科学のハート


ガリレオ・ガリレイは「地動説」をめぐってローマ教皇と対立し、異端審問を受けた。およそ330年後もたった1992年、バチカンはこの誤りを認め、彼の名誉を回復したが、やはり科学と宗教は本質的に相入れないものかもしれない。

1973年に、ノーベル物理学賞を受賞した、江崎玲於奈博士は、この「宗教と科学」の本質的な違いを明確に意識しながらも、人間の心の中での共通点について、このように書いておられる。

「心には、マインドとハートのふたつの面がある。私がマインドの極みであるサイエンスにひかれたのは、ハートの極地に神がいるという同志社での教えに触発されたからのようです。いずれも『心の極地』ということでは、同じだからです」( 10月4日 読売新聞 )

同志社に学びながらも、決してキリスト教徒になることは無かった博士。一方で「自然や宇宙を支配する絶対唯一の神が存在すると信じるキリスト教は、絶対的な自然神と共通する側面もある」と指摘される。

どんなに科学の時代となっても、人間が科学に取り組むには、その心が必要だ。ものごとに疑問を感じ、ものごとに挑戦する意欲を持ち、自然界の不思議さに感動する心。江崎博士の言葉によれば、科学者は「マインド」という心を使って研究は進めるのだが、実際には「ハート」という感動する心がなければ、真実の業績には到達しないということではないだろうか。

目では決して見えない物質の世界を、心の眼で見通す。昨夜のノーベル化学賞受賞のインタビューに答える鈴木章氏の、おだやかなまなざしに、まさに道を究める者の「ハート」があふれ出るのを感じた。根岸英一氏の言葉にも、自然界にかくされた秘密を探し出す、探求者の心を感じた。結果は30年かかっても、ついてくる。肝心なのはハートなんだ。ハート。


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