2013年9月4日水曜日

実り多き時代


「フルートフル 」(☆1)という単語があることを知ったのは、結構な年になってからだった。「フルートフル」つまり、フルーツが一杯。実りがいっぱい。「実り多き」という意味。こんなに使いやすい褒め言葉なのに、大学を出るまで知らなかった。

最近ではちょっと少ないような気がするけど、日本人の名前には実さんという名前がある。外人で「フルートフル」さんというのは聞かないけれど、「実り」という意味を含んだ単語を知ったのはなぜか嬉しかった。単純に「マーベラス」だの「グレイト」などというよりも、そこに「よく頑張ったね」というニュアンスを含めることができる。

他人の仕事や業績をたたえるのに、もってこいだと、さっそくメモしたのを覚えている。それに、ちょっと意地悪なことを言うと、他人の作品が決して「グレート」で無いときにも使えるのだ。「あなたがやっただけのことはあるね」と、ややひかえめに褒めるのにつかえるのだ。

あっ、でも待てよ。日本語でも「実り多い作品ですね」って言ったら、ちょっと厭味っぽいことになるな。英語でも、単独で「あなたの作品はフルートフル」ですね、って言っては失礼にあたるのかな。やはり「グレート・アンド・フルートフル」というように使うべきかもしれない。

「グレート」とも、「フルートフル」とも褒められることなく、うちの近所の田んぼでは、見事に実った稲穂が頭をたれている。秋の気配を感じるようになった風に揺られて、ただただ満足げに並んで輝いている。人間と違い、この半年間頑張って育ってきたことについては、何の見返りもお褒めの言葉もいらない。完全自足の境地である。

それにひきかえ人間というものこうはいかない。ちいさいときから親に褒められ、先生になでられた経験があるので、大学生になってもオトナになっても、どこかで「褒められたい」という欲求が出る。なんちゅうことだろう。いわゆる精神活動というもの、そのものが「褒められる」ということを要求するのだろうか。私自身「褒められて育つ親父」を自認しておる。

しかし、褒められ過ぎるとロクなことはない。なんだか、すべてが自分の手柄のような錯覚に陥る。会社でも時々いる。「この会社がここまで来たのもオレの実績だ」「今期の業績の大半はオレの人脈から生まれている」とか、大きなこと言ってる人がいる。

現代の社会とは、本当に実り多き時代だと思う。長い長い人類の歴史を経て、農耕時代からふたつの産業革命を経て、情報革命、エネルギー革命。すべて先人たちの努力の上に現代という時代の実りがある。大きな顔をしてクルマを運転していても、僕たち自身はこの環境の実現にどれほどの貢献をしたというのか。

豊かな食料。有り余るエネルギー。清潔な水。整然と並ぶ都市。高度な教育。張り巡らされる情報網。現代は先人たちの営みから生まれた「フルートフル」な時代なのだ。我が物顔でそれを享受して、使い果たしてしまうのは申し訳ないことだ。次の時代に、さらに実り多い時代を引き継いでもらうため、現代の僕たちには何ができるのだろうか。

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☆1:Fruitful
fruitful / frúːtfəl/
形容詞
1 大いに作り出す;〈作家などが〉多作な.
2 よく実のなる;よく子を産む, 多産の
Be fruitful and multiply.|産めよ, ふえよ〈〘聖書〙創世記1:28〉.
3 〈雨などが〉豊作をもたらす;⦅文語⦆〈土地が〉肥えた(fertile).
4 好結果をもたらす, 効果的な, 有益な;実りの多い