四惜

江戸川の対岸に向かって街の灯を見つめる。明け方と同じように、ヒバリが鳴いている。夕方も、鳥たちにとってはおしゃべりの時間なんですね。今日の一日にあったことを、忙しく報告しているのかな。コウモリたちは、群れをなして羽虫を追いかけて食事に夢中。

街が静かに暗闇につつまれて、川面にいくつもの灯が映る。なんだって人間は、こんな風な都会を作ってしまったのだろうか。高層マンション、街灯で照らされた道路、走り続ける自動車、眠らないコンビニ、飲み屋、歓楽街。この静かな川の向こうには、変わらない都会の喧噪が一晩中続くのだろう。

こうした都会の生活を、当たり前のこととして享受してきた。そればかりか、これからもこうした都会の生活は、日本中から若者達を吸い寄せ、さらに巨大化していくことだろう。僕自身が、かつてこの都会の明かりに吸い寄せられてきた一人なのだが。

明の末期の学者、陸世儀(りくせいぎ)は、次のような言葉を残して、後代の人間生活を戒めている。安岡正篤先生は、著書「養心養生をたのしむ」の中でこれを「四惜」として紹介しています。

昼坐まさに陰を惜しむべし。
夜坐まさに灯をおしむべし。
言に遇わばまさに口を惜しむべし。
時に遇わばまさに心を惜しむべし。

この言葉について、安岡先生の言葉を借りて解説します。

昼は光陰(時間)を惜しめ。夜はせっかく灯火をつけたら、勉強をしなさい。灯火をつけっぱなしにして遊んでおってはいけない。自由にものを言うというのは人間の特徴であり、幸福であると同時に、これは非常な災いになる。くだらないことをだらだらと述べるのはやめて言葉をつつしむべきだ。重大な時に、心を乱用してはならない。非常な重大な時こそ、我々が心を養う、心を練るのに最も必要な時である。

大震災以来、灯火の摂生は僕たちの習慣となった。
くわえて、口も心も摂生していかなければならない。

この未曾有の危機を乗り越えるため、この文明と、都市生活の習慣に生きる僕たちは、心をこそ、節していかなければならないのかもしれない。もっと、自然とともにある生活に帰るためにも。

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