鴨長明は警告する

枕草子とならび、日本最古の「ブログ(随筆)」などとして有名な『方丈記』。しかしこの『方丈記』をいま手にとって読んだら、その内容に誰もがびっくりすることだろう。(僕もまじめに読んだのは高校の「古文」以来です。「古文」大きらいだったし... )

だって『方丈記』の記述は多くは、火事や竜巻、そして巨大地震といった「大災害」に関するものなのだから。

鴨長明が体験した大災害として『方丈記』に書かれた災害を列記します。体験の年代順で『方丈記』での登場順ではありません。(カッコ内は、災害発生の西暦と長明の年齢)

1:安元の大火 [1177年/23歳]
2:治承の辻風(竜巻)[1180年/26歳]
3:福原遷都 [1180/26歳]
4:養和の飢饉 [1184年/31歳]
5:元暦の大地震 [1184年/31歳]

[3]の「福原遷都」(治承四年)が、天災のように描かれているのが面白い。実際には「平氏政権の大失策」という「人災」だ。長明は、成り上がり貴族の平家が大嫌いで、この歴史的大失敗の遷都を徹底的に批判。実際に福原まで出向いて、その地形や経済面の不備に言及し、平家の失策を手厳しく論評している。平家の威光にすがろうと必死でしがみつく小役人もこきおろす。

災害の中で最も悲惨だったのは、[4]の「飢饉」だったという。一気に迫り来る火災などと違い、飢饉は2年も3年も続いて人が死に続けるために、その姿も苦しみもが凄惨なのだという。そして、この飢饉も、一見「天災」のようでありながら、流通経済にも起因する「都市型災害」であり「人災」でもある。

さて前回の続きです。☆1
前回は『方丈記』の出だしが、デビッド・ボウイの『チェンジズ』に通じるという話を書いた。でも、デビッド・ボウイと鴨長明では、その世界観はまるで逆だと思う。みなさんはどう思われますか?

デビッド・ボウイが見る「河の流れ」とは、永遠の営みを続ける宇宙を舞台に、人間は常に変革を続けるのだというメッセージ。特に「古い世代」は「新しい世代」によって取り代わられるものだよと、オトナ社会へのプロテストでもある。そしてまた、自己変革、世代の変革。そういう前向きなメッセージなんだと思う。
< David Bowie "CHANGES" Lylics >

それに対して、鴨長明が「河の流れ」に即して書き残したかったテーマは「無常観」だ。この世界はひとときたりとも静止することなく転成していく。だから、いつかこの世は、大災害に呑み込まれてしまう。どんな偉い人だって、普通の人だって、みーんないつかは死んじゃうんだよ。だからみんなつまらないことでギスギスしないでさ。南無阿弥陀仏。まあ、そんな考え方です。
< 鴨長明 『方丈記』 >

下賀茂神社の禰宜職の子として生まれ、恵まれた将来を約束されながらも失脚。30代で世捨て人となった鴨長明。ご自身の体験から、もともと世をはかなむ「無常観」を持つお方。さらに数々の天変地異の試練を受けて、その『無常観』はいよいよ深まったものか。あるいは、自分の不運の人生を『大災害』に照らし合わせて書き綴ったとも言えるのかもしれない。

☆1:前の投稿で「明日書きます」と書いたまま数日間トンズラしてしまいました。スビバセン!しかし、そもそもブログとは「明日」も知れぬいい加減なものだろう。まっ、いっかと自己弁護。TwitterやFBで、何人かのお友達から反響(?)をいただきました。「他にも同じような歌詞の曲があるよ〜」と教えてくださった方もありました。ありがとうございました。


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河合神社内に再現された鴨長明の「方丈」

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