クレイジーな時間

私のiPhone4が「クレイジーな時間」を表示しています。いま、9時25分なのですが、文字盤はこんな感じ。なんか変ですけど、これが良いんですよ。フランク・ミュラーのトータリー・クレイジーの文字盤なのですから。時針がとびとびに飛ぶんです。

もしこれが、トノウ・カーヴェックスの本物ならば435万円です。それが、iPhoneアプリでは無料。嬉しいなー。

「時間」というものは不思議。川の流れのように存在するようでありながら、それがどこを流れているのか分からない。「時間」というものが流れているところを見たものは、誰もいない。時計の文字盤を見れば、確かにそこには秒針が回っています。けれどもそれは、ただそこを回っているだけなのかもしれない。時計の針が「時の流れ」を計測しているという証拠は無いのです。

古今東西の哲学者や科学者が取り組んだ「時間」の問題。いまだかつて、真実の答えは出ていない。ノーベル物理学を受賞した湯川秀樹先生も、著書「理論物理を語る」の中で、「時間の存在を証明することは非常に難しい」と語っておられます。「時間」というものは、もしかしたら、生きている我々の錯覚に過ぎないのではないだろうか。

ところで、フランク・ミュラーには「イレギュラー・レトログラード・アワー」というモデルもあります。ロング・アイランドのモデルで441万円。買えるわけないけど、とても憧れます。だって、この時計では、時間の進み方が伸びたり縮んだりするんですから。

人間にとって楽しい楽しい時間は早くすぎる。例えば「家族との朝ご飯」の朝7時から8時。あるいは「同僚との昼ご飯」の11時から13時。そして「夜の打ち上げディナー」の17時から18時。こうした時間は、文字盤の間隔が大きくなってるんです。そのかわり、オフィス・アワーにあたる、朝8時から11時なんかはなかなか進まない「退屈な時間」。その時間帯の文字盤は、間隔の短い文字盤になっています。見るだけでラッキーな感じ。午前中の仕事が、あっという間に終わる気がします。

しかし、「楽しい時間」と「退屈な時間」の違いって、一体なんなのでしょうか? いろいろあるけど、一番大きいのは、一緒に時間をすごす仲間がいるかいないか、の違いではないでしょうか。友達や家族とわいわいやっているときは、あっという間に時間が過ぎる。しかし、孤独でコミュニケーションの無い時間は、つまらない。

人間というものは、やはり、仲間とともに生きてなんぼのもの。仲間から疎外されて孤独に過ごすということは、そこには「生きた時間が存在しない」ということになるのではないでしょうか。フランク・ミュラーのクレイジーな文字盤を見ながら、そんなことを思います。

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