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5月 29, 2011の投稿を表示しています

竹下通りは永遠に

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千年の古都、京都の街並み。いつまでも変わらない美しさ。

しかし実際には、京都だって、常に変わっている。京都駅前に水族館が出来るのはいいとして、木屋町通りなどにも、風俗店やパチンコ店も台頭。河原町も行くたびに、店の並びが変わっている。

東京に目を向ければ、渋谷だって同じことだ。いつの間にか、大盛堂や旭屋書店も消えて、マンガとフィギュアの街になってしまった。大人の町から子供の町に変わってきた。飲食店のメニューラインナップも、低年齢化している。

こうした「街の変貌」というのは、どのようにして起きるのだろうか。その街に訪れる人、年齢層というのは、どのようにして変わっていくのだろうか。

鴨長明の名随筆「方丈記」の冒頭に、当時の京都の移り変わりを描いたくだりがあるので紹介します。

<玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。>

世代交代や、各家の興亡によって、世の中は変わっていく。それにつれて、街並みも人も変化する。この世には、何ひとつとして変わらぬものはないんだよ。

先日、久しぶりに原宿の「竹下通り」を覗いてみました。先日、レイグループの30周年記念展示会の際にちょっと。日本のティーンにとって、アビーロードよりも有名な「竹下通り」。ギャルのファッションストリート、健在でした。。

そこでちょっと考えてみました。

30年後、「竹下通り」はどうなっているのでしょうか。いま、ここにいる子たちは、ここでこのまま年をとって、おばあちゃんになってもここで買い物をするのか。それとも、いずれ巣鴨の「地蔵通り商店街」(☆1)に移動して、そこを新たなる活動の場とするのだろうか。ちょっと不謹慎ですが、社会学的な興味がわいてきました。この答えを知っている人はいるかしら。

どっちだろう?

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営巣地
巣鴨に替えるや
ギャルカモメ

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ギャル通り
30年経ったら
巣鴨かな

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失礼いたし…

兼好先生のビジネス書

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700年も前に書かれた「徒然草」を読み返してみました。自分が年をとったせいか、吉田兼好さんとの距離が年々近くなってきた気がするんです。

「徒然草」。現代のビジネス啓蒙書と考えても何の違和感もないなー。宮仕えのサラリーマンの悲哀とか、出世にからんだ男の嫉妬とか、男女問題とか、死生観とか。今も昔も変わらないんですな。ふむふむ。

昨日も、はっとさせられる話を見つけました。 こういうこと言われると、ほんとドキドキします。なんか、お祖父ちゃんに叱られているような、気がしてくるよ。

徒然草・第188段より

<あるひとが、我が子を法師にした上で、「学問して因果応報の原理を習い、説教で生計を立てるように」と言ったので、親の言いつけどおり説教師になるために、まず乗馬を習った。(馬で招待された時のため)その次には法事のあとで酒などを進められたとき、芸がないのは興ざめなので、早歌を習った。やがて早歌も玄人の域に近づいた。しかし、その間、説教を勉強するはずの時間もないまま、ついに年を取ってしまった。

若い間は、あらゆる分野に関して一人前になる、その道で大成し、また芸能も習得し学問もしようなどと、遠大な計画を心に抱いているものだ。ところが、その一方で自分の人生は先が長いと、のんきに考え、なすべきことを怠り、目の前の雑事にばかり気を取られて月日を送ってしまう。だから何一つ達成できたもののないまま、年老いてしまう。>

うわー。

僕なんかもう、52歳ですよ。文字通り「年老いて」しまってるではないか。ガーン。若い時にどころか、いやもう、手遅れってことかー。毎日余計なことや雑用にとりまぎれているうちに時間ばかりが過ぎていく。兼好先生の、言うとおりのパターンだわ、こりゃ。

そう言えば、巨匠ハワード・ホースも言っていたな。「すぐやれ。自分でやれ。徹底的にやれ」って。

いやもう、わかりました。わかりました。すぐやりましょう。残り少ない人生ですからね。若いひとたちとは違いますからね。彼らには時間はたっぷり。こっちはあとがない。いくぜー、やる気じじいで。そのへんの大学生には、負けられまへん。