見た目どおりではない
来年の授業にむけて、映像関係の教科書を書いている。慣れない作業のために時間がかかり、周りのみなさんに迷惑をかけてはいるが、自分としては勉強にもなって大変ありがたいことだと思っている。
おかげで、これまで観ていなかった映画もたくさん観た。ニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」も実はこれまで観ていなくて(観ていなくてよかったかも...?)この年になって大感服。驚愕のストーリー展開であった。それもそのはず、この作品のキャッチ・コピーは「なにものも見た目どおりではない」である。
古典の中では「失われた地平線」を観たが、デジタルリマスターの映像があまりに美しくて驚かされた。アメリカン・フィルム・インスティチュートが、世界中に散逸していたフィルムを収集し、再現修復に力をそそぎ「シャングリラ」の素晴らしい世界が蘇った。リュミエール研究所のティエリー・フレモーによって復刻された「リュミエール!」も素晴らしかった。これまで、傷んだフィルムで見ていた印象が、180度変わってしまった。
チャールズ・チャップリンの「独裁者」も、モノクローム作品だが、チャップリンの兄が撮影したカラーのメイキング・フィルムが残っている。それを見て驚くのは、当時のスタジオセットや衣装がカラフルなことである。ドイツ兵のズボンはなんとオレンジ色であった。ダンスパーティの人々の衣装も色とりどり。完成した作品の印象とまるで違う華やかな世界がそこにあった。傷んだモノクロフィルムの映画を見ていると、色彩にとぼしい世界だったような気がするのだが、それは間違いであった。
映像が氾濫するいま、私などは「見た目」をそのまま鵜呑みにしてしまう。映像から受けるイメージだけで、ものごとの印象を決めてしまうことも多い。しかし、気をつけなければいけない。すべては「見た目どおりではない」のだから。