私は変人

いますよね。ちょっと「変な人」や「変わった」人たち。いますいます。そどこにでもいます。落ち着いて、じーっと見回してみると、まわりの人間が、どいつもこいつも、みんな「変人」に見えてきたりするし。

でも不思議です。自分のことを「変人」だと認識している人は少ないです。少ないというより、まず、ありえません。これはありえません。自分で「わたし変人です」と言う人、これまで一度も会ったことありまへん。誰でも自分自身のことは、きわめて「まとも」だと信じているのですよね?

それはそうですよ。

誰かが仮に、自分のことを「私は変人です」と言ったとします。でも「変人」の発言とは「変な発言」でしょ。「変人」が、「私は変人です」と言ったというのは、「私は変人ではない」と言ったのに等しい。あるいは「私は変な変人です」と、二重に否定したことになる。つまりそのひとは「変人ではない」ということ。結論として彼は「とてもまともな人」ということになるである。なんかおかしいですか?

誰にとっても、自分だけは「まとも」な人。
でなきゃ、生きて行くのも嫌になるでしょ。

「変人」や「奇人」というのは、あくまで他人の目から見た客観的評価。主観的評価としての「変人」はあり得ないんです。 パラドックスになるからね。人間は自分のことを自分で「変人」であるかないかは、決められないんです。僕もとりあえず、自分のことはタナにあげておきます。僕が「変人」か「変人でない」かは、他人が決めてくれること。

冒頭の写真の方、世紀の大奇人。アルベルト・アインシュタイン。Wikipedia の、「変人奇人コーナー」にリストアップされた奇人の中でもダントツの「変人」でしょうね。誰もが客観的に認める「変人」さんです。奇人イコール天才という意味でも、大変人。だって「質量がエネルギーに変わる」ということを発見したんだから。科学史においてとても重要な「変人」だ。

もしも、アインシュタインが「きわめてまとも」な人だったら、物理学のアプローチにおいても、他の研究者と、同じことしかしなかったでしょう。彼は「変人」だから、他の物理学者とは別の研究をした。そして「相対性理論」を作っちゃった。時間は伸びたり縮んだりするなんてすんごい発見。原子爆弾や原子力発電所が出来るようになっちゃったのは、ちょっと余計だったけど。

科学の歴史というものは皮肉に満ちていますね。もし、アルベルト・アインシュタインが「変人」でなければ、彼は普通の大学教授で終わったのだろうし、物理学をひっくり返すこともなかった。

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