投稿

3月 24, 2013の投稿を表示しています

勉強の逆回しをしなければならないのだ

イメージ
学校で学んだことをそのまま学術的に復唱するというのはただの「ラーニング(Learning)」であって、あまり価値が無い。本当は「アンラーニング(Unlearning)」して、学んだことを自由自在に使いこなすことが大切です。(☆1)

鶴見俊輔さんのお話の概要です。とても面白いので、本に赤線をひっぱっておいたものです。この「アンラーニング」という発想は、実は鶴見さんのオリジナルではなく、ヘレン・ケラーさんからじきじきにお聞きした話なんですって。

鶴見先生が、18歳のときにニューヨークの図書館で本の運搬のアルバイトをしていた。するとそこに、ヘレン・ケラーが来た。さっそく彼女を囲む懇談会となって、この貴重なお話を直接お聞きになったのだそうです。うらやましいです。

大機大用

イメージ
大機大用。こう書いて「たいきたいゆう」と読みます。柳生宗矩が残した「兵法家伝書」の「無刀の巻」にある一章のタイトルです。

ものごとには「体用(たいゆう)」というものがある。たとえば、弓は「体(たい)」である。引くぞ、射るぞ、当るぞ、というのは弓の「用(ゆう)」である。灯火は「体」である。光は「用」である。水は「体」である。うるおいは水の「用」である。梅は「体」である。香や色は「用」である。梅の体があるからこと、体から花が咲いて色香が現れ、匂いが起こるように、機が内にあって、その用が外にはたらき、付け、懸け、表裏、懸待、さまざまな誘いを仕掛けなどする。このように内に構えた機があるために、外へ現れることを用というのである。(☆1)

うーん、むずかしい。
どういうことでしょうか。

人間の働きが出るのも、人間の内側に「機」というものがあるから。その「機」がちいさくて、せせこましいものでは、そこから生まれる言動や働きも、小さくて効力のないものになってしまう。だから、人間は日頃から自分の内側にある「機」を、おおきく育てて、常に大きく構えていることが重要である。自然と「機」が外へ出てくるように、精神を自在のコントロールのもとに置かなければならない。そういう教えかと思います。