絵はがきがとどくまで


長崎出張のおりに、時間をみつけて実家に絵葉書をだした。自分としては珍しいことである。長崎という土地が持つ、異国情緒のようなものが旅情をかきたてたのか。端っこに水彩画も描いた。
出した後は届くまでが楽しかった。「いまごろは郵便やさんが運んでくれてるかなー?」とか「着いたかな?」などと想像して楽しむ時間ができた。そのつど、なんだか良い気分になった。これは、メールでは出来ないことである。
メールなどというものは、出した瞬間に相手に届いてしまう。電磁波というものに乗っていくのだから早い。高速どころか光速だ。「とどいたかな〜?」なんて言っているヒマもない。
メールの功罪。いろいろ言われている。レスポンスが早過ぎて仕事が余計に忙しくなった。常にレスポンスをする必要があるので休まらない。など。メールというものは、仕事の流れの上流にいるものにとっては便利で強力なツール。だけど下流にいるのもにとっては迷惑なものなのだ。
こういう電子媒体のおかげで、通信のコストというものが変わった。かつてどんな仕事においても、通信には一定のコストがかかったものだ。電話を引き、ファックスを置いておくというのが、まずは会社としてのスタートだった。そういう投資がありそれがまずすべてのベースとなった。また、仕事を引き受けている以上、常にそういう通信コストというものがかかっていて、それは最終的に仕事の「請求額」に上乗せされたものだ。
放送局に務めていた頃、海外の放送局に向けて「テレックス」というものを打ってもらったことがある。どの部屋だったか忘れてしまったが、おそらく報道局の外信部か何かだったのだろう。部屋いっぱいが海外との通信のためのスタッフで溢れていて、その中央に、いかにも高価な最新機器という感じの「テレックス」が鎮座していた。
「今度の出張では、いついつ到着しますので、よろしく」みたいな文章を、ものすごい音をたてて、パンチテープに打ち出していった。おそらく、海の向こうの同じような機会がそれを打ち出して、それを向こうの誰かが読み取って文章にしたんだろうね。大げさなものだった。
テレックスまで大げさな話でないが、私が学生だったころは、学生が電話を持っていること自体が大変なことだった。固定電話の回線を引くだけで、10万円くらいの権利料を払わなければなかった。携帯電話なんて夢にも思わなかったし、インターネットという概念自体存在しなかった。
そんな時代に、いったいみんなお互いにどうやって連絡を取り合っていたのだろう。今では不思議でしようがない。ちゃんと同級生どうしで遊びに行ったり、会ったりしていた。メールも携帯もないのに。どのようにスケジュールを調整していたんだろうか。メールも携帯もない。だけど別になにも不自由とは思わなかった。
ヘッセは膨大な量の書簡を残している。誰かに向けて何かを「書く」ということの意味が、今とはまるで違ったのだろうね。Twitterやフェースブックのように、リアルタイムのコミュニケーションは皆無だったけど、その分相手のことを考えたり想像したりする時間がたっぷりあったというわけか。
メールやフェースブックによって失った時間がある。新しく得た時間もある。どっちが良かったのか、ぜんぜんまだ分からない。