チューインガム
電車の中で、すごいガムの広告を見ました。
噛んでいるうちに、味が二種類に変わる革新的なガムです。最近タバコが大幅値上げになってからというもの、ガムの売れ行きは好調らしい。その新たな市場をめがけて、さまざまな新製品が投入されているんでしょう。
ところで、チューインガムというものは、そもそもなんのためにあるの?駅のホームでひとり待つ電車。意味もなく延々と続く会議。オフィスで襲われる耐えられないほどの眠気。こういう状況時、ポンっと口に放り込むためにあるのだよ。気分転換。気分転換。
しかし、こうした「気分転換」の主役は、いまやチューインガムではない。それは、携帯電話やスマホなのだ。気分を変えられるだけじゃなくて、一見仕事などしている風に見えるところが、また都合がいいよね。実際には、仕事と関係ないメールを見たりしてんだけどね。最近は「会議中に書いたなこれっ」みたいなツィートも多い。いまの若者は、机の下でブラインド・タッチしちゃうんだし。
さてこの際、改めて考えてみよう。ガムのような嗜好品というものは、人類にとってなぜ必要だったのだろうか?チューインガムが発明されなかったとしても、現在の文明社会が無かったということでもなかろう。だったら、なぜこんなものを作ったり、売ったりするんだろうか。
一方の携帯電話やスマホだってそうだよ。みな一日中いじっている割には、たいして生産的な仕事をしてそうにも見えない。暇つぶしのほうがメイン機能のような気もする。
そうか。ガムも携帯も、要するに暇つぶしの道具。ひるがえって見れば、僕たちの人生って、大半が暇つぶしの時間だっていうことなのかな? まあいいでしょうよ、それで。ガムを噛んでいる間、その時間が楽しければいいんだからさ。そうそう。僕たちが地上を去ってから、10万年もすれば、僕たちのやった業績なんて、どうせ誰も覚えてくれてなんかいないんだから。
あの方も、こう言っておられます。
人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではない
ゲーテ