約束という概念
いま話題の石油の王国。かの国は、たくさんの若者を世界中に留学させている。いずれ起きるであろうエネルギー革命にそなえて、優秀な若い世代を育成するためだ。私の大学にも、何人かの留学生がいた。
彼らから、こんな面白い話を聞いた。
彼らの国では「約束という概念」が日本とは違う。仮に「明日3時に会おう」と約束しても、その翌日に双方がそろう確率は50%くらい。お互いに、約束には束縛されない自由があるのだろうか。パーティを開いても開始時間に全員がそろうことなど、あり得ないのだそうだ。
はじめは本当かな?と疑っていたが、実際に彼らの行動パターンをみていると、まったくその通りだし、関係者からのたくさんの証言もあった。やはり本当なのだろう。
そこへいくと、日本人にとって「約束の拘束力」は実に大きい。実社会では「遅刻は致命的な失敗」と教わるし、「約束を守らない人」は基本的に信用されない。日本人の生活には、約束というきつく縛られた網目を、慎重に渡っていくような窮屈さがある。
約束を重んじる国と、約束にあまり束縛されない国。
どちらが幸せなのだろう?
その答えは、個人の側で考えるのか、
社会の側で考えるかで変わるだろう。
そういえば、昨年学会で訪れたバリ島のレストランを思い出す。
そこはそもそも「約束という概念」を忘れるような場所だった。