すべては月の下

ポルトガルのコスタ通り / つきあたりが海です

ほんの数日前の宵の口に、空を見上げると月が双子座あたりで輝いていた。ちょうど木星とオリオン座と一直線に並ぶかたちになっていて、不思議な美しい配置になっていた。その月も、今夜あたりは獅子座と乙女座のあいだくらいまで進んでしまい、夜中にならないと見えない。

人間が暮らす地上の灯り。
夜空に輝く月と比べると小さなものだ。

崔洋一監督の「月はどっちに出ている」がいつのまにかDVD化されていた。さっそくAmazon で注文しまして正座して見ました。(ウソ。リラックスして見ました。)いいなあ、やっぱし、この映画。いまでは、日本におけるこうした微妙な状況をこんなにワイルドに描く事は難しくなってしまったと思う。このかっとばしたような表現。突き抜ける思い。90年代には残っていた、日本の映像のバイタリティーと表現への挑戦。

崔監督の解説による発見もあった。中盤に出てくる立ち飲み屋のシーンには、鈴木清順監督や、原作者の梁石日氏まで出ていたのか。もう、可笑しくてお腹が痛くなりました。飲み屋で思い思いの時間を過ごすひとびととして見ると、みんなただの人間なんだ、という思いになる。みんなそれぞれ生きている。

この映画の正しい楽しみ方が分かったような気がする。「こういう迷惑な奴っているよね」とか「そうそう、所詮僕たちってこういうもんだよね」と、自然に思えばいいのだ。そこに映画のリアリティがあるのだし、映画の世界観への共感がある。考えてみれば、映画を見る楽しみというものは、そういうものではないだろうか。崔監督自身もそう語っているし。

夜空の月を見上げるたびに、こう思うことにしよう。「すべては月の下のちっぽけな営み」月から見下ろしてみれば、地上の人間がいがみ合ったりぶつかり合ったりしているのも、ほんの一瞬のちいさなちいさなできごと。


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