大丈夫か高校生

大象は無形なり

職業柄高校の教室にお邪魔して高校生とお話することがある。大学の先生の「出張講義」というものである。その際には、せっかくなので「将来はなにになりたいですか?」とか、「そろそろ進路は考えていますか?」などと、高校生に聞いて見ることにしている。

しかし最近は、彼らの答えには「ん?」と、ひっくり返りそうになることがある。分をわきまえた答えというのだろうか。夢のない、ちいさく現実的な答えばかり。

君たちって、まだ高校生だよね...  高校生というのは、もっといい加減というか、適当でいいから、大きな夢を追いかけていても許される年代ではないの?

「医療に携わって人を助けたい」とか、「芸術に関わりたい」あるいは「世界の紛争地で平和のための活動をしたい」など、僕としては「お前そんなこと言ってるけど、そんなんで本当にやれると思ってんのか?」みたいに突っ込んでみたい。こっちが突っ込める、そんな無謀な夢を聞いてみたいのだ。

それが、返ってくる答えというのは「とりあえず進学したいと思います」「公務員ならば安定していると思います」「やはり資格をとったほうがいいと思います」みたいな、つまりちゃんと食べていけるかどうか、そこを気にしているような、突っ込むどころか、フォローのしようもない、そんな答えが返ってくることが多い。

君たち、一体いつからそうなったの?夢を追いかけていた子どもたちが、突然に現実を知ってしまった小さな大人のようにになってしまうのはなぜ。いったいどこの誰が、彼らの夢を消しているというのだろうか。

大象は無形なり。ほんとうに大きな人間の偉大さというものは、簡単には知る事はできないものだ。老子の教えです。「量ることができないくらい大きな人間になる」ということ。それは、いまの教育では、子どもたちの目標としてはもう意味をなさないのだろうか。

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