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2月 27, 2011の投稿を表示しています

チューインガム

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電車の中で、すごいガムの広告を見ました。

噛んでいるうちに、味が二種類に変わる革新的なガムです。最近タバコが大幅値上げになってからというもの、ガムの売れ行きは好調らしい。その新たな市場をめがけて、さまざまな新製品が投入されているんでしょう。

ところで、チューインガムというものは、そもそもなんのためにあるの?駅のホームでひとり待つ電車。意味もなく延々と続く会議。オフィスで襲われる耐えられないほどの眠気。こういう状況時、ポンっと口に放り込むためにあるのだよ。気分転換。気分転換。

しかし、こうした「気分転換」の主役は、いまやチューインガムではない。それは、携帯電話やスマホなのだ。気分を変えられるだけじゃなくて、一見仕事などしている風に見えるところが、また都合がいいよね。実際には、仕事と関係ないメールを見たりしてんだけどね。最近は「会議中に書いたなこれっ」みたいなツィートも多い。いまの若者は、机の下でブラインド・タッチしちゃうんだし。

さてこの際、改めて考えてみよう。ガムのような嗜好品というものは、人類にとってなぜ必要だったのだろうか?チューインガムが発明されなかったとしても、現在の文明社会が無かったということでもなかろう。だったら、なぜこんなものを作ったり、売ったりするんだろうか。

一方の携帯電話やスマホだってそうだよ。みな一日中いじっている割には、たいして生産的な仕事をしてそうにも見えない。暇つぶしのほうがメイン機能のような気もする。

そうか。ガムも携帯も、要するに暇つぶしの道具。ひるがえって見れば、僕たちの人生って、大半が暇つぶしの時間だっていうことなのかな? まあいいでしょうよ、それで。ガムを噛んでいる間、その時間が楽しければいいんだからさ。そうそう。僕たちが地上を去ってから、10万年もすれば、僕たちのやった業績なんて、どうせ誰も覚えてくれてなんかいないんだから。

あの方も、こう言っておられます。

人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではない ゲーテ

ポスト社会

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それではなぜ、企業内では「組織の階層」がへらないのだろうか?

階層がへれば、それだけ部署の数もへってしまう。部署がへれば、その部署のボスとなるポスト長のポジションもなくなってしまう。ポストがなくなれば、肩書きもなくなってしまう。「俺は部長だ」とか「俺は課長だ」などと威張ることができなくなるのだ。

巨大な組織には、それだけ膨大な数のポストが存在するんです。上級の社員が増えすぎると、彼らを処遇するだけのポストも足りなくなるので、わざわざ「肩書きのため」のようなポスト(失礼!)を作ったりもする。担当部長とか、課長代理とか、これってなんなんだろう?っていう肩書きがあります。こういう肩書きの人って、ちょっと気の毒な気がしますね。

ところで、こうした「ポスト長」って、結局は何をしているのでしょうか。ドラッカー先生は、彼ら「トップに立つ人間」の役割は、いまや、採用や解雇、効果、昇進などの人事関係のみが彼らの仕事であると述べている。つまり、仕事を遂行する上では、対して意味の無い存在だということなのです。

特に、情報やテクノロジーを扱う、現代の企業組織においては、上司が部下の仕事内容を把握することは無理なのだ。知識労働者を部下に持つ上司は、部下の仕事を代わりにやることはできない。オーケストラの指揮者が、チューバを演奏できないのと同じように。上司は、部下の仕事を管理するだけなのだ。ドラッカー氏が例示する、以下のようなチーム型の組織では、こうした形式的な上司は必要無い。

「その一例が心臓バイパス手術のための十数人からなる手術チームである。心臓バイパス手術には、主任外科医がいる。二人の補助外科医がいる。麻酔医がいる。手術前の患者の面倒を見る二、三人の看護婦がいる。手術を補佐する三人の看護婦がいる。手術後の面倒を見る二、三人の看護婦とレジデント医がいる。肺機能をみる呼吸器機の技師がいる。三、四人の電気技師がいる」

「彼らのいずれもが、それぞれ自分が担当する仕事だけをする。 <中略> しかし、彼らはみな、チームの一員であることを自覚している。 <中略> チームのなかでは、誰にも命令されることなく、手術の流れ、進行、リズムに従って、自らの仕事を自らの判断で変えて行く。」(☆1)

テレビ放送局内の番組制作チームも、これとよく似ている。ディレクター、プロデューサーから始まって、AD、AD補、技術ス…

ピラミッド社会

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なぜ、軍隊のような組織には、何層にも重なるタテ構造の階層が必要なのでしょうか。巨大な集団を、ひとつの目的に向かって動かすためですよね。何千人もの大集団全体に、ある命令を伝達するには、大きな集団から小さな集団へと、段階を経て伝えなければならないのです。

ピラミッド社会の上意下達というもの。社長の意識は局長へ伝えられる。そして局長から部長へ。部長から課長へ。課長から係長へ。最後に係長から平社員へと、最下層まで伝わる。でも、これはあくまで平常時のことです。会社だって、倒産しそうな瀬戸際に、のんびりと意思伝達をやってるわけにはいかない。そういうときは、全社員集会なんかをやって一気に伝える。

ここで再び、故ピーター・F・ドラッカー先生の著書、「明日を支配するもの」を紹介します。この本の冒頭に、現代における組織体のマネジメントは間違っている、という論文があります。その章にいわく、

組織体のあるべき条件とは、以下の5項目にまとめられる。

1: 組織は透明でなければならない。
2: 最終的な決定権を持つものがいなければならない。
3: 権限には責任がともなわなければならない。
4: 誰にとっても,上司はひとりでなければならない。
5: 階層は少なくしなければならない。

ドラッカー先生は続ける。

軍隊も企業も、現代社会における組織は、組織体として、あるべき条件を満たしていない。特に、5番目の「出来るだけ階層を少なく」という条件は、なかなか満たされない。情報理論から言えば、情報伝達の階層が多くなればなるほど、情報にはノイズがより多く含まれるようになる。つまり、意思伝達が不正確となる。だから、組織の階層は少ない方がよい。なのに、そうはならない。

実は、組織体の階層が簡素化されないのは、よっぽどの理由があるんです。
次回は、その理由について書いてみたいと思います。

まだるっこしい

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数ある戦争映画の中でも「プライベート・ライアン」は素晴らしい。凄惨を極めたノルマンディー上陸作戦を生き残ったミラー大尉(トム・ハンクス)が、自己犠牲をものともせず、ライアン二等兵の救出作戦を遂行する。米軍のある中隊における人間模様を、徹底したリアリズムで描いている。


ところで、この映画の冒頭シーンを覚えていますか?

ライアン二等兵の、二人の兄が同時に戦死した。このことを知った母親は一体どう思うだろうか。疑問を持った女性通信員が、上司のもとへ知らせる。その上司がまたその上の上司に知らせる。そのまた上司がその上司に報告。こんな感じで情報は、ハシゴを登るように上がっていく。最後はついに将軍のもとへ到達。そこでついに将軍は決断を下す。リンカーンの演説草稿から、感動的な一節を引きつつ「ライアン二等兵を救出せよ!」と。

これはこれで感動的なシーンだ。だけどこれ、本当にまだるっこしい話です。いや、映画としてではなくて、実際の組織論として。最初の女性通信員が、直接将軍のところへ持って行けばいいんでしょ。「将軍!たいへんですー」って。実際には絶対無理だって、わかってますよ。女性通信員が将軍の愛人でも無い限りね。軍隊の組織っていうのはそういう、階層的なものなんだって。

同じ戦争映画でも「ブラック・ホーク・ダウン」のような極限状況では、さらに大変なことに。だって、こちらの映画のケースは、まさに一瞬が生死を分ける戦闘中ですよ。「おい、一体どっちへ戦車を進めたらいいんだ!」っていう状況で、「ちょっと待て、本部に聞いて確かめる」なんですからね。そんなこと言ってる間に死んじゃうんだってば、こっちは。ほんとにまだるっこしくて、ドキドキしました。

リチャード・ファインマン先生も、軍組織の情報伝達について苦言を呈している。「ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)」の中の「下から見たロスアラモス研究所」という一文だ。マンハッタン計画で原子爆弾を開発した、ロスアラモス研究所。この組織では、軍による徹底した情報管理が敷かれていた。男性職員の寮を「女性立ち入り禁止」とするかどうかを決めるだけのために、情報が上にいったり、下にいったりという、まわりくどい状況について面白く描かれている。ファインマン先生は、こういう形式的に面倒くさいのが大嫌い。

しちめんどくさい、まだるっこい組織。

こういう組織って、現代でもあ…