ダブルであれば



ふと研究室の洗面所を見て気づいた。同じシェービングクリームの瓶が2本並んでいるじゃないか。まだ一本目に残りがあるのに、2本目を買ってしまったようだ。あわてて無駄な買い物をした。いったいいつのことだ?

しかし待てよ。考えてみれば、同じものが2本あるというのも、あながち無駄ばかりでもない。どちらかが空になっても1本は残る。これならば、ある朝になって突然、「ひげが剃れない」ということもない。

いまどきは、公共のトイレでも、トイレットペーパーが2つ置かれているのが普通ではないか。いつごろからそうなったのか知らないが、おかげで昔のように「紙が無い!」とパニックになる心配が減ったと思う。必須のものがダブルであるということの効能は大きいのだ。

僕たち人間の身体だって、まさにそのように出来ている。肺、腎臓、手足も脳も、左右に2つづつある。病気や怪我で片方に支障をきたしても、どちらかがバックアップになるようにつくられている。なんとありがたいことか。

それならば、心も2つあればよかったな。ストレスの多い現代に生きる僕たちにとって、心はいつも故障の危機に晒されている。それがひとつしかないというのは、どうしたことか。心にもバックアップがあれば、仮に一個が凹んで使えない時にも、残りの一個で元気にやっていけるのにね。


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