後もどりできない

地上デジタルは前にすすむ

おまえは後もどりできない。
わたしたちの道が
「昨日」に架ける橋だと信じているなら
おまえはここで生きることはできない。
「今」は過去のやり方とは違うのだ。
「今」は美しい、
なぜなら、この世で大事なもののすべては
わたしたちに至る道を見つけてしまったからだ。

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ナンシー・ウッド著 / 金関寿夫訳
「今日は死ぬのにもってこいの日」より

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はじめからやりなおしたほうがましってことありますよね。

例えば出来の悪い企画書。途中までできたものを、あれこれいじっていてもだめ。研究計画書なんかもそうかも。もともとのアイデアや構想が良くないのに、とにかく完成させようとして焦っても、ロクなものにならないんだ。そういうときは、いっそのことすべてをポイッと捨てて、はじめからやりなおしたほうが早い。えいっと、リセットしてやりなおし。

最近の映画やテレビ番組では見かけなくなったシーン。作家、小説家、いわゆる「物書き」という人たちが、ボサボサの頭をかきかき、うんうん言いながら原稿の執筆中。書きかけの原稿を、やおら「ぐしゃぐしゃぐしゃ」とまるめて「ポイっ」とクズカゴに。ふーっと深呼吸をひとつ。そしてまた、真っ白な原稿用紙に向かう。

今はこれ、映画で見ないだけでなく、実際になかなかできませんね。「ぐしゃぐしゃぐしゃ」って、原稿用紙を揉みくちゃにしたくても、そもそも原稿用紙自体がない。企画書って言っても、要はデータなんだもん。マックが、システム・サウンドで「ぐしゃぐしゃぐしゃ」って言ってくれるだけ。リアルな「ぐしゃぐしゃぐしゃ」はできないんだ。

私たち人間の体にも、はじめからやりなおしたほうがいいパーツがあるんだって。例えば盲腸。進化の過程で、消化管の一部にそういう腸があったほうが良いときがあったんだろうけど、現在の私たちの体には不要なもの。だからといって、いまさら簡単には無くせません。私たちが日々お世話になっている「眼」。これにも設計上の問題が。視神経が眼球から出て行くところの配線が良くない。そのために「盲点」というものがある。配線を変えるといいのだけど(トカゲの眼はそうなっているそうだ)まさか人体の設計をはじめからやりなおすわけにはいかない。また43億年かかるし。

今年の7月に始まる「地デジ」もそうだ。人体の進化と同じように、テレビやラジオを支える放送システムも、ある順番に技術進化を遂げてきた。1953年2月1日にNHKがテレビ放送を始めたときには、テレビ・ラジオの電波塔から広域に発射される、アナログ電波によるものということで当然だった。ほかに優れた手段など無かった。

しかしもし1953年に、インターネットや高速無線LANや携帯電話の技術を知っていたら、テレビは生まれたのだろうか?もし今、はじめからやりなおすことができるとして、私たちは「地デジ」を選ぶのだろうか。日本の国土にすべからく、映像と音のコンテンツを届ける手段として「地デジによる放送システム」を選ぶのだろうか。おそらくは、バックボーンとなる光回線を主軸とした通信網と、末端における無線通信の組み合わせによるシステムを選んだことだろう。

冒頭の詩は、インディアンの古老が、かつてナンシー・ウッドに語った言葉。「おまえは後もどりできない」。そう、私たちは後ろ向きに進むことはできないのだ。どんなに理不尽でも効率が悪くとも、進歩の道を前に向かって進むだけなのだ。

私たちが見つけてしまった「放送」というシステムは、現代の社会生活は支える基盤インフラだ。簡単に「ぐしゃぐしゃぐしゃ」と捨てるわけにはいかない。多少効率の悪いシステムだとしても、これを改善し工夫し、未来へとつないでいくしかない。今年2011年7月24日。アナログ波停止。日本のテレビ放送は前へ進む。


引用の詩・原文

You cannot go back.
You cannot live here believing that
Our way is the bridge to yesterday.
Now is not the way it was,
Now is beautiful because
Everything that mattered
Has found its way to us.

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