ポスト社会
それではなぜ、企業内では「組織の階層」がへらないのだろうか?
階層がへれば、それだけ部署の数もへってしまう。部署がへれば、その部署のボスとなるポスト長のポジションもなくなってしまう。ポストがなくなれば、肩書きもなくなってしまう。「俺は部長だ」とか「俺は課長だ」などと威張ることができなくなるのだ。
巨大な組織には、それだけ膨大な数のポストが存在するんです。上級の社員が増えすぎると、彼らを処遇するだけのポストも足りなくなるので、わざわざ「肩書きのため」のようなポスト(失礼!)を作ったりもする。担当部長とか、課長代理とか、これってなんなんだろう?っていう肩書きがあります。こういう肩書きの人って、ちょっと気の毒な気がしますね。
ところで、こうした「ポスト長」って、結局は何をしているのでしょうか。ドラッカー先生は、彼ら「トップに立つ人間」の役割は、いまや、採用や解雇、効果、昇進などの人事関係のみが彼らの仕事であると述べている。つまり、仕事を遂行する上では、対して意味の無い存在だということなのです。
特に、情報やテクノロジーを扱う、現代の企業組織においては、上司が部下の仕事内容を把握することは無理なのだ。知識労働者を部下に持つ上司は、部下の仕事を代わりにやることはできない。オーケストラの指揮者が、チューバを演奏できないのと同じように。上司は、部下の仕事を管理するだけなのだ。ドラッカー氏が例示する、以下のようなチーム型の組織では、こうした形式的な上司は必要無い。
「その一例が心臓バイパス手術のための十数人からなる手術チームである。心臓バイパス手術には、主任外科医がいる。二人の補助外科医がいる。麻酔医がいる。手術前の患者の面倒を見る二、三人の看護婦がいる。手術を補佐する三人の看護婦がいる。手術後の面倒を見る二、三人の看護婦とレジデント医がいる。肺機能をみる呼吸器機の技師がいる。三、四人の電気技師がいる」
「彼らのいずれもが、それぞれ自分が担当する仕事だけをする。 <中略> しかし、彼らはみな、チームの一員であることを自覚している。 <中略> チームのなかでは、誰にも命令されることなく、手術の流れ、進行、リズムに従って、自らの仕事を自らの判断で変えて行く。」(☆1)
テレビ放送局内の番組制作チームも、これとよく似ている。ディレクター、プロデューサーから始まって、AD、AD補、技術スタッフチーム、美術チーム。ひとりひとりが、番組を作るという目標に向かって、自主的に働く。まさに「チーム型」組織だ。管理ポストにあるボスは、主に、勤務管理、安全管理、勤務評定、ハラスメント管理などをするのみ。
情報社会となった現代。自立的なチーム型組織が、あちらこちらで活動しています。それなのに、実際の企業組織には、旧態依然とした多層的な階層社会と、無数のポストが残っているんです。
これでいいのかな?
ポスト社会。
☆1:「明日を支配するもの」 ( Management Challenges for the 21st Century)
上田惇生訳 / 1999年 ダイヤモンド社刊より
階層がへれば、それだけ部署の数もへってしまう。部署がへれば、その部署のボスとなるポスト長のポジションもなくなってしまう。ポストがなくなれば、肩書きもなくなってしまう。「俺は部長だ」とか「俺は課長だ」などと威張ることができなくなるのだ。
巨大な組織には、それだけ膨大な数のポストが存在するんです。上級の社員が増えすぎると、彼らを処遇するだけのポストも足りなくなるので、わざわざ「肩書きのため」のようなポスト(失礼!)を作ったりもする。担当部長とか、課長代理とか、これってなんなんだろう?っていう肩書きがあります。こういう肩書きの人って、ちょっと気の毒な気がしますね。
ところで、こうした「ポスト長」って、結局は何をしているのでしょうか。ドラッカー先生は、彼ら「トップに立つ人間」の役割は、いまや、採用や解雇、効果、昇進などの人事関係のみが彼らの仕事であると述べている。つまり、仕事を遂行する上では、対して意味の無い存在だということなのです。
特に、情報やテクノロジーを扱う、現代の企業組織においては、上司が部下の仕事内容を把握することは無理なのだ。知識労働者を部下に持つ上司は、部下の仕事を代わりにやることはできない。オーケストラの指揮者が、チューバを演奏できないのと同じように。上司は、部下の仕事を管理するだけなのだ。ドラッカー氏が例示する、以下のようなチーム型の組織では、こうした形式的な上司は必要無い。
「その一例が心臓バイパス手術のための十数人からなる手術チームである。心臓バイパス手術には、主任外科医がいる。二人の補助外科医がいる。麻酔医がいる。手術前の患者の面倒を見る二、三人の看護婦がいる。手術を補佐する三人の看護婦がいる。手術後の面倒を見る二、三人の看護婦とレジデント医がいる。肺機能をみる呼吸器機の技師がいる。三、四人の電気技師がいる」
「彼らのいずれもが、それぞれ自分が担当する仕事だけをする。 <中略> しかし、彼らはみな、チームの一員であることを自覚している。 <中略> チームのなかでは、誰にも命令されることなく、手術の流れ、進行、リズムに従って、自らの仕事を自らの判断で変えて行く。」(☆1)
テレビ放送局内の番組制作チームも、これとよく似ている。ディレクター、プロデューサーから始まって、AD、AD補、技術スタッフチーム、美術チーム。ひとりひとりが、番組を作るという目標に向かって、自主的に働く。まさに「チーム型」組織だ。管理ポストにあるボスは、主に、勤務管理、安全管理、勤務評定、ハラスメント管理などをするのみ。
情報社会となった現代。自立的なチーム型組織が、あちらこちらで活動しています。それなのに、実際の企業組織には、旧態依然とした多層的な階層社会と、無数のポストが残っているんです。
これでいいのかな?
ポスト社会。
☆1:「明日を支配するもの」 ( Management Challenges for the 21st Century)
上田惇生訳 / 1999年 ダイヤモンド社刊より