神の書はどのように書かれているのか


いま「神の書」といわれる本を読んでおります。いやいや聖書でもなく宗教書でもありませんで、これはプログラムの本なのです。技術書です。キース・ピーターズさんという専門家が書いたれっきとした技術書なのです。いわゆるオライリー本というやつです。がらにもなく、これを熟読しております。

それで、この本がなぜ「神の書」なのかというと、これが説明が難しいのですが、プログラムの体系として、とてもよくできているということなのです。アニメーション画像を扱うのにとても具合の良い「アクションスクリプト3.0」という言語についての本です。この言語をつかって、ひとつのバーチャルワールドをカンペキに記述することができるのです。だから「神の書」なのだそうです。

キース・ピーターズさんは、とても謙虚な方です。この本に紹介されているアルゴリズムも、ほとんどは「自分が発明したものではない」と名言。つまり自分は神でもなんでもない。世界中の「アクションスクリプト」の開発者が長年かけてつくってきたコードをまとめただけだと。できるだけ簡潔に、できるだけ使いやすく設計された、素晴らしいプログラムがたくさん紹介されています。結果、すごい内容の本になった。

宗教家のみなさんは気を悪くされるかもしれません。あくまでこれはプログラムの世界の話なのですから、お許し下さい。この本にかかれている技術をつかって記述すると、そのプログラムワールドは、まるで本当の現実空間のように機能してしまう。あくまでそういうことです。つまり世界のシミュレーションが出来上がるのです。

モノとモノがぶつかっては跳ね返る。モノがモノの後ろを通過する。走って急に止まると床がスリップする。そういうことをプログラムで書くことができます。こうなると、書いた本人としては、その小さな小さな世界の「神」になった気分です。

さて、本当の神様は、僕たちが住んでいるこの世界をどのように作ったのでしょうか?これについては、世界中の宗教学者や哲学者の方々が長年研究しているので、僕なんかが意見をさしはさむ余地はない。それをわかった上で、ちょっとこんなことを考えてしまう。

おそらく神様というものは、僕たちのような存在をはるかに超えたもの。だから僕たちのこの世界を、もしも「プログラム」したのだとしたら。それはきっととてもシンプルで美しいコードなのだろうなと。そう想うのです。この目の前のバラを見てもそう想うのです。ま、それだけのことなのですが、なぜかちょっと感動的だなと、そう感じます。

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