本当に本と言えるのか

これは本当にお茶と言えるのか

僕は電子書籍は嫌いなのだ。これを言い出すと、またもや古い人間のカテゴリーに入れられそうなので、周りの人にはあまり話さないようにしているが、僕は電子書籍にはなにか重大な欠陥があるとずっと感じている。紙に印刷されていないものは本として認めたくない。あくまで感覚的なものなのだが。

電子書籍はエコです。紙の節約はエコです。あなたは本の内容を検索しないのですか。情報を大量に持ち運ぶ時代なのです。時代には逆行できません。あなたの考え方は単に過ぎ去った過去の習慣です。旧弊です過去の幻想です。古いのです。

わかっています。


でも釈然としない。ああモヤモヤする。

こういうモヤモヤは、長く抱えているとある日突然、手品のように答えが出る事がある。今回、鮮やかな答えを出してくれたのは、6月18日(木)放送の「あさイチ」だった。さすがはNHKの情報番組だ。受信料は払っておくものだ。

正確には「あさイチ」そのものではなく、それに出演していた谷川俊太郎さんが、答えを出してくれたのだ。生放送で谷川さんが自作の詩を朗読している。そして自作について語っている。なんて豪華で素敵な番組だったことか。いや、なんと谷川さんが素敵だったことか。僕のぼやけた記憶なので正確ではないが、こんなことを話されていたと思う。

「詩というものは、PCの画面の上にあるだけでは詩にはなりません」

「本という形に印刷されて、それで、活字になった文字や、紙や、表紙などに支えられて、そういうものの力を借りて、詩になるのです」(☆1 / ☆2)



これでしばらくモヤモヤは解決。



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☆1:やはり僕の頭に残っていた番組の記憶は相当にいいかげんで、実際の谷川俊太郎さんの発言とは違っていたようです。谷川さんの「あさイチ」出演は、あちこちで話題になっていて、HUFFINGTON POSTの記事でも紹介されていました。そちらから、改めて、電子書籍と紙の書籍について谷川さんが指摘していた部分を引用させていただきます。

「ただ文字データがあればいいだけじゃないんですよ。僕も電子メディアで詩を読むことがあるんですが、味気ないんですよね。意味しか通じないというか。詩っていうのは、(言葉の)意味以外のものがいっぱいあるわけなんですよ。言葉の音とか。そこから湧いてくるイメージとか。だけど、ディスプレイで読むと、他の情報と全く同じように詩が見えてしまう。詩がたってこない。それが、本になると、本の個性みたいなものが、詩を応援してくれている」

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☆2:谷川俊太郎さんのことをいろいろと検索していたら、アップストアで「谷川」というiPhoneアプリを見つけてダウンロードいたしました。谷川さんの詩を「たにかわ」で「つかまえる」アプリです。つかまえた詩は、後でゆっくりと「かんさつ」することができるのです。電子メディアといっても、このように、表現とぴったし寄り添う仕組みさえあるならば「詩を応援している」ものだと言えるのではないでしょうか。






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