cubism Get link Facebook X Pinterest Email Other Apps - Thursday, March 04, 2010 卒業研究室「エアープロジェクト」に所属する学生による、作品を紹介します。 まずは音楽作品。LOW HIGH WHO? サイトから、ビートメイカー "cubism"のブランドで、発表しています。アルバムタイトルは " Rainbowholic Before Period " 無料ダウンロードリリースなので、是非聴いてみて下さい。ジャケットデザインも素晴らしいですね。 cubism myspace 彼らとは、今年から「サウンドを視覚化」したり、「マルチチャンネルの音声トラックを送受信したり」という実験を進めたいと考えています。それから「マッシュアップTV」というコンセプトで、映像編集データに様々な「メタデータ」を組み合わせて、ユーザーが自由な形で楽しめる、新しいテレビ番組の形も探っていきたいと思います。忙しい研究の一年になると思いますが、楽しみです! つづきを読む>>> Get link Facebook X Pinterest Email Other Apps
レイチェル・リンド - Thursday, September 03, 2015 宝石のようなカップ / 小伝馬町のカフェ華月で レイチェル・リンドというおばさんのことを覚えていますか? 「赤毛のアン」に登場する、わりと重要なキャラクターですよね。アンが住むグリーンゲーブルスから丘を下っていったあたりに住んでいました。だから、アンの養父母である、マリラやマシューが街へ向かう時には、どうしてもこのレイチェル・リンドさんの家の前を通ることになります。 家事全般を完ぺきにこなす主婦であり、人の行動倫理を極める教育者でもある。こういう人だから、マリラのアンに対する教育方針にもなにかと口を出す。悪い人ではないんだけど、真面目過ぎてちょっと困った人です。 彼女は、自分の家の周囲で何か変わったことがあると、それが何なのかが理解できるまで、徹底的に調べないと気がすみません。マシューがちょっと正装して通っただけで落ち着かなくなってしまう。 「ああ、これで私の一日は台無しだわ」 いったい何があったのだろうと、行き先をあれこれ詮索しないではいられません。家事も、なにも手につかなくなってしまう。 カナダの田舎アボンリーに住むレイチェル・リンドですが、SNSに時間を費やす僕たちによく似てませんか。 誰がいま何をやっているのか、どこへ行っているのか、何をつぶやいているのか。仕事をしているのか、休暇をとっているのか、誰と食事しているのか、タイムラインをチェックせずにはいられない。 まわりが何をやっているのかいつも気になる。 でもそのくせまわりと同じ事はやりたくない。 みんなそういうものですよね僕たち人間って。 つづきを読む >>
放蕩一代息子 - Tuesday, May 04, 2010 ホームドラマの黄金時代を築いた、石井ふく子さんの業績を調べているうちに、「 山田洋次×渥美清 TBS日曜劇場傑作選 4作品-ボックス」という、とんでもないDVDを見つけました。 収録の4作品は、いずれもTBSの「日曜劇場」の枠で、70年代に放送されたもの。時代の勢いというものを感じますが、それとともに、テレビ番組の制作側の人々の矜持というものが画面に溢れている。また、渥美清さんをはじめ、出演者陣の珠玉の演技が素晴らしい。これならこの時代、視聴者が夢中でテレビを観ていたのは、ある意味で当然だったのかも。 さてまずは「 放蕩一代息子 」(1973年)です。一見して、下敷きにしているストーリーはおそらく、落語でいう「 唐茄子屋政談 」かと思う。吉原通いの道楽がすぎた若旦那の「徳」が、ついに親に勘当されて乞食となる。そして極限の苦労の果てに、なんとか真人間に戻るという話です。だめな「徳」をはげましたり、怒鳴り倒したりする、叔父さん叔母さんや周囲の人々の人情が、泣かせてくれる名作落語。( よかったらこちらを ) そう思いこんで、この「放蕩一代息子」を見ていると、どうも様子がおかしいぞ。道楽者の徳三郎(渥美清)が、清兵衛(志村喬)に勘当されるところまでは一緒なのだけれども、こちらの「徳」は、金がなかろうが、食い物がなかろうが、平気の平左右衛門。むしろ、乞食仲間や、精神喪失の乞食女(奈良岡朋子)と一緒になって、まるで「上流貴族」のような気分で暮らしている。妹のせつ(倍賞千恵子)が、どんなに心配しようとも、どこ吹く風と、乞食生活を堪能している。浮き世から捨てられても全く平気。 エンディングでこのドラマは、観客に、こう語りかる。「乞食に身をやつしながらも満ち足りていた徳三郎と、まじめ一筋で店の心配ばかりしていた清兵衛と、どちらが幸せだったのだろうか?」脚本担当の、山田洋次さんは、このドラマにどんなメッセージを込めようとしたのか。普通ならば「この道楽者!」と怒鳴り倒されるはずの徳三郎を、あえて擁護するようなストーリーを、なぜ書いたのだろうか? 考えてみました。うん。おそらく、こういうことではないでしょうか。 江戸時代の話であれば「遊んでばかりいたら、お天道さまに申し訳ないよ!」という教訓が必須だった。江戸時代にはおそらく、みんな適当に遊んでいたから。しかし、こ... つづきを読む >>
クリングゾルの最後の夏 - Monday, December 03, 2012 ヘルマン・ヘッセは、生涯の旺盛な読書を通じて、中国、日本などの東洋思想に惹かれていた。実際に南アジア方面への旅行を通じて著した「インドから」という本もありますし「シッダールダ」という本も書いています。 「クリングゾルの最後の夏」(☆1)という小説は、四十二歳で生涯を閉じようとする一人の画家を主人公にヨーロッパの没落を扱った異色の小編だそうです。読んでみたいけど、なかなか入手できないです。この小説に出てくる主人公たちは、お互いを「杜甫」「李太白」などと呼び合う。彼らの会話は、まるで禅問答。 つづきを読む >>