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スコールと青空

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日本とマレーシアの間には、MJHEPという、留学生受け入れの教育プログラムがある。 マレーシアで上位5%という学生さんが、まずは日本語を徹底的に勉強する。その後、日本の大学の編入試験を日本語で受ける。配慮の行き届いた素晴らしい留学制度である。 編入試験は、日本の大学の先生方がマレーシアに訪れて行う(その方が旅費が節約できる)。私も試験のために2度現地を訪れた。試験に来る学生さんは、みな日本への関心が高く、ピュアな感性と向学心の持ち主が多く、面接はとても楽しかった。 試験のある11月は雨季。夕方になると突然、雷鳴が鳴り、土砂降りの雨となる。面接の声が聞き取れなくなったり、ホテルのバルコニーに濁流があふれたりもした。スコールのあとは、決まって虹と青空が出る。 マレーシアの学生さんは、きらきらと輝く目をしていて、豊かな感性の持ち主に思えた。もしかするとそれは、現地の気候にも関係しているのかもしれない。スコールと青空。この激しくも、くっきりとした自然の中で、雨に洗い流されたような心が育まれるのだろうか。

コペルニクス

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NHKで働いていた頃、仕事が終わらずよく遅くまで残って図面やスケッチを描いていた。夜10時すぎくらいになると、スタジオで収録を終えた先輩たちが、ひとり、ふたりと部屋に戻ってくる。みな帰る前に、決まって私の背後までやってくる。 みな、私の仕事にひとこと批評をくれてから帰るのだ。有難いことではないか。 「あー、それダメでしょ。遠近感逆でしょそれでは。下手だねー」  「なに描いてんの、そのパーツ意味ないんじゃない?予算の無駄」 「ひどい色だねー。やりなおしたら?はじめからやったほういい」 「ささきちゃん意外とうまいね」とか、ほめられることなんて、100パーセント、ない。 だけど、先輩に声をかけてもらう、むちゃくちゃ言われる。そういうのが日常だった。むこうもこっちも、遠慮なく言い合いをしたり、批評をしたり。年齢の差なんか関係なく本気でぶつかりあう。熱いコミュニケーションがあった。いま思えば、かけがえのない経験だったかもしれない。 コペルニクス先生がポーランド人とは知りませんでした。 ワルシャワの東のはずれの旧市街。大きな台座に座る記念像があります。どこから見ても堂々としていて美しい。 それはそうでしょ。 地動説を発見した人。世界観をひっくり返した、人類の大先輩。 夢のまた夢とは知りつつ、コペルニクス先輩みたいな大偉人と飲みに行って語り合えたら... どんなに面白いことだろう?「ほんとに地球は丸いんですか?」とか聞いてみたい。 ド緊張してなにも話せないとは思うけど。

若いときは

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「若いときは、失敗をおそれずにチャレンジしなさい」 大学でよく使われる台詞のひとつです。大人の世界の一員になったあとで、大きな失敗をすると大変なので、若いうちに(社会に出る前に)たくさん失敗しておきなさい。私もそのとおりだと思うので、似たようなことをよく言うかも。学生さんたちへの老婆心というやつです。 ところがこういう言い方もある。 「失敗を若さのせいにしてはいけない」 若いからといって甘えずに、自分の行動には責任を持ちなさいという意味か。どちらにせよ、若いということは大変なことなのだ。世間のルールもわからず、物事の道理もわからず、それでも正しく生きなければならない。私が若かった頃は、もう少しおおらかだったような気がするんだけど... このスケッチは、ポーランドの南端の街「チェシン」の道です。私が滞在していたホテルから、シレジア大学のキャンパスに向かうのに毎日通った道です。全面的に石畳なので、歩くと足へのショックが大きい。しばらく足の痛みが続きました。 この道の先にある教室の学生さんたち。 ポーランドで育った彼らは、なんだかとっても大人でした。 なぜなのか?どこが違うのか? いまも考えています。

ロールキャベツ

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昨年のいまごろはゴートゥ・キャンペーンなどもあって、感染に気をつけながら少しは旅行気分を味わうことができた。それにくらべると今年の夏は、ただただ暑いばかりでどこへも逃げ場がない。たまった仕事がはかどるなぁー、なんて思っていたのも先月までのこと。 オリンピックも終わってしまって、取り残されたようなこの猛暑。みなさま、いかがお過ごしでしょうか? このロールキャベツを群馬のホテルで食べたのは2018年の8月のことです。遠出しておいしいものをいただくなんてことは、しばらくはおあずけになりそうですね。夏休みの宿題の合間に、すこしは時間あるので、自分で作ってみますかねー。ひさしぶりのブログ投稿でした。

器を選ぶ

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NHK時代からの恩師であるH先生は、なかなかの食通であり、全国各地の老舗料亭をご存知である。ある時私は、同僚とともに京都の下鴨茶寮に連れていっていただいた。人生で初めてご馳走になった本格的な懐石料理のことは忘れられないが、その時に女将から聴いた話が、とても味わい深く思い出される。 「うちでは、板前さんたちには、いつも美術館などで勉強させてます」 「なるほど、料理は具材の配色やバランスが大事だからですか?」と軽く返してしまった私を諭すように、女将はさらに話を続けた。 「いいえ、料理の配色も大事ですが、それよりもっと大事なのが器を選ぶ感性なんです。料理を引き立てるだけでなく、お膳の組み合わせや順番で、お皿やお椀を選ぶ眼を養って欲しいのです」 当時NHKで、映像デザインの仕事に携わっていた私にとって、まさに「眼から鱗」であった。お客様に食べていただく料理そのものも大事だが、それを載せてお出しする器を選ぶこともさらに大事。テレビ番組の内容が料理だとすれば、私が担当する「デザイン」はそれを載せる器のひとつではないか。「あんたはんは器を観る眼を待ってはりますか?」と聞かれているようで、恥ずかしい気持ちになったものだ。 京都という古都には、古くから伝わる伝統があり、それはまさに生きた教科書なのだ。まさか、これがH先生の策略であったとは思わないが、美味しい料理を味わいつつも、テレビ局デザイナーとしての自分を振り返り、勉強させていただく機会となったのである。

一本道の向こうに

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中央本線は新宿から塩尻まで伸びる長い鉄道である。千葉県から八王子まで通う私だが、八王子から先はなかなか行かない。ときどき「動物と衝突したため遅延」という表示が出る。遠く信濃の国まで繋がっているのだ。だが普段はその実感はない。 しかしある時、それが実証された。新宿から「あずさ号」に乗り、八王子で下車した私は、うっかり隣の席にジャケットを置き忘れてしまった。主人に見捨てられた彼は、その後一人で松本駅まで到達したらしい。親切な駅員さんの手で紙袋にいれられて、数日後に彼は、うかつな主人の元に戻ってきた。確かにこの長い線路は信濃の国まで繋がっている。 遠く伸びる一本道を見ると誰もがその先の世界を想う。 一本道は未来や過去といった時間のイメージにも繋がる。 この「長い一本道」の心理的効果を見事に使った映画がある。「第三の男」と「ペーパームーン」である。どちらもそのエンディングに印象的な「一本道」が登場する。(いずれも珠玉のモノクロ映像です。)前者は、ウィーン郊外にある墓地の枯葉舞う並木道。後者はアメリカ中部ミズーリ州の茫漠とした原野を横切る曲がりくねった道。 いずれのシーンも、物語のドンデン返しの最後に忽然と登場するところが実に効果的。あまりの展開に心を揺さぶられて我を忘れていた観客は、最後にもう一度、ここでじっくりと物語を振り返り、主人公たちの行末を想う。監督が最後に用意してくれた、とても贅沢な時間だと思う。映画はこうでなくちゃね。 私も時には、想像上の一本道をみつめて自分の人生という物語を振り返ってみよう。その一本道のずっと向こうにいつか、もう一度会いたい人たちの姿が見えるかもしれない。

素晴らしい世界へ

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この古い建物はポーランド南端のチェシンという街にありました。「聖ニコラス ロタンダ教会」といって、ポーランドの円形建築で最も古い教会です。20ズォチ紙幣(600円くらい)の裏面に印刷されています。12世紀くらいのものといいますので、ちょうどポーランド民族がキリスト教に改宗して、ヨーロッパ文化圏の仲間入りした頃のものです。 その頃、ポーランドという国は、強力な統治者の登場によって、一気に大国へと統一されていったそうです。それまで沢山の部族に分かれていた人々は、民族同士が混じり合ったり競い合ったりする時代に翻弄されたことでしょう。いまこうして、小高い丘に静かにたたずんでいる丸い建物は、黙ってその当時のことを思い浮かべているようです。 いま、私たちもいわゆるコロナ禍に巻き込まれて、大変な変動の波に揉まれています。この秋の大学も、いわゆる通常の授業への復帰とオンラインとの間で揺れ続けることでしょう。ポーランド民族が知らず知らず、大国が武力で覇権を争いあう時代に巻き込まれていったように、私たちもなにか未知の時代に押し流されているのでしょうか。 いまから1000年後。私の子孫は2020年を振り返って何を見つけるのでしょうか? ヨーロッパのキリスト教徒は、この石造りの建物に彼らの痕跡を残しました。私たちが現代に築き上げた財産といえばどうでしょうか。YouTubeもzoomもNetFlixもブログもオンラインゲームもAI将棋も、えーと、そしてGAFAも?... すべてがデジタルデータです。 トーク履歴を引き継げなかったLINEみたいに消えていたらどうしましょう。 でもまあいいか1000年後のことは。ただ、できることならば、信じられないほど素晴らしい世界へ進化していてほしいものですね。