒を飲むのも、お金をかせぐのも、すべては、要するにこの人間としての最終目的、つまり配偶者選びのための所業かもしれない。極論すれば、人間社会における、商品経済も、生産活動も流通活動も、この目的のためにつぎ込まれる。

受験戦争をくぐりぬけて、大学での勉強。その勉強だって、最終的には、よい仕事について、よい家庭を築いて、よい子孫を残すのが目的なのではないか。つまりは、良い配偶者にめぐまれて良い子孫を残すこと。本質的には、すぐれたDNAを残すために、自然界の掟に従って人生の全精力をつぎ込んでいる。シェークスピア先生によれば、こうした配偶者獲得の争いで、でかい戦争だって起こるらしい。

だったらと、僕は思う。

なにも、こうした人生の営みを通して、人間が苦しんだり、傷ついたり、戦ったりする必要はないんじゃないのか。みんな、仲良く楽しく、シンクロしながら、この世での生活を楽しめばいいのだ。そんな。ライバルだとか、敵だとか。給料が上だとか下だとか。優秀だとかそうでないとかね。もうすこし、おだやかで、小規模なコミュニティの中で、ゆったりと。

オリーブの樹と同じように、ただただ仲良く並んで生きて行けばいいんじゃないかしら。ジョン・レノンの言うように「イッツ・イージー」なのだよ。

You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

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